平気な顔。
でも、その顔の裏にどんな意思が込められているのかなんて、本当はわからないんだ。……そのことを、遙や水月にも教えられた。いろんな人が、オレの背中を押してくれている。
そのオレ自身が望むこと。これからのこと。……自分の居場所。
もちろん本当の居場所は、遙の隣以外にはない。でも、じゃあそのために歩む道は、どこにあるのか──
(──あなたの過ごしてきた3年間は、決して無駄だったわけじゃないわよね)
香月先生の言葉。
いろんな人に支えられてきた3年間。その自分に足りなかったものは、なんだろう?
オレにできることは、なんなんだろう……?
「……じゃ、ごゆっくりどうぞ〜」
「茜っ!」
意識が病室に戻ってくる。
……これまた懐かしいやり取りを残して、茜ちゃんは帰っていった。ああ、そういえばお母さんと買い物に出るとかなんとかさっき言ってたな。
「遙、リハビリでお疲れか?」
「うん、ちょっとね……あ、でも今日ずっと中だったから、ちょっと夕方の風に当たりたいかな……なんて」
もうこれも一種の儀式みたいなもんだよな。
オレがそう聞くときは外に出ないかって誘いだし、遙がベッドにもぐり込まないで身体を起こしたままの時は、大抵オレとの時間を過ごしたがってる時だ。
……コラ。何を想像したかは知らないが、オレはもう病院じゃやらないぞ念の為。
「……孝之君、どこ見てるの?」
「ん、いや窓の外。何やら邪念がフレームの向こうから流れてきた気がして」
「……???」
「……さて、っと。まだ海岸に出る時間はあるよな。屋上よりそっちの方がいいだろ?」
「うんっ!」
さすがの遙も、毎回お姫様だっこのたびに顔を赤らめたりはしなくなった。
その代わり、すごく甘えたような、安心しきったような表情でオレを見つめてくる。遙の恋人である、ってことが自然になってきた証拠かと思うと嬉しくて、ちょっと誇らしげに遙を車椅子に降ろしてみたり。
(……誰も見ちゃいないけど……)
廊下で香月先生を見かける。回診の途中らしく、お互い手を振っただけだけ。それだけでも、ほんの少し前まで香月先生に会うたびに、遙のことを尋ね、答えを恐れていたなんて信じられない自然な空気。はは、やる気なさそうに歩いてるのは変わらないけど……患者を見た瞬間に目付きが変わるんだから面白い。玉野さんのこともそうだけど、自分のやることを見据えて、表情がすっと変わる瞬間っていいもんだよな。
夏の一日もさすがの終わりを見せ始め、海岸は茜色に染まり始めている。
(うーん、こりゃ長居はできないか……)
車椅子が潮風に当たらないよう物陰において、遙を抱き上げ砂浜まで歩いていく。
相変わらず人気のない海辺。
涼しさを漂わせはじめている潮風。
サクサクと単調に響く砂の音。
いい加減に飽きないかとも思うけど、お互いといる時間はそんな感覚とは無縁らしい。
「夏も終わっちゃうんだね……。こんな場所があるんだったら、私、孝之君と花火したかったなあ……」
「さすがに夜出てくるわけには行かないもんな〜。って、ヘビ花火は明るいうちじゃないと見えないだろ」
「あうぅ……私だって手で持つ花火ちゃんとできるんだよ……。あの時はものすごく緊張してたんだもん……」
「あの時のケナゲな涼宮サンだったら、絶対線香花火っていうと思ったんだけどな」
他愛もない話。波打際に足跡を残しながら、流れていく静かな時間。
もしあの事故がなければ、3年前の夏の終わりにもこんな会話をしていたんだろうか。
あの日から、時折こうして浜辺にきては、並んで座って話をしてる。病室と違って、急に誰かが現れることもない。切り取られた窓から外を眺める必要もない。もうすぐ遙が帰ってくる、外の世界の小さな一部。
でも今日の遙はちょっと物静かで……何か考えてるようにも見える。
何かあったんだろうか、と聞こうとしたその矢先……
「あ、あのね孝之君……降ろして、くれる? ……ううん、座るんじゃなくて……」
オレは恐る恐るだったけど、遙の言うようにした。そして……
「ほら……一緒に……」
オレの足跡の隣りに、たどたどしくもつけられた……遙の足跡。
「遙っ! すごい……!」
歩きにくい砂の上を、オレの腕を取りながらといえ。
部屋の中でかろうじて歩いている姿は見ていたけど、今は……傍目には、彼氏に甘えて砂浜を歩いてる女の子にだって見えるぐらいだ。……本当に、遙のリハビリの努力には驚かされる。この分なら退院ももうすぐそこなんじゃないか……
「えへへ……今日はこれを試してみたかったんだぁ……。あのね、この間孝之君が私を抱えて歩いてくれたとき……なんだか孝之君ちょっと寂しそうだったでしょう? だから……」
……どうしてみんな、そんなにオレの表情みてるのかな……そんなに顔に出やすいタイプなんだろうか。
「1日でも早く、孝之君と一緒に、孝之君の隣を歩きたかったから……。前にも言ったよね、私ができることはそれぐらいしかないって。本当は、自分のためにしかなってないのかもしれないけど……」
そんなことはない。
確かに遙は自分の身体を戻すという、自分のためのことをしている。でも、それなのに遙が前に進んでいくことで、驚くほどたくさんの人のためになってるんだ。
自分が頑張ると、人のためになるということ──
「……なあ遙。おまえ退院したらやっぱり……絵本作家、目指すのか?」
