VERBA VORANT, SCRIPTA MANENT.
新しい世界、新しい視点、新しい経験を拓いてくれるから。
あるいは最高の時間潰し。
「星の王子さま」か、児童文学全集か何かの「千夜一夜物語」の一部だったような記憶。
絵本だったら、……タイトル失念。子供が寝てる間に怪獣の国へ行って帰ってくる話だったと思う。
2005.06.05追記:モーリス・センダック「かいじゅうたちのいるところ」でした。
お小遣いなるもの(特に本を買うに足る)を貰っていない子供だったもんで。
アメリカの高校に行ってから日本人相手の家庭教師で稼いだ金で買った日本の古本が「初めて買った」本かも。ちなみに新書版「銀河英雄伝説」5冊分ぐらいだったかな。今でも持ってます。
定期購読誌なし。中吊り広告や立読みで気に入ったら買う(本と同じスタンス)。
メールマガジンなら「今日の雑学」あたり。
粗筋はいらんですよ。つまんない、の一言だけもいらんですよ。
書いた人が惚れた点、気に入らなかった点が「心情的バイアスたっぷりでいいので(客観性なんて投げ捨て)」書き込まれてる書評等が一番参考になる気が。
塩野七生「わが友マキアヴェッリ」の読み返し。
全然。
SFや歴史物。時代小説ってよりは小説仕立て歴史物。
読むものがなければ吊り広告でも読破する、とかかなぁ。
10冊程度。通勤時間の多寡にかなり依存します。
ただし、新規入手モノより五読十読してる本のほうが多いですが(つまり開拓ペースではない)。
古本の奥付を見て「最近は高いなぁCon'tick-show」と呟くため。
900円ぐらい。
それ以上に、ハードカバー時に3冊のものを薄っぺらく5分冊とかされると、総合して「せこい真似をふざけんな」という気分になります。
手元に残せない本を読もうとは余り思わない。
生活圏(日々の行動ルートから30秒以内)に図書館がないからとも言います。
読みたい時に買う派(絶対読むと分かってるシリーズ物等以外)。
新刊追わないし、それで絶版になってしまったら縁が無かったということだし、どうしても欲しければ借りるなり古本で探すなりするし。今ならamazonでも使えば、生活時間から5分しか割かずに、数日すれば本が手元に来てるわけですしね。
ただし、読みたいときに買うわけにはいかない同人誌は別です。積み上げて半年掛けて消化。
あります。普段読まない雑誌のラインとか探しちゃう。
本は大切に送れ、amazon。
部屋の三面分ぐらい。QA020も参照のこと。
脈絡の無さが売りです。
ある程度の検索性を持たせるよう努力中。
思い立ったときに検索・閲覧が不可能な状態、例えば「ダンボールに詰めて物置」「押入れの中に大量平積み」「本棚に二重置き」という状態の本は蔵書とはみなさない主義に基づいてます。スライド式本棚がんばれ。
同人誌でならあります。積んでるから。
Sir, Yes'ir!
書籍到達性と大量格納性の両立。
速読で連読。
分からない言葉に出会った、という記憶はあまり無いです。
専門用語の場合、それがわからなくても文脈から悟らせる(そして説明台詞なしに悟らせてくれる)のが物書きってモンでしょう。
電車内。
ベッドで横になると首が痛くなるのであまり好みません。自宅で読むなら素直に椅子。トイレは嫌い。
経験が無いから分からないなぁ。
黙って一章ぐらい読み進めてから再考するかなー。でも多分読み切らないことはないでしょう。
妄想。
愛用栞はいくつか。基本的にデザインが無難なもの、しかし栞として作られてる必要はなし。思い出のあるチケットなんかを簡易ラミネートして使ってたこともあります。
ブックフェアって何……? いやマジで良く知らんのですが……。
まぁ本買うときにグッズはいらんですよ。図書券付けてよ図書券。
でかい図書館の目録か何か。
まず読んだことのある本を探し、それを一冊ずつ思い出していけば随分長いこと楽しめます。
むぅ。ウィリアム・H・マクニール「ヴェネツィア―東西ヨーロッパのかなめ」……って書こうとして今検索したら、なんか絶版書に代わって単行本出てるじゃない! クリーック!
