「あ、遙んトコってまだクリスマスツリー飾ってるんだ」
そう孝之が呟いたのは今年も最後、年越しを遙の家族と迎えるために、深夜涼宮邸のリビングへと足を踏み入れたときだった。
しかし、孝之の言葉がさほど意外そうではなかったのも無理もない。
数日前、彼が初めて目にした涼宮邸のクリスマスツリーは、ツリーといえばデートエリアの派手な巨木か、家庭の机に乗る程度のおもちゃしか知らなかった孝之に、改めて「身分違いの恋」という言葉を思い起こさせるに十分な存在だったのだ。吹き抜けのリビング(これだって普通じゃない)の二階に届きそうな大きさのモミの木に、煌きを抑えた瀟洒な飾り付けがなされている。しかも、よくよく見てみればこれが生木なのだ。
(こんなシロモノ日本で販売してんのか…まさか空輸じゃねーよな…)
あどけない表情で孝之の驚きを見守る遙に、孝之はそれ以上の質問はできなかった。恐らく、遙は孝之の表情の意味をもっと純粋に捉えていたのだろうから。
やがてクリスマスも過ぎた大晦日の今日、孝之の言葉に納得の感が篭っていたのはそんな理由だった。流石の涼宮家も、これだけ手間と金を掛けたであろうツリーをさっさと二十五日に仕舞ってしまうのはもったいないと思ったのだろう、と彼は読んだからだ。
「うん、クリスマスツリーって本当は六日まで飾っておくものだし」
そんな孝之の俗っぽい考えを、またしてもあどけない表情の遙が秒殺する。
はい?と説明を求めて振り返った孝之に、遙は自然な答えを返してくれた。
「クリスマス、って元々冬至のお祭りだったのは知ってるよね? 夜が一番長くなる日に、また春が来ますようにってお祈りをする日」
孝之もそれなら知っている───というよりは、クリスマスを二人で過ごした時に、遙が解説してくれたというだけのことである。まったく、クリスマスやら星やらおまじないやら、メルヘン系の薀蓄を語らせれば遙の右に出る者はいないだろう。──しかしそれもまた、あの夏を乗り越えた孝之が新たに知ることができた遙の一面かと思うと、孝之は改めて幸せを噛み締めてしまうのである。
ささやかな幸せにも自然と顔がにやけてくる孝之の表情に気づくことなく、遙は解説を続けた。
「それがキリスト教の文化と結びついてクリスマスが生まれたんだけど、元々はキリストの誕生日は一月六日だったんだって。それで、十二月二十五日から新年六日までをクリスマスシーズンってことにしたんだよ。だから、ツリーは六日まで飾っておくの」
孝之はそのツリーの上でキリストが生まれでもしたかのように、ほへーっ、と涼宮家のモミの木を眺め上げ、未来の絵本作家の講義に耳を傾けていた。
とりあえず二人はそこで一度話を中断し、リビングにいた彼女の御両親と軽く挨拶を交わす。もう孝之も随分と慣れたもので、年越しまで遙の部屋にいることを告げると、そのまま遙に先導されてリビング脇の階段を二階へと昇った。横目にツリーの上半分を眺めながら、心地よく響く足音が仲の良いリズムを刻んでゆく。
やがて二階で再開した遙の解説に、孝之はふと湧き上がった考えを素直に口にした。
「にしても随分詳しいな、遙……。あれ、遙のトコってカトリックかなんかだったっけ」
かなんか、などと本物のキリスト教徒が聞いたら十字架持って追い掛けて来そうな台詞を孝之はのんびりと呟いた。カトリックとプロテスタントは結構違うものだよ、と苦笑しながら、遙は少しピントのずれた恋人に答えを返した。
「ううん、別にそういうわけじゃなくって、実はうちのお父さんの趣味なの。一応ああ見えても文化史専門だし、こういうコトはちゃんと背景にある文化を理解してやるものだ、って言ってね。毎年クリスマスとか、復活祭とか、あとお彼岸やお盆まで、妙に張り切っちゃうんだよっ」
遙はそのときの父親の姿を思い起こしたらしく、更なる苦笑を浮かべている。
「私も茜もそのたびに毎年お父さんの講義聞いてるから、さすがに色々覚えちゃった」
そう言って笑う遙の表情は何処までも明るい。
しかし「ああ見えて」も何も、その専門はあの謹厳なお父様にピタリとはまるイメージじゃないか、と孝之は思ったが、あえて何も口にせずにおいた。まぁ、家族に対するイメージはまた違うのだろう。数年前に初めて涼宮家にお邪魔したときの孝之に対する妙な身軽さを思えば、確かにうなずける話だ。
人には幾つもの面がある、ということ。
遙はふと孝之が浮かべている不思議な表情に気付いた。
「あ、えと、孝之君、つまんない話しちゃった……かな」
