2001.12.24 11:00 A.M.
橘町の冬空はさえぎるものなく、蒼く、蒼く晴れ渡っている。
昼の空は地球に、夜の空は宇宙に属するなんていうけれど、こんな日の蒼穹は成層圏の色をそのまま通してきているような気がする。
風もなく、柔らかな太陽の光はそれなりの温かみを降り注いでる。
これで夜には雪になるかもなんて、ちょっと信じられない天気。
……待ちぼうけているには悪くない天気かもしれない。
「でも30分も早く来たのはやりすぎかなあ……」
待ち合わせは11:30。
ホントは朝から迎えに来てくれるはずだったけど、どうしてもモーニングだけでもって頼まれて、孝之君はバイトに寄ってから来ることになった。クリスマスイブの朝なんかに誰がファミレスでメシ食うんだ……ってぼやいてたけど、あの店長さんのお願いなら断れないよね。
(ごめんな遙……絶対遅れた分いっぱい……ぎゅ〜ってするから)
すごく困った顔して謝ってくれた孝之君も、でも責任感を忘れない孝之君も好き。だから、そんなに気にしなくてもいいんだよ。
でもちょっと時間空きすぎちゃったかな……
そうだ、お昼までまだ時間もあるし……板橋屋のいもきんつば買ってこよっと。
「……うー」
なかった……。
板橋屋は使ってるお芋が全然違う。それにすぐ食べられるように、さっと紙で包んで出してくれるのが好きだったのに……普通のきんつばもないなんて、ひどいよお……
……と。
気を取り直して、板橋屋のもうひとつの名物、たい焼きを買って行くことにする。
寒い冬には本当はこっちの方が人気で、やっぱりあんこに対するこだわりが普通のたい焼き屋さんとは違う。
孝之君も1つぐらい食べるかな……。私は3つ食べたっていいし、4つにしよう。
(また孝之君に呆れられちゃいそうだけど……)
なんかその特別なあずきの入荷が間に合わないとかで、今日はちょうどそれで売切れ。なんかついてるなあ……。えへへ、今日はやっぱりいい日なのかも。
「すまんねお嬢ちゃん〜。今日はあれで売り切れなんだ」
「ええ〜っ! ボクこれを楽しみにはるばる橘町まで来たのに……」
背後から聞こえた時ならぬ悲痛な叫び声に後ろを振り返ると、白いセーターの女の子が、雑誌を握り締めて店のおじさんに食って掛かっている。
あの雑誌……そうだ。こないだ板橋屋を「2001年最後のあずき100選」に選んだ雑誌だ。私の隠れた名店を載せてしまった、ちょっと恨めしい雑誌。今日のいもきんつばだって……
「うぐぅ……やっぱり今日はついてないよ……」
この世の終わりでも来たみたいに、がっくりと肩を落としてとぼとぼと歩み去る女の子。……ちょっと可哀想になってきた。
……うん。児童心理学を志す私としては、見過ごすわけにはいかないよねっ!
「あ、あの……ねえ、キミっ」
「……なに?」
「よかったら……私のたい焼き1つ、食べ……」
「食べるっ!!」
たじろぐほどの即答。見知らぬ人ってことはまったく気にされてないみたい。
キラキラとした純粋な瞳を潤ませて、まっすぐに私を見つめている。オーバーオールのせいか結構幼く見えるけど、もしかしたら私と大して歳は変わらないのかもしれない。栗色のさらさらとした髪にカチューシャが似合ってて……結構可愛い……かな。
それにしても……
……たい焼き1つでこんなにも人が救えるなんて……
このたい焼きがすごいのか、この子がすごいのか……ちょっと複雑……
私たちは駅前の陽だまりのベンチに腰掛けて、板橋屋のたい焼きを堪能することにした。
無意識のうちに、車道から離れたところを選んでしまうのは……しょうがないよね。
冬にしては暖かい日とはいっても、ずっと外にいれば寒くもなってくる。少しずつ冷えてきた指先に、たい焼きの温かさが心地いい。
「キミはこの後時間大丈夫なの?」
「あ、うん……えっと、人を待ってるんだよ」
一瞬目が泳いだのは気のせいかな?
