ある時
───
「本当にこれでいいんだな?」
「あにこの期に及んでビビってんのさ」
重厚なデスクの上に置かれた、ちっぽけな書類。
なんの躊躇いも無く、あゆはペンを取り上げる。秒針の刻みに数瞬ペン先の音が重なった後、そこに流れるような筆跡で、あゆのサインが刻まれた。
───私、大空寺あゆは、上記の全ての条件の下において、その所有する全ての大空寺グループ株式を譲渡することに同意し、かつ一切の遺産相続権を放棄する───
「これで終わりか?」
「ああ、終わりさ」
事務所を出てきた俺たちは、広く深い青空に向かって背伸びをする。
まるで、何年も新鮮な空気を吸っていなかったかのように。
「ま、見てるがいいわ。大空寺グループなんて一代で過去の遺物にしてやるさっ」
悔しさも、ひがみも、ましてや衒いなどない、不敵な奴の台詞。
だが今日ばかりは、俺もそんな気分だった。
「当然だ。これで軍資金も出来たわけだし、あのクソ親父に出来たことが───」
あゆの瞳の色を溶かし込んだような、紺碧の空。
その蒼穹に誓うかのように……俺はコイツの手を握り締め、二人で、最高に無謀で、無根拠に頼もしい台詞を言い放つ。
「俺たちに」「あたしらに」『出来ないはずがねえッ!』
例え平穏な日々が遠くても。
コイツと行けるなら、後悔なんてヒマは、なさそうだ
───
ある時
───
「センセー、小児科の星乃さんから内線5番でーす」
小児科から時折掛かってくる内線に、新米スタッフが訝しげな顔をしているのも配属1週間までだ。……ったく、100%私用なのがバレバレの電話を、よくこの時間に掛けてくるよなあ。
俺はそう苦笑しながらも、今日の日付を考えれば無理も無いことと電話を取る。
「孝之ぃ、ホントに明日時間大丈夫なんでしょーねぇ?」
「のっけからご挨拶だな相変わらず……ああ、キッチリ開けてある。今年は……遙も連れてくつもりだからさ」
「遙さんねぇ〜。ま、あたしも結構彼女気に入ってるから構わないんだけどさぁ」
数年前、蛍に遙を紹介した時……驚くほど、自分の中に抵抗はなかった。
俺の中で、蛍の場所は、変わらない。それを受け入れてくれた遙と共に、お互いの目標に向かって歩くのに、躊躇いなんて感じる必要はなかったんだ。
星乃さんとは……相変わらず、お互いを尊重し合える友人でいる。同じ気持ちを共有できる、仲間でいる。
……遙と結婚したとき、彼女も少しは嫉妬してくれないかと思ったけど……
その真実は、多分ずっと、秘密のままなんだろうな。
「ちょっと孝之聞いてる〜っ?」
「だから聞いてるって。……明日は欅総合で拾えばいいんだろ? あ、香月センセによろしくな」
「あたしらなんかによろしくされなくても、あの人は相変わらずだけどねぇ〜」
ひと時の心地よい会話。
受話器を置いて一息つくと、俺はグッと腹の底に力を溜めた。
今日もまた、この手に誰かの命を預かるために。
蛍の笑顔を、守り続けるために
───
ある時
───
俺は死にかけていた。
ここ数日、ロクにメシも食ってない。食料を漁りに行く気力も体力も、とっくに使い果たしていた。止まらない咳に顔をしかめ、俺は物陰にうずくまる。
くそっ、この雨……この雨さえなけりゃ、もう少し持ったかもしれないのに……
……でも、もう疲れた。
狭い路地裏から覗く雨空ですら今の俺には眩しくて、いつものように俯いて自分の膝を眺めた。見慣れた視界。やがて顔を伝う雨水の感覚も無くなった時……
俺は思い出していた。
それはついこの間なのか、遥か昔のことなのか。ただ、俺をとても慕ってくれていた後輩のことを。辛い日々に温かい笑顔をくれた、女の子のことを。軽い気持ちで想いに応え、そして永遠に傷つけてしまった……まゆの、ことを。
……ああ。
あの小さな小さなぬくもりを、しっかりと守り続けることが出来ていたのなら……俺も、こんなことにはならなかったのかもしれない。
俺は遠い喧騒の日々をおぼろげに回想し、辛い日々すら幸せだったことを思い出して……久しぶりに微かに笑い、少し泣いた。
……それが、限界。
身体の芯から湧き上がる嫌な咳気と共に、俺は最後の血を吐く。