「え、あ、いや全然そういうわけじゃなくてさ。人って色んな顔を持ってるんだよなぁ、って改めて思ってただけさ。どんなにその人を知ってるつもりでも、それでもまだ知らない面がある……ってね」
あの夏に触れた遙の力強さのように。最後の日々にようやく触れた水月の儚さのように。それがどんな面であろうと、誰かの新しい一面を知ることができるのは幸せってことなのだろう───一年の終わりが感傷を誘うのか、孝之は遙の細かな台詞一つ一つにそんなことを思っていた。
孝之の言葉に、遙はほっとしたような笑みを浮かべる。と同時に、その表情の何処かで、孝之が感じている感慨を共有もしたのだろう。遙はゆるりと口をつぐみ、孝之の顔を柔らかく見つめなおした。
「そうだね……。人はずっと同じでいるわけじゃないもんね。私、その人の新しい面を知るってコトは、変わり続けていくその人を追いかけていく、ってこととおんなじなんだと思うなぁ……」
遙は半ば独り言のように言葉を紡ぐと、たどり着いた自分の部屋のテラスの扉を押した。その手には既に椅子に掛けてあったケープを取っているし、孝之は外から入ってきたままのコート姿。二人はお互い改めて確認することもなく、そのまま自然に星降る空気の中へと足を踏み出した。
冬の闇は既に美しいまでに深く、都心には珍しいまでの星々が雲ひとつない天球に散りばめられている。限りなく細い月が冷夜に映え、その光はあくまで星灯りを隠すことはない。
と、遠く白陵の山あい、橘町の方向から、凍てついた空気をゆっくりと震わせる、重く心地よい響きが微かに伝わってくる。長年柊町で過ごした遙と孝之には馴染み深い横浜名物、橘港に停泊中の船が一斉に揃えて鳴らす「除夜の汽笛」だ。大晦日に残された時間もあとほんの僅か。この汽笛が百七回聞こえたとき、辛くも楽しかった一年が終わり、やがて百八つ目のひと吹きが未知の一年の到来を告げるのだ。
孝之は遙を寒さから守るかのように、そっと彼女の肩に右手を回した。反対側の手はそのまま、テラスの手すりを掴む遙の手に重ねられる。
「今年ももう終わっちゃうね」
「今年はフツーに色んな事があったよな」
遙が目覚めて一年余。運命の巨大すぎる罠のない一年は極々普通で、それでいて新たな驚きと、苦労と、幸せに満ちていた。大学の再受験。学力の落ちっぷりに愕然とした日々。茜「先輩」との大学生活。水月の帰還。茜ちゃんの告白。
「遙の言う通りだ。色んな出来事があって、人も様々に変わっていく───変わらない時間、変わらない関係が恋しくはあるんだけどさ、だけどそれすらもやっぱり幸せなんだろうな」
「うん、幸せだよっ。だって、変わり行く日々だって、永遠だから」
遙の言葉に孝之は目を見開いた。
遙が再び目覚めた夏の日々、孝之の感じた「永遠」を、彼は特に遙に伝えたことはない。それは孝之の心の中に刻み込まれた決意でもあり、誰かにわざわざ言うようなことではないと思っているからだ。
孝之の内心の驚きに気づかぬまま、遙は星空を見上げて言葉を続けた。
「クリスマスは太陽の帰りを願うお祭り。クリスマスツリーにモミの木とかを使うのは、冬でも緑を絶やさない常緑樹が昔の人には永遠の象徴に見えたからなんだって」
それは孝之もなんとなく聞いたことがある。
「人間って、やっぱ昔っから永遠を願っていたんだな。はは、変わってねぇ」
「うん……だけどね、クリスマスツリーの始まりには別の言い伝えもあるの」
これはお父さんの受け売りじゃなくて、本で読んだ話。遙はそう前置きして続けた。
「厳しい冬の森の中でね、暖かい家への道を急いでいた木こりがふと夜空を見上げたの。そこには氷と雪をまとったモミの木が、煌めく星々の光を受けて輝いてたんだって。それがあまりに幻想的で綺麗だったから、家族に見せたくて持ち帰ったのがツリーの始まり、っていうお話」
遙の言葉に、孝之は遠いクリスマスの記憶を蘇らせた。
遙が眠りについたあの年。遙へのプレゼントを探して走り回っていた彼が、ふと立ち止まって見上げた商店街のクリスマスツリー。これを遙と共に眺められたら。この世界を遙にプレゼントしたいと願った、あの日々を。
「永遠を象徴するクリスマスツリーが、同時に人を想う心の象徴でもある、っていうことなの。変わりゆく世界のひと欠片を、流れゆく人の心に刻むために……。誰かの心に残るんだから、やっぱりそれって永遠みたいなものなんだと思うなあ……」