「え?……うん。だって私の中では、ついこの間までの夢なんだよ。3年の時間は経ってるけど……それでも、本当にやりたいことだから、もう遅すぎる、ってことはないかなって……思うの」
えへへ、と照れながら笑う遙。
真面目なシチュエーションでも(うーん可愛い)とか思ってるオレも救いがたい……
……遙を本気で可愛いと思って告白しなおした3年前の夏。
あの時オレは、志望校を白陵に切り替えて燃えていた。……でもそれは「本当にやりたいこと」なんかじゃなかった。遙と、少しでも一緒にいられる時間が欲しい。遙が行くから、オレも行く。動機が不純でも、やる気になるんだからいいじゃないか。そう思ってた。
その後オレはどうするつもりだったんだろう。
今だってそうだ。遙は可愛い。元の世界に帰ってくるとき、オレが側にいてやりたい。オレが支えになりたい。でも……側にいるだけじゃ、本当に隣を歩いていることにはならないなんて、水月のことでわかってるはずなんだ。
遙が前を見て歩いていく。
オレが……前を見ると……そこには何が、あるんだろう……
「……それにね……私には歩いていくことしかできないんだと思う……。まだ外の世界のことも知らなくて、3年間眠ってたおかげで私の人生がどうなっちゃうのかだってまだわからない」
そう、どんなに笑顔を浮かべていたって、どんなに前を向いていたって、不安なものは不安なんだ。それこそ、オレなんかではとても想像することのできない不安が、まだ遙の前には存在しているんだ。
「でもね……それが全てわかるときなんてないんじゃないかなあ……いつか、少しずつわかってきた時に、少しでも前に進んでいれば……いいかなって」
そんな台詞、孝之君が隣にいてくれるって思えなかったら言えなかったけどね、とオレを見て付け加えた。
そのオレは、ここに来るまでに、とても大切なものをいくつも失ってきた。
その失ったものは、まがりなりにも3年間、俺が生きてきた証だったんだ。……望んで手に入れたものじゃないと思う。でも望んでいなくなって、水月に助けられ、少しでも歩けていたから……オレは大切なものを手に入れ、失い、そして今、ここにいる。
そうか。
祈ること。それは、人を祈りながら、自分のために祈ってた。
……でも、それでいいんじゃないのか? 自分のために一生懸命何かをして、それで初めて、人のためにできることが考えられる。
オレが遙にできること。それは、遙と変わらない。
3年間、弱さに頼って生きてきたオレが、自分のために、きちんと歩くこと……
ましてや今は、望んでいるものがある。
隣を歩いていきたい人がいる。
3年間の大切な人たちに、報いる方法だってあるかもしれない。
弱いオレだからこそ、わかる事だってあるかもしれないじゃないか。
少しでも前に進んでおくこと。
遙の隣りを歩むために、未来の可能性を少しでも増やしておくこと……
だったら……だったら、昔と同じ事を、なんて後ろめたさを感じる必要なんてない。
自分が、自分のためにできることをすることが……一番、遙のためになるのなら。
「……孝之君?」
「……遙、悪い。オレちょっと明日来れねーんだ。やらなきゃいけないことがあって」
「え……え、あ、うん。もう、大丈夫だよ。ちゃんとリハビリ頑張って待ってるね」
大丈夫、大切な、ことだから。
お互いに、それは言わないでも通じていた。
その夜、オレは駅で切符を買った後、帰宅してちょっとした計算をしてみた。日頃いい加減だったおかげで正確な計算はかなり大変だったが……なんとかなりそうだ。
後は親父の説得か……。でもこういうのはタイミングだ。
それに利用してるみたいで悪い気もするけど、実はあまり心配はしていない。親がオレを強制召還しなかったのは、自分の責任でやれという反面、どこかまだ期待しているところがあったからなんじゃないか……とも思ってる。
さすがに自分ひとりじゃ厳しい……からな。その後両親が派手に使い込んだという話も聞いてない。決意が伝われば……きっと、なんとかなるさ。生活資金まで頼るつもりは、ないからな。
これが正しい道かなんてわからない。でも、弱いオレなりに積み重ねてきたものが、決して無駄じゃなかったって示すには、これしかないんじゃないか。
遙を救い、俺や茜ちゃんまで見ていてくれた香月先生。
人の心を、人間関係を見抜いてしっかり流れを見せてくれる店長。
オレにはあんな積み重ねた経験はないけれど。
今からだってやっておけることがある。人の心が、何よりも大切だと教えてくれた3年を経験してきたからこそ、できることがある。
明日は会えなくてゴメン、遙。でもこれで、オレも歩く道が見えそうだよ。
堂々と、おまえの隣で。そこがオレに、できることだから。
2002年09月:9月枠で白陵大学教育学部入学
2005年07月:すかいてんぷる橘店フロアマスターに派遣待遇で就任
2006年03月:遙と共に半期早く教育心理学科卒業
2006年04月:S.T.セラピシス入社。企画開発部配属
2006年09月15日:8年越しの大恋愛は──
自分の行くべき道が、いるべき場所があれば。
一歩を踏み出すのに、遅すぎることは、ない──
「行こう、遙」
「……はいっ」
自分のいるべき場所へ向かって、できることを積み重ねていこう──