……嫌な雨だ。雨さえ止めば、俺は……俺は……
もう……眠い……
重い目蓋が閉じるその瞬間。
大きな過去に支えられた彼女の笑顔。張り詰めた弓弦が外れるかのように崩れた彼女の泣き顔。その全てに謝りたくて、俺は何年ぶりかの涙を流していた
───
ある時
───
「タカユキっ、ニュース見たよ! 受賞おめでとっ!」
「そっちもメドレー優勝じゃねーか、やったな!」
深夜、茜が帰宅して開口一番。
重ねてやってきた嬉しさを、お互いに飛びつき合って喜んだ。
……なんという偶然。茜のパンパシフィック優勝と、俺のピューリツァ賞受賞の報は、同年同日にやってきたのだった。
リビングの窓の外には、薄暗い世界が広がっている。
雑多な人種の体臭。地下鉄から吹き上がる蒸気。一年中終わらない道路工事、熱いアスファルトの臭い。ビルの狭間のここはニューヨークの洒落た夜景なんてものとは無縁だけれど、混沌を懐深く飲み込むこの街有の空気は間違いなく本物だ。
俺たちの成功は、やっぱりこの街、この国に寄るところも大きい。だけど……
「ねぇタカユキ、明日は外で二人のお祝いにしよっ。タカユキの授賞式はまだだけど、ホラ前祝いってことでさ」
茜は俺の身体に手を回したまま、太陽のような笑顔で俺を見上げてくる。
その笑顔が、今日に到る日々の記憶を刺激していた。
環境のよさ、社会的支援の多さでアメリカに残ることを決めた茜。
彼女を追って、俺がどうやってこの国で生きていけるか考えた俺。
数年前のあの日の、無謀とも言える決断。それが一つのマイルストーンを迎えたことを、俺たちは改めて感じていた。茜の成功はある意味当然(努力の量に見合った、って意味だぜ)だけど、片や元フリーターにして最低賃金のウェイター、後にジャーナリズム専攻だけが頼りのフリーライターがここまでこれたのは、何と言っても茜の隣にいることを追い求めつづけた結果なんだ。
「おう、茜が疲れてないなら是非そーすっか。授賞式ん時はちょうど遙一家が遊びに来てるから、二人きりは難しいだろうしな」
「あ、そっか。来週は姉さんにもお祝いして貰えるなんて……ふふっ、なんか凄くタイミングいいね。姉さんって相変わらずだなぁ」
数年前、俺が、茜が、こんな道を歩いているなんて……まったく想像がつかなかった。茜の真摯な瞳に、少しでも応えたい。ただ、それだけから始まったんだ。
でも、今日は素直に、その決断を誉めてやりたい───
───頬を撫でる冷たい風に、ふと目が覚めた。
闇に浮かぶ見慣れた木の影。
俺は肌寒い夜風の中で草むらに寝転び、ぼんやりと星を眺めてた。
この夏、休まる時の無かった精神が久しぶりに落ち着いたのか。
あの丘の上で夕陽を眺めていたはずが、まるで草の中に溶け込んでいくかのように、いつの間にか眠り込んでしまったらしい。
夜風が草を薙ぎ、静寂の夜に微かなざわめきを運ぶ。
天球に懸かる月はあくまで蒼く、満月の光は小さな星灯りを薙いでゆく。
ふと、この夜風に夏の終わりを感じた。
あまりに多くが起こり、多くが始まり、多くが終わった夏の、終わりを。
星の降り散るこの場所も、今日は月に主役を譲ったかのよう。
虫の声も何故か遠い、丘の上の小さな世界だ。
───なんて静かに、過ぎて行く夜。
先週までの波乱からの嘘のような落差に、俺は思わず苦笑する。
とても俺の人生に起こったとは思えない、まさに「嘘」のような出来事。それでも繰り返される日常と、その隙間で交わされる想いの数々。些細な偶然がもたらした、目の醒めるような現実。……全てをいい思い出と片付けるには、辛すぎたし、悩みすぎたし、……色んな人を、大切な人を傷つけた。
それでも、その全てが、二度と得られぬかけがえの無い時間だったんだ。
これからも積み重ねてゆけるとは、一瞬信じがたい程、大切な永遠の欠片。
俺の人生は、これからもこんな出来事で満ちているんだろうか。
俺の先にある何十年かの人生を思うと、少し目眩がした。……ははっ、さすがにこんなにキツいのは、ちょっと勘弁して欲しいけどな。
だけど、永遠という時間が存在しない以上、俺にできることは
───
「シウバッ!?」
……な……今、のは……っ!