一冊に絞れんー。陳舜臣「阿片戦争」:歴史に対する見方を変えた本。塩野七生「海の都の物語」:ヨーロッパに対する見方を変えた本。そして私をヴェネツィアマニアにもしました(笑)。
五読しない本は本じゃない。
また厳しい質問を……以下順不同。
今のところ買っているシリーズは「ローマ人の物語」と「覇者の戦塵」。
好みを信頼できる友人の推薦が一番(手抜き)。ネガティブも書かれてるけど愛も書かれてる書評なども参考にします。
良い方にはこだわりません。訳者で酷く悪くなるってのは残念ながらオースン・スコット・カード(エンダーシリーズ)で痛感しました。
名も無き狂気の神。
しろいうさぎとくろいうさぎ。
100万回生きたねこ。
HOTEL(黒井健)。
あとがきを忘れることなら良くあります。
ウィリアム・H・マクニール「ヴェネツィア―東西ヨーロッパのかなめ」。絶版だったし……ってだから単行本化されたし!
歴史はノンフィクション作品に含まれないとすると、あまり知らないなぁ。
クラーク「遥かなる地球の歌」。恋愛小説……なんですよ、あれは。
ありすぎて。
ありすぎて。
ありすぎ……ん、いや、意外と思いつきませんね。読みたくないから忘れたのか。
ありすぎて。我孫子武丸には割と素直に騙された方。ミステリーには弱い。
今野緒雪「マリア様がみてる」とか。割とこじつけ、あまり思いつかない。
難しいっす。
出版社でソートするのはいい加減やめてください。アナログ書店を使わなくなる理由1。
ref.QA051。それとも「ルビー文庫」とかいう台詞が期待されてるのかしら。
感想文と書評は違うのか……。
市販本ではあまり。ああ、ラシャ紙に包まれた本は好きです。あとは創作系同人誌でツボに入る装丁がいくつか。
愛してる。
また難問……(;´Д`) 以下順不同2。
ないですねぇ。
希少本とかですかい? 同人誌でならありますがねー。そもそもあんま本って自慢の対象ではない気がしますが。
ヴェネツィア─東西ヨーロッパのかなめ(ひつこい)
全部読みます。
アン・ライス「ヴァンパイア・クロニクルズ」の「デイヴィッド・タルボット」。タラマスカ、永遠の観測者の長という存在であり、それでありながら当事者としてはまり込んでいく者であり、それでもなお観測者であり続ける存在。「物語」に関わるならああいう存在でありたい。
奈須きのこ「空の境界」の青崎橙子。
塩野七生「神の代理人」、作者が乗り移った「教皇アレッサンドロ6世」(ロドリーゴ・ボルジア)。
バスケがしたいです……!
灰色の脳細胞。
両者はだいぶ違うものでしょう……
ベストカップル:「空の境界」コクトーと式。
ベストコンビ:「銀河英雄伝説」ヤン・ウェンリーとアッテンボロー。
共和国時代のヴェネツィア。カエサル時代のローマ。「生きた史跡」が見たいというのは本じゃなくて歴史物ですねぇ。
空想上の場所に限れば、谷甲州「航空宇宙軍史」の「火星鉄道一九」とか(笑。最高時速一万三千キロ、瞬間最高G8.3、太陽系最強の有人高加速鉄道)。
川原由美子「観用少女」。
秋山瑞人「猫の地球儀」あるいは小林めぐみ「ねこのめ」シリーズ。
軒しのぶ女史の描く「ヤン・ウェンリー」。
カエサルの下で百人隊長としてでも使ってやってください。
秋山瑞人は最近のクリーンヒットです。冲方丁とか。ラノベ侮りがたし。
プロの作家なんてなるものではない……(二次創作アマチュア物書きの呟き)。
ってのはおいとけば、アシモフかなぁ。作品完結までに50年とか掛けてもOKだし(てへ)。
愛のある作家の編集者は逆に勤まらないと思う。
佐藤大輔「御大」、どれでもいいから続き書いて。
荒木飛呂彦「ジョジョの奇妙な冒険」よりギアッチョ様から田中芳樹に向けて:
「未完成の小説は『小言 』じゃねぇのかよォオオォオオオ─ッ! 自分で言っといて続編書かないって納得いくかァ〜〜〜〜おい? なめてんのかァーーーーッ!」
平野耕太。食われました。ワンちゃんに。
作家にあんまりイメージ持たないんですよねぇ。
歴史上の人物。
ヴァンパイア・クロニクルズシリーズ。
ありまくり。基本的に買うと決断した本は捨てないです。
超有名作家の名作でもさっくり絶版になるシステム、とか。
「みんなが違法コピーしてネット流出させるから音楽CDが売れなくなったんだ」