確かに遙の言うとおりだ。──小さな幸せ、後悔しない日々を積み重ね、それをいつまでも持ち続けたいと願うこと──それこそが、あの夏に孝之が見つけた「永遠」だったのだから。終わりが来るまで認識できない永遠のような矛盾ではなく、こんな幸せを積み重ねてゆくことが大切なのだと。
それにしても、と孝之は思う。彼は改めて、夜空を見上げている彼の「恋人」の可愛い横顔を見つめなおした。
それにしても本当に、遙は不思議な人だ。
夢見がちで、メルヘンチックな彼女。どこか少し普通の人とずれていて、ボケた一面も持っている。おまけにあの事故のせいで三年間の眠りにつき、その心は孝之よりも三年分時の洗礼を受けていないはずなのだ。なのに、彼女は驚くほど冷静に現実を見据えているし、時折こうして人の心を見抜くような、物事の本質をさらりと言ってのける。
もっとも不思議なのは、ある意味優柔不断で、時に流されがちな孝之に、遙は明らかな目標と、気力を与えてくれる、ということだ。
それは家族や、慎二や茜のような友人、遙のご両親、そして水月ですらできなかったことなのだ。もはや、孝之は独りで思い悩むことはなくなった。相手に対して過度の遠慮や、自分を飾ろうという意識を持つことはない。ただ二人で考え、二人で悩み、永遠と呼べる時を積み重ねてゆく。
言葉を終え、微笑を浮かべて彼を見つめる遙と目が合った。
ああ、本当に遙となら、と孝之は思う。遙となら、共に歩いてゆける。苦しいこと、辛いこともあったけど、たくさんの人を傷つけたけど。だけど今、自分は堂々と胸を張り、永遠と想いを象徴するツリーの下を歩いてゆけるのだと。
「ああ、俺もそう思う。遙、それが俺達二人が作っていく、永遠ってヤツなんだと思うぜ」
二人はお互いの手を強く握りなおし、そしてゆっくりと今年最後の口付けを交わした。
ふと、遠く橘町の港から微かに聞こえていた除夜の汽笛が一瞬止み、やがてひときわ盛大な汽笛が太く力強く響き渡った。時刻、零時零分。
「あけましておめでとう、遙」
「うん、あけましておめでとうございます」
新たな一年の始まりを告げる汽笛の残響も星空へと吸い込まれ、替わって別の寺で撞き始めた鐘の音が聞こえてくる。彼らはやがて二人きりのテラスに背を向け、暖かい室内へ戻った。リビングに降りて両親と茜に新年の挨拶をしなければ。それから初詣の前に一眠りだ。
その時、前を行く遙が、孝之の方へと何気なくゆっくりと振り向いた。
「幸せな一年になるといいね」
遙の小さな呟きに、孝之は心から大きくうなずいた。
「ああ、どうか平和で、幸せな一年になりますように」
───WISHING YOU A PEACEFUL NEW YEAR.
激しくお久しぶりの維如星です。
お久しぶりの公開とはいえ新作ではなく大変恐縮ではありますが(^^;;、本作品は2002年冬コミで頒布したコピー誌の再録です。クリスマスカード風に仕立てたコピー誌はご好評を頂き完売となり、まぁそのデザインからしても再販はありません。が、某所より「公開して欲しい」との嬉しい声がありましたので、時間も経っていますのでWeb公開に踏み切りました。
以下に一応コピー誌時の後書きを載せておきます。言い訳作品解説はそこでしてありますので。
2002.12.コピー誌後書きよりこんにちは、維如星です。
神慮の機械よりのクリスマスカードを兼ねて、ささやかなコピー本を発行してみました。
そもそもこの話を書いたきっかけは、同時に冬コミで発行したオフセ本収録の「君が望む最後のひとかけら」を執筆後読み返してみると、当初の予定よりも大幅に遙の出番が少ないことに気付いたからだったりします(汗)。幸い同誌収録の他2話は遙メインなのでバランスが取れているといえば取れているのですが、一応本当は如星の一番好きなヒロインですから、こんな場で出してやろうと思い立った訳です。
如星の書く遙は、どうも
「完璧なる遙さん」 になってしまう傾向があるのですが、今回も雑学披露係としてその属性を遺憾なく発揮して頂きました。それでは、今回はこの辺で。皆様よいお年をお迎えくださいませ。
さて、日記には良く書いていますが、軽く近況を。現在はマブラヴの第一作公開目指して鋭意執筆中です。ちなみにこの短編は、次回作以降利用しようと考えているテンプレートのテストも兼ねています:) 皆様がご覧になっている環境で、不具合等ございましたらメール・掲示板等でご一報いただけると助かります。
とりあえずはこんなところで。
こんな作品でも、御感想いただければ幸いです。