俺の脳髄を激痛が走りぬけた。側頭部を蹴りつけられたような……
「なーにこんなところで寝てんのよ、孝之」
「え……」
上から降ってきたのは懐かしい声。
見上げた星灯りを背に浮かび上がったシルエットは見紛いようも無い、あまりに見慣れたフォルムを取っている。ただ、このアングルは……久しぶりかもしれない。滅多に見ない私服のショートスカートが、高校時代の懐かしさに拍車をかけていた。
「え、じゃないわよ。危うく全力で踏み飛ばすトコだったわ」
──速瀬水月。
いるはずのない、この街を離れたはずの彼女が、そこに立っていた。
「……今のは全力じゃなかったって言うのかよ」
「あったりまえでしょ? 水月ちゃんが本気を出してたら、今ごろ孝之はあの星の向こうよ。とっさに気づいた私に感謝しなさい」
まったく悪びれるところのない彼女を見上げながら、俺は寝ていた半身を起こす。
……変わってない。呆れるぐらいコイツは変わってない。だけど、たった数週間を隔てているだけのはずなのに、俺は水月が変わっていないことに不思議と嬉しさを感じていた。
「……私さ、明日この街を発つ予定なんだ。最後にここからの眺めを覚えておきたくて……わざわざ間違っても孝之たちのいなさそうな時間に来たっていうのにさ」
「ははっ、そりゃまさに腐れ縁ってやつだ。俺はただ寝過ごしちまっただけなんだから」
「ホント、孝之らしいね……」
静かな夜、一瞬の間。俺たちの心は、申し合わせたように台詞を紡ぐ。
「ま、久しぶり、孝之。相変わらずみたいね」
「おう、久しぶり、水月。そっちも元気そうで何よりだ」
そんなありきたりな挨拶を交わして、俺たちは目線を合わせた。
柊の町並みを見下ろしながら、俺たちは並んで座って話をした。
お互いのこと。くだらないこと。夏の終わりの、時間の過ごし方のこと。本当に他愛も無い、昔ずっとしていたような会話だった。
……だから、この夏の事が話に上ったのは、本当にわずかな時間だった。
「そろそろ時間か。私、始発でこの街を出るから……ここでお別れね」
そう言って水月は立ち上がる。
俺も一緒に立ち上がろうとして……一瞬の目眩を感じてよろめいてしまった。
「……孝之?」
「……いや、ちょっとここんトコ疲れることが多かったからな。もう、大丈夫だ」
水月の心配そうな声が少し痛くて、俺は息を整えるとすぐに続けた。
だけど俺のそんな台詞は、水月にはお見通しだったらしい。
「……はあっ。孝之ってホント無理するからなぁ」
水月は腰に手を当ててそう呟く。
そして微かにためらうような表情をして、言葉を続けた。
「ねぇ……孝之、辛くないの?」
意外なその台詞に、俺は言うべき言葉が見つからない。
「本当に孝之の周りでいろんなことがあって……。孝之、こんな運命、嫌じゃないの?」
「水月……」
「だってさ、孝之だって辛いはずなのに……遙のことや、他の色んな人のことまで考えて動かなくちゃいけなくて。色んな他人の幸せのことを考えて。そりゃさ、それが孝之の幸せの為だってのは分かるんだけど……」
水月は少し言葉をためらった後、続けた。
「もしかしたらこの先もそうかもしれない。孝之の優しさって、なんだか平凡な運命を持ってきてくれない気が……凄くするのよね」
そう言って俺に目線を向けてきた水月に、俺は肩をすくめて答えた。
「それはそうかも知れないけどさ。でもな……きっとそれだって楽しいぜ」
水月が目を見開く。
「この夏だって、今にして思えば辛くても楽しかったさ。だからこの先も……俺は、積み重ねていけると思うんだ」
その俺の言葉に、水月は少し俯いて息を吐き出した。
孝之、と呼び掛けてくる水月の目は、いつに無く悲しげだ。