もったいねぇな、と。
まぁ他のあらゆる趣味と同じようなものですが。
電車に乗って出かけるときに本がないと後悔しっぱなし。
革命軍に参加する。
ないです。
どういうモノを想定しているのだろう……。
あらゆる図書が電子的に借り出せるというモノなら、早く実現して欲しいもの。
紙とインクではなくなるかもしれませんが、ハンディで保存が利いて読み物になる何かは常に「本」と呼ばれるのでは。
人は人工呼吸器に繋がれたって生きていけます。面白いかどうかは別。
有名人が薦めた本とか超知らない。
谷甲州「覇者の戦塵」……嘘ですごめんなさい。泥と重機にまみれた映像なんて誰が見たいんだ(Us! Us! Us!)。
あとはガリア戦記(カエサル)とか海の都の物語(ヴェネツィア)とか歴史物はやっぱり見てみたいですね。大河ドラマもそろそろ国外ネタでもいいじゃん(って役者が問題か)。
幸村誠「プラネテス」。
ヴェネツィア最後の日の街の様子。
古書サーチ。
人命何ぞ仮すことの短き。書籍何ぞ余りにも多き。
教皇アレッサンドロ6世ロドリーゴ・ボルジア(……の口を借りた塩野七生「神の代理人」より)フロリド、おまえは、あの修道士の説教の中に、こんな一句があったのを覚えているだろうか。人間の一生は全て、如何によき死に方をするか、その一事のためにのみ存在すると。だが、私は、サヴォナローラの非難を浴びているこの私は、彼の言うことよりも、別の言葉が気に入ってしまっている。いにしえのユダヤ人の言ったという文句で、“生ける犬は、死せる獅子に優る”というのだ。
(中略)
それまでは私も、華々しい悲劇的な死に憧れていたものだ。しかし、今ではそうは考えていない。死は、求めてはならぬ。受けとめるべきものだと考えている。
人間には誰でも、一生のうちにやり遂げたいと思っていることが、何かあるものだ。私もまた、いくつかの事をやり遂げた上で死にたいと願っている。だが、もしその中途で、神が、おまえの生命は終ったと言われたとしたら、私は、やりかけている仕事をそのままにして、神のお召しに応じるだろう。仕事の未完成を嘆かず、そういう自分の運命も呪わずに。
だがそれまでは、犬のようにでも生きるつもりだ。私は、必ず訪れてくる死を常に考えているほど、自虐的には出来ていない。死が肩を叩いたときは、自分を彼の手に任せるだろう。しかし、それまでは生き続け、自分の仕事をやり続けていくつもりだ。
犬のように生きるのだから、“良き死”とか、どういう死に方をしようかなどということには心を使わない。例え、路傍で野垂れ死にしようとも、悪評の中に死のうとも、また、死後に後世の非難攻撃を受けようとも、私には少しも関係のないことなのだ。
大切なことは、決して焦ってはならないということだ。反対に危険なことは、自分のやっていることが無駄かもしれないとか、未完成に終わるかもしれないと思いだし、それではならないと考えた末、焦って思いつめてしまうことである。“死せる獅子”の多くは、こういう人々である。
(中略)
私の年代ともなると、ふてぶてしいほどの覚悟が出来てくる。自分の仕事が無駄であろうとも、未完成に終わろうとも、それを恐れずに、残された時間を、それまでと同じ、自分に合った速度で使っていく心構えが出来てくるのだ。自分の仕事に疑いを持つことは、狂信的独善的になるのを防ぐに役立つから、かえって良いのだとさえ思ってくるのさ。だが、サヴォナローラの年代は、焦りが最も強く出てくる頃だ。当然の事なのだが。だが、それを越えられる人もいるし、越えられない人もいる。
“生ける犬は、死せる獅子に優る”とは、なんと楽しい言葉ではないか。だが、こんなことを言った男は、おそらく歴史の底に沈んでいるのであろう。
フロリド、おまえならどちらを選ぶ。やはり死んでも獅子になりたいかな。
映画、音楽、舞台、その他「自己表現」なんて物に拘らない、大衆が愛するあらゆる芸術(小説もまた大衆が愛するようになった芸術の一つでしょう)。
あるいは眼鏡っ娘。
多少の不満なんざ、今こうして本が読めているという事実の前にはなんでもないっす。
パチンコ業界の数分の一のパイの中で頑張ってください。
我が眼なり。
last update: 2005.05.31