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昨日の日記....読み返すと吐き出しすぎかなぁ、とも思う。でも公約だから消さないぜ。
それに、書いてすぐになんとも嬉しい感想をメールでいただいた....しかも偉大なる先輩からである。しみじみ、嬉しかった。....この目配りが、このヒトのパワーというか、ヒトを惹きつける魅力なのだと思うけどね。
にしてもここんとこ、日記というより「
らみやの青二才思想たわ言」記録と化している面もあるなぁ....
ビクトリア王朝時代の人間に倣って言えば、
それが、どうしたっていうのよ(笑)
#というかチカちゃん風か(ぉ
ま、ひとつらみやの言説を読む上で理解してほしい....俺は、俺の言説が正しいとも、他人がそれに従って生きるべきとも、絶対に言わない。その辺を理解できないヒトも多いからなぁ....
先月20日にも書いたけど、「世界中の人間が、俺がどう生きるべきか、どう考えるべきかについて意見をもっている」のにはうんざりするわけです。あと、
嫌いなものは否定するという発想も嫌。
ある言説が他の言説より優れているとか、他方を駆逐すべきだとか、そんなのは評価基軸が無数にあるんだから言えないじゃないか。 俺ができるのは、アドバイスまで。そもそも20歳を超えた人間に、どう生きる
べきかを言うなんて、恐れ多くてできません。
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Becky!(メールソフト)のバージョンアップが猛烈にしたい。
現在ver.2のパブリックβテストが行われてて。結構こなれてきた見たいだし、正式発表は6月中かとの声を聞くと、もぉたまらなくなって見切り発車的にβをインストールしちゃおうかとか思ってるのである。
この「たまらなさ」は何なのか。
HDDを増設して、更地に環境を再構築していくとき。
新しいOSをインストールするとき。
使い込んでいるシェアウェアをバージョンアップするとき。etc.etc.
ワクワクしてくる。こいつは俺のこのデジタル支援型生活(完全造語)をどう改善してくれるのか。今抱えてる欲求をどう満足させてくれるのか。どういう新しい便利さをもたらしてくれるのか。
俺は、結構特殊なまでにデジタル執事に依存していると思う。自分が特殊であることは認識している。が、慣れてしまえばコイツは辞められない。便利に過ぎるのだ。これがさらに便利になるかと思うとドキドキしてしまうのである。....技術による問題解決を基本的に信じてるからなのかな。
プラス。まっさらなトコロに環境を再構築できる、という
ヨロコビも当然あるだろう。
普通、こういうことはできない。既存品の再利用、廃棄、状態の移行、かかる手間....例えば、
部屋の模様替えを考えてみればいい。ふと思いついて、本棚の位置を変える、書籍分類の方法を変える、ベッドの向きを変えるなんて出来やしない。しかも、日曜一日費やしても、結局前の状態をかなり引きずってしまう(例えば本棚の形は変えられない、とかね)。
が、コンピューターの上であれば、それが出来る。
今回の場合は、メールの振り分けルールやら、過去のメールの整理やら、そういったものを一から作り直したい。そんな欲求が積もってるんだと思う。どうせそういうのをやるなら、そういう作業が付随してくるメジャーバージョンアップのときに....となるわけだ。
自分がこの忠実にして有能な執事に依存しているのはそういう感情を持ってるからかもね。
ちなみに簡単な不満なら、自分でスクリプトを書いて始末する
(これを生活スクリプトと呼び、こういうヒトを生活スクリプた〜と呼ぶ)が、残念ながらプログラミング能力は低いからねぇ....
(^^;;