「ホントのこと言うとさ、私少し後悔してる。
私がやってきたことは、本当に余計なお世話だったじゃないかって。孝之と仲良くなったのも遙のため、あの二年間を過ごしたのも孝之のためって言いながら……。結局私、孝之を苦しめただけだったんじゃないかな……」
真っ直ぐに水月の瞳を見詰める。
悲しみの色も、幸せの色も、ずっと間近で見続けてきた、水月の瞳。何もかも知ってると思っていたけれど……俺は、何も分かっちゃいなかったのかもしれない。
「孝之って……本当は強いしさ。自分の運命なら、自分で切り開いていけたと思うの。だけど孝之優しいから、私のことまで考えてくれて、それが色々あんたを縛ってて……」
僅かに目を伏せて。
ほんの少し言葉の先を俺から逸らすかのように、彼女は言葉を続けた。
「孝之は自分自身で、孝之の幸せを追いかけてた方が楽だったのかもね」
数瞬、水月の台詞が頭の中を駆け巡る。
水月が……そう思ってるなんて意外だった。コイツは本当に、俺のことを考えて、いつでも一生懸命で……。でも俺はすぐに口を開き、水月の目線を引き戻す。それに対する答えなら、既に俺の中にあるのだから。
「ま、自分の幸せを追いかけるのは……確かに大切かもな。でもな、自分のことだけ考えたって、楽になる量はたかが知れてるだろ」
自然に流れ出た俺の言葉と、驚いている水月の目線が交差する。
「……それに結局俺の幸せって、おまえや、他の誰かがいなきゃ成り立たねーんだ」
それは、たくさんの人が俺に気づかせてくれた。
誰かのために何かをすることが、俺の幸せだということ。
俺自身のために何かを成すことが、誰かの幸せだということ。だから……
「だから水月、お前は勘違いしてるぜ。俺は後悔してないんだから、お前が後悔しなきゃいけない理由なんて、何処にもないんだ」
俺はそう水月に笑いかけて、敬礼の真似事をしてみせる。
水月はゆっくりと目を伏せると、やがて穏やかな笑みがこぼれ出た。
「……っはあっ。
まいったなぁ、やっぱ孝之って……私が好きになった、人なんだ」
水月はそう言うと、月に向かって大きく背を伸ばす。
「うん、孝之がそう思えるなら……それでいいや。いろんなことがあっても、それが楽しい方が……いいもんね」
それじゃ、私もう行くね。
水月はそう告げて、俺に背を向けた。
これが、最後の刻。
俺にあいつを止める資格は無い。止める理由だって無い。
……心が、この瞬間の隅々までを理解している。これが本当に、俺たちの、長い長い夏の終わりなんだってことを。
今思い出すのは、
あの遠い日に唯一つ言い忘れた言葉。
俺に、全ての始まりになった出会いをくれた水月。
絶望の日々に、崩れ落ちてしまいそうだった俺を守ってくれた、大切なひと。
ただ星灯りのみを背にして。草を踏みしめる音と共に、見慣れた影が遠ざかってゆく。
「……水月っ!」
思いがけず、舌の呪縛が解ける。
立ち止まる背中。
「なに?」
少し遠い日に見た弱さと、遙か遠き日に見た強さを併せ持つ背中を見せたまま。
水月は振り向くことは無く、耳慣れた声だけが消え行く星空を渡ってくる。
───刹那。
あまりに鮮明な映像が、頭の中に流れ込んでくる。
膝の上に俺の子供を抱え、絵本を読んで聞かせている水月。
それを笑いながら見ている俺がいた。
……そう、俺は平凡なサラリーマンで、水月は平凡な主婦。
小さなアパートに詰め込んだ、ささやかな世界。ある時は二人で遙の成功を祝い、茜の勝利を願い、一方で自分たちはあまりに普通に思える時間を、過ごしている。
だけど、この瞬間の俺は確信していた。
その時間が、どの存在しうる無数の可能性と比べても、どれにも負けないほどの幸せに満ちていることを。