「そうなんだ……それじゃ私と同じだね」
「ふーん……でも、ほんとにもらっていいの?」
「さっきお店で『はるばる』って言ってたよね。私は近くに住んでるから……また買えるから大丈夫だよ」
そこまで聞くと、女の子は安心したようにたい焼きにかぶりついた。
はぐ。
でも1つしかないのに気づいたのか、ふたくち目からはちょっと遠慮気味になる。
「……2つ目も食べていいから」
「ホント!?ありがとっ!! はぐ……うわーっ、やっぱり粒が違うねえっ」
「どういたしまして、……ええと」
なんて呼んだらいいのかな……
「ボクはあゆだよ。月宮あゆ」
「あ……ちょっと苗字似てるね。私は遙。涼宮、はるか」
「ありがとうはるかさんっ。きっとあんこつながりってやつだねっ」
「…………」
見ず知らずの他人なのに、全然警戒しない子だなあ。
私もつい釣られて苗字まで名乗っちゃったけど。
「あんこが好きな人に悪いひとはいないもん」
そう言い切って、マイペースでたい焼きを消費していく月宮さん。
ふと冷たい風が吹いて、思わず首をすくめる。
「月宮さん……結構薄着だけど寒くないの?」
「ボクはもっと寒いところから来たからねっ。これぐらいは寒いうちに入らないよ」
「そうなんだ……じゃ、旅行か何かで?」
橘町は港や中華街もあるし、欅町で乗り換えれば古都の街並みも楽しめるので、それなりの観光地にもなっている。……わざわざたい焼きの為だけに来たはずが……ない、って言い切れなくなってる自分に気づいてしまって、ちょっと苦笑しちゃう。
「うぐぅ……それは……」
……そう思って何気なく聞いただけなのに、月宮さんは口篭もって俯いてしまった。
「……はるかさんが待ってる人って……やっぱり彼氏さん?」
「……月宮さんもそうなのかな」
そう答えることで肯定する。
今日という日に、駅前のベンチでぼーっと座ってる女の子が、彼氏を待ってる以外のシチュエーションってのも思いつかないけど。
「ボクは……追いかけてきたんだ」
月宮さんはとつとつと話しだした。
些細な喧嘩をしたこと。そのまま彼は用事があるといって実家に行ってしまったこと。それが柊町だったこと。……悔しくて、でも謝りたくて、昨日何も考えずに追いかけてきてしまったこと。でも実家の場所なんて知らなくて……
「──でもね、あいつに電話したら……怒られたけど、でも今日ここで待ってろって。そういってくれたから」
昨日は桜町の先に住んでる親戚のところに泊めてもらったらしい。
「……でも、でもね。ボクが待たされるのは……別にいいんだ」
苦しそうな、辛い時間を思い出すような、月宮さんの言葉。
その小さな身体から絞り出される声としては、あまりに重い言葉。
「だって昔、ボクも、すごく長い時間、あいつを待たせちゃったもん……」
──トクン。
「どうしてボクこんなこと、はるかさんに話してるのかな……」
それはきっと……
「何年も、全てを忘れてしまうぐらい、痛い想いをさせて……」
月宮さんも私と同じことを感じているから……きっと。
ささやくような月宮さんの言葉を、そのまま引き継ぐ。
「……なのに自分はずっとそれに気づけなくて」
弾かれたように、月宮さんが私の目を見つめる。
私は、ふと苦しくなって空を見上げた。
どこまでも、落ちていってしまえそうな、蒼く抜ける空。
でも、私は、ここにいる。
「私もね、同じなんだ……昔事故にあっちゃって、何年も眠ったままで……」
今日偶然たい焼きを分け合った、それだけの人なのに。
何処かで会ったことがあるような、夢の中で会ったような、不思議な感覚。
「ボクも……ずっと眠ってた。それで……長い夢を、見てたんだよ……」
