白詰草話・プロローグ
花言葉の意味を
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さて、何が問題だ? 何を成さねばならないんだ?
僕はまた、同じ過ちを繰り返しているだけではないだろうか
───
「ミスタ・ツナカワ!」
不意の呼びかけに思考ループが切断される。
独特のアクセントと低い声質。プログラマチーフが何か問題でも持ってきたかと、無意識に身構えてしまう。だが今日の彼の笑みからすれば、廊下の徒然に声を掛けてきただけのようだ。
「鄭さん、どうしたんです? なんだか嬉しそうじゃないですか」
「環境反応系が偉く順調ね。先週のリビジョン2.06は大当たりかもしれないヨ」
「ああ、それは助かりますね、来月いよいよ移設ですから。搬送時に不安定なのは正直勘弁して欲しいところですし」
「そ。ツナの大切な『娘』だカラ私も嬉しいヨ。このまま巧く行けば予定通り……」
鄭さんは悪戯っぽそうに僕の目を覗き込む。
濃ゆいヒゲ面が浮かべる、不思議な人懐っこい笑みだ。彼の亡命に中国政府が暗殺者まで仕向けてくる程の天才だとは、一瞬信じられない笑顔。
「いよいよお子様『出産』ダネ。恭喜恭喜」
───そうだ。
試験型エクストラ、XGene300シリーズver.4.20。その最初の三体が、まもなく人工胎盤を離れて『出産』される。……と言っても、その姿は既に赤子のモノではない。彼女らの成長はヒトよりも遥かに速かったが、彼女らの不安定な身体は二歳児のそれを超えても、なお子宮から出ることは適わなかった。
その身体がより複雑なウィルスベクターに耐えられる五歳児相当になって初めて、環境系副作用を相殺する遺伝子コードの組み込みが可能となった。それはすなわち、間もなく……
「ああ、次回のリライトで対環境系は整合するんでしたね。……そうか、自力で外の世界を歩けるように……なるんだな」
「アレ。忘れてるハズないと思テタけどね。ツナカワの『親バカ』はミンナ知ってるのニ」
親バカ、という否定しようのない言葉に思わず苦笑する。
エクストラが「女性」しかも第一予想安定期が「少女体」と判明して以来、ウチの連中は多かれ少なかれ、XG-300の事を唯の研究対象としては見なくなり始めた。ま、中でも僕が飛び抜けているのは事実だから仕方ないな。
そう、僕たちの娘
───それが一番しっくりくる表現だった。
そんな娘の『出産』を忘れていたわけではない。ただ……あまり考えたくなかったのだ。
中央制御室の前でカードを取り出し、彼と別れを告げる。
山積みの課題に忙殺され、決め切れないでいた『案件』を彼に宣告されながら。
「再見ツナ、あの子たちの名前早く教えるヨ!」
あの子達の、名前。
「はは……本当に父親気取りだな」
自室のベッドに独り寝転がると、僕はため息と共に呟いた。
本来戦闘兵器として開発されている彼女らに、名前など不要だとする意見もある。だが少女の姿を取る彼女らを記号やバージョンで呼ぶことは、むしろスタッフの精神に悪影響を与えると懸念されたのだ。
……エクストラを「人」として扱う、か。
『やだなぁ、津名川主任以外の誰が名付け親になれるっていうんですか』
スタッフの全員が僕を事実上の親とみなしていたそう言った。
(もとい。せめて一人だけでも自分に名付けさせろと抵抗した上代がいたな)
だが僕は……自信は、ない。
かつて彼女らの基底遺伝子を選ぶ際、ただ優秀なだけの遺伝子を選ばなかったのは事実だ。欠損を持つXG-303を創りもした。あの時、今日この日のことを考えていなかったわけでは、ない。
だが、それでも。
自室の視界の端に映る、三十三枚の葉をつけた白詰草。
何が問題だ? 何を成さねばならないんだ?
僕はまた、同じ過ちを繰り返しているだけではないだろうか
───
短くかぶりを振る。
問題の考えすぎだろう。これは純粋な科学の研究だ。
それに……あの子達を僕は文字通り育ててきた。
一度も言葉を交わしたことが無いとは言え、その身体を見つめ、精神の鼓動を聴き、誰よりも彼女たちのことを知っている。それに相応しい「愛着」を持つのは自然な感情というものだろう
───そう考えると、ふっと肩が軽くなった。
「そう、名前だったな」
手持ちの蔵書をパラパラとめくり、思いを巡らせる。
「沙友……そうだな、これがいい」
感覚器、神経系に大きく手を入れた彼女。
不安定かもしれないけれど、
「沙=真砂」のように細やかで綺麗な心を持って欲しい
───そんな意味を込めてみる。ふと遠き日の友、倖の姿にそんなイメージが重なり、追憶を込めて「友」の文字をつなぐ。
ふむ。少し楽しくなってきたぞ。
僕の独断で追加した三体目のエクストラは「エマ」と名付けることにした。
最近見た映画に出てきた、可愛い子役の名前からだ。語源にしても「全て」を意味する力強さや、「競争者」という意味もある。先天性欠損を持つ彼女だけど、強く育って、他の二人と張り合える存在になって欲しいものだ。
そして……あと一人。
三人の中では最高の遺伝子特性を持ち、最もバランスと安定を追及した彼女は
───
思索を求めるように部屋を見回した刹那、今度ははっきりと視野にソレが映った。
白詰草。三十三枚の葉を持つ、僕の研究成果。
もはや生きてはおらず、特殊処理を施した上で不活性ガスに満ちたケースに収められ、今も僕の部屋の片隅で見つめるモノ。
冷や水を浴びせられたかのように。
「何を……何を僕は、無邪気にはしゃいでいるんだ」
問題はそこにある。成さねばならぬことは、まだ見えない。
娘たちの『出産』を考えたくなかった理由。生まれてしまえば、もはや引き返しの効かない時間。自らの都合で創り出したモノを、無邪気に育てることへの躊躇い。
「僕は……あの子たちに何を求めてるんだ」
戦闘兵器として練り上げられた研究。
偶然と必然がもたらした、少女という心有る姿。
彼女たちは間もなく、そんな矛盾をはらんで生まれてくる。
心を持たせる事を決定した、他ならぬ自分の手によって。
その時、自分は
───
「『透花』……それを、君の名前に」
透明な花。
神ならぬ手に組まれた遺伝子をもつ白詰草がもたらした、罪の証。
親だの娘だの、舞い上がっても。科学だの知識欲だの、大義名分を掲げても。
僕が君たちを生み出した意味と、向き合うために。
あの日の心を忘れぬために、君にその名前をつけよう。
「たとえそれが間違いだとしても」
見慣れた天井を仰いで、僕は独り呟いた。
「沙友、エマ、そして透花……」
僕は君たちを創り出した意味を、考え続ける。果てぬ問題を、問い続ける。
だから……
「生まれてくるからには、せめて出来得る限りの、幸せを」
君たちを育ててみよう。たとえそれがエゴだと分かっていても。
もはや引き返すことは叶わぬのだから
───
:EX計画「個体始動」まで、あと九日を予定:
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