───それは一炊にも満ちぬ、刹那の幻視。
在り得るはずだった、俺と水月の未来。幸せで悲しい夢。……本当にコイツが俺のことを想ってくれていたことを、改めて思い知らされる。
その想いに、この形で応える為に。
……言うべき言葉は決まっている。
ただ、これを口にしてしまえば、一つの時間が終わりを告げてしまうことも、分かっている。だからこそ、あの日には言えなかったんだ。
それでも……水月の教えてくれた、誰かの為に何かをするということ。
本当の、強さの意味。それを今、言葉にしないと
───
ちゃんと、言えなかった言葉を伝えないと、いけないんだ。
「───ありがとう、水月。俺、お前に会えて、本当に良かった」
それが、あの夏の終わりに。
異なる未来の前に去り行く水月に謝ることしか出来なかった、鳴海孝之のもう一つの正直な心だった。
暗がりを震わせた俺の言葉が染み込んだかのように、水月の背中が、ほんの一瞬震える。あいつは立ち止まったまま俯いて、やがてあの夏一番の笑顔で振り向いた。
「元気でね、孝之。縁があれば……また会うかもね」
ふっと、少し強めの風が吹いた。
木々が音を立てて揺れ、夜の静寂を僅かに乱す。……たとえ辺りが暗くても、耳が覚えている遠き日の記憶が蘇る。この丘の上に向かう自分の背中を押したあの日の風を思い出し、俺はあの大きな樹を仰ぎ見た。
……目を戻したとき。薄闇の中に、水月の姿は消えていた。
かつては止まらなかった涙。だがそれが俺の頬を伝うことは無かった。
悲しくはあったし、行って欲しくないという想いもあった。
だけどそれよりも、水月の、俺の未来のために、今はこれでいいんだと素直に思えた。それは俺が
あの時よりも、自分を外から見られるようになったからかもしれない。
丘の上に静寂が戻ってくる。
気が付けば長い夜は終わり、僅かな朝の空気が辺りに流れ始めていた。
夜の終わり。だが夜が明ければ朝が来るように、運命もまた流転する。それならば……それならば、また何かに出会える事もあるだろう。
かくして、この長い夏は終わりを告げた。
……さて。
幕を閉じるかのように、俺はしばし目蓋を下ろす。
この俺にとっての長い物語も、ひとまずここで幕を下ろしてくれたのだろう。
静けさに慣れた耳に、朝の鳥の声が微かに伝わってくる。
全てはまるで夢のよう。
存在しない永遠に向かって積み重ねられた日々は形に残ることなく、ただ運命の狭間の記憶の中にのみ刻まれていく。
星が曙の空に溶けてゆくように。
永遠と思える時間にも、いつしか終わりが来る。
それでも、俺は思う。
その永遠を信じて駆け抜けて行けば、その終わりすらきっと幸福だろうと。
星は遙か天高く。
俺たちの未来、君が望む永遠も、またその向こうに。
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ふと、目が覚めた。
不思議な夢を見ていた。無数の未来の最後に、凄く悲しい夢だったのか、凄く幸せな夢だったのか、それさえも確かではないけれど。この世界の何処かの、誰かと心が通じた気がした、そんな夢だった
───
「あ、起きた?」
俺はリビングのソファーでまどろんでいたはず。
ふと気が付けば、いつのまにか俺の身体には毛布が掛けられていた。
無限の空間を彷徨っていたような感覚が、ようやく落ち着いた。
そうだ、ここは俺の世界。最高の暖かさと幸せの有る、自分の家だ。
「ああ、毛布ありがとな。……なんだか不思議な夢を見ていたよ」
「あ、夢の話っていい参考になるから、あとで聞かせてねっ」
耳に馴染んだ、甘くて柔らかな声。
「ちょうどもうすぐご飯だから……仕度、手伝ってくれる?」
「ああ遙、すぐ行くよ───」