長い夢。辛い夢。大好きなあの人が、痛みに心を侵されていく夢。
「ボクは、夢の中で、あの人に会うことを選んだんだ」
「私は偽りの記憶の中で、昔の彼に会うことを選んでしまったの」
……似ている。
そしてその夢が、本当の幸せなんかくれなかったことは、月宮さんの表情を見れば分かる。何故なら、どんなに願っても、それはせいぜい幸せな夢にしか届かないから──
「なんか、不思議だよねっ」
「うん……不思議」
どんなに甘く幸せな夢も……
たった1日の辛い現実にすら、勝てないことを知っていたから──
「でも」「でも」
2人の声が重なって。そして、お互いの顔がほころんでいく。
「彼は待っててくれた。
……ううん、目を覚ました私を、もう一度、ちゃんと選んでくれた……」
「あいつは、ボクの願いを叶えてくれた。
夢じゃない、来るはずのなかった時間を、取り戻してくれた……」
「それは、願ってただけ?」
「……ううん。最後にあいつが……信じさせてくれたからっ」
願うだけじゃ、幸せは決してつかめない。
だって、幸せを願わない人なんているだろうか?
だから……私たちにできるのは……幸せを信じて、何かをすること……
そして私は、月宮さんの言葉に、ちょっと意地の悪い笑みを浮かべてみせる。
えっ?と途惑いの表情を浮かべる月宮さん。ほんと、コロコロ表情が変わって可愛い。
「月宮さん、彼が来てくれる事……実は全然疑ってないでしょう」
「えっ、うぐぅ、そっ、そんなことないよっ! だってあいつ意地悪だし、いっつもボクのことからかうし、女の子らしくないって言うし……」
「……ふふ」
慌てて小学生みたいな弁解をする月宮さん。……ほんとは何歳なのかなあ?
「……でも、クリスマスだもん」
え? 突然の予想外の言葉に、一瞬反応できない。
「あの時から……あいつ、ボクにいつも一番のクリスマスをくれてたから。止まってた思い出を、いっぱい作ろう、って。1年で一番、ボクを幸せにしてくれるって」
月宮さんは一瞬目を閉じて、そして、言葉を紡いだ。
「うん、そうだね。ボク、やっぱりあいつを……信じてるんだ」
晴れ渡った空。でも、街のいたるところに、クリスマスの空気が漂っている。ベンチの前を過ぎ行く人たちから、幸せの力を感じることができる。
私が夢に見て、そのまま……3年も夢のままだった、初めての孝之君とのクリスマス。
私の知らない1日を知っている月宮さんに、軽い嫉妬を感じる。
でもそんな気持ちは、今日という1日への期待の前に、一瞬で空へと融けて消えていった。
宇宙の色を溶かしたような空からも、暖かい光が降り注ぐ。
「私も……信じたよ……。ちゃんと毎日を積み重ねて、忘れないようにって……。だからきっと、私も……一番のクリスマス、もらえるよね?」
「はるかさん……えっと……うんっ。もちろんだよっ。だって……はるかさんの人も……来てくれるんでしょっ?」
そうして、ふたりで笑った。たい焼きのしっぽを口に放り込んで。
「はるかーっ!」
「あゆーっ!」
狙いすましたように、広場の向こうから声が届いてくる。
時計はぴったり11:30。……どちらも遅れてくる気はないのに、待たせてるというだけで走ってきてくれるのも、同じ。
「じゃ、はるかさんまたねっ! たいやきありがとっ!」
「月宮さんにも、幸せなクリスマスを、ね」
「その点では負けないもんっ!」
目でうなずき会い、そのままベンチを立って駆け出した。
今日この日があることの幸せを、私たちにくれた人のところへ。
『遅くなって、ごめんなっ!』
──夢見てるだけじゃ、だめなんだよっ!