夥しい血の臭いが、薄明の空間を満たす。
永く慣れ親しんだ臭いとは言え、それを心地好く嗅ぎ込めるのは戦場においてのみ。このような唯の殺人現場においては、その死の臭いは高揚とは正反対の感情をもたらすだけだった。
赤い尾を引いて崩れ落ちる女。
何の感慨もなく黒鍵を払う男。
辺りに生じた濃密な血煙は、あたかも光すら遮り、室内の時間をも押し留めるかの如く、その小さな部屋を支配した。
その対象に例外はない。
神速を以って飛び込んできた最速の槍兵。豪胆を以って知られ、死地においても怯まぬその英雄でさえ、この紅い空間を前にした瞬間、僅かな間ながらも硬直せざるを得なかった。……無論、血飛沫に怯む彼ではない。数多の凄惨な殺害現場に比べれば、この場はまだ美しさすら保っている。よって彼の足を止めたのは死の臭いではなく、死の臭いを纏う者。最速を以って任ずる英雄が、彼女を守ることすらできなかった、という激情に他ならない。
「マクレミッツ───!」
本来言葉よりも手が優先する彼をして、己が主の名を叫ぶことしか許さなかった精神の空白。それはほんの僅かな間であれど、一方でその死に何の感慨も持たなかった男が行動を起こすには、充分な空隙だった───
現界を終えきるよりも早く、彼女は直ちに意識を切り替える。もとよりサーヴァントとは戦争の具、現世から消滅するその瞬間まで戦闘態勢を解除することなどありえない。ならば、その開始が少しばかり早かろうと問題は無い。
そもそも悲願を遂げるその時まで、片時の安らぎすら我が身には許されぬ───図らずもその言葉を実践させられ、かすかに過ぎったのは自嘲の念だろうか。だが彼女にそれを確かめる余裕は無く、即座に状況を開始する。
(───
現界位置はマスター後方、空中二メートル。方針決定、落下の斬撃で敵の刺突を払う。
(
竜の衣と謳われた莫大な魔力を上空に叩きつけ、瞬息にて前方に着弾。全力を以って既にマスターの皮膚に到達した銀光を打ち弾く───
騎士とは主の盾にして剣。
その本分を直ちに証明すべく、セイバーはその最初の攻撃を現世に解き放つ。
「え─────?」
マスターの驚きの声を背に、聖剣と魔槍がぶつかり合った。文字通りの剣戟は高く、銀の練成の如く鳴り響く。彼女は主を襲った絶対の死を、己が英雄たる証として、事も無げに叩き伏せた。
「本気か、七人目のサーヴァントだと……!?」
彼女のマスターと同じく驚きを見せる敵の台詞を黙殺し、ほのかな月光が風王結界を透く。躊躇うこと無き踏み込みと共に彼女は剛剣を相手に見舞い、その煌きを火花へと置き換える───
血塗れた風が一陣、小高い丘を吹き抜けた。
男は、丘の上から赤い大地を睥睨していた。見渡す限りの赤い世界。空に掛かる昏い雲は揺るぎもせず、焼け落ちた木々はそよぎもしない。
再び、風が吹く。
死の臭いに染まったその風は、だが男の頬を撫ぜることもない。全ては虚しい夢の如く、風は男の肉なき身体を吹き抜けてゆく。
───否。
これは悪夢ではあっても夢ではない。恐らく万を超えるであろう、一面に広がる死体の海。その全てが、現実である。当然であろう、彼らを虐殺したのはこの男自身に他ならぬのだから。
ここに、抑止の執行は終了した。
素晴らしい。人の人たる禁を破った王、その下で人類を存亡の淵に追い込んだ軍。その全ては天から降り注いだ無数の剣に葬り去られ、人の種としての危機は回避されたのだから。ああ、これ以上めでたい話があろうか。
ぎり、と彼は強く奥歯を噛む。
世界より派遣されし肉無き身である以上、その音すら自分の滅ぼした世界には届かない。……自分が届けられるのは、ただ滅亡のみ。「 」から無限の魔力を汲み上げ、ただ己が身にて実体を侵食する幻想を作り出す。生前には考えられなかった夢の力。ああまったく、なんという
英雄は、その戦争に臨み、何を想い、何を願ったか。
磨耗する永劫の時の中で、己を英雄たらしめた誓いは、何処へ向かうのか。
彼らがその戦争の結末に見たものは、変わらぬ運命か、それとも。
───to be continued to,
ようやく終わりを見せはじめた長い冬。
その日、わたしは光と影の中───アーネンエルベで一人の下僕を待っていた。
from the Epilogue, "In Ahnenerbe".
お久しぶりでございます、維如星です。
久しぶりといいつつWeb短編ではなく、夏コミで発行予定の「Fate/daydream」の予告編というなんとも邪道なシロモノで大変恐縮ですが、ご参考になればと思い掲載いたしました。
今回は如星初の君望外でのオフセ刊行ということで、正直自分の書いた文体が奈須シナリオ読者様方に受け入れられるのか、もうまったくもって分からない状態。夏コミでガクブルしながら皆様の判定をお待ちしておりますので、どうぞご批判などお寄せくださいませ。
……あ、一つ宣伝。本の方ではキチンとバゼットさん出ますよー!(笑)