神慮の機械・如星的日々の雑文

MACHINA EX DEO

如星的日々の雑文

今日の雑文:雑文十番勝負

お題:雨の街、出会い


「雨に濡れる彼女たちの日常」(遭遇編)
その日も、雨が降っていた。

もっとも、この雨の街で最後に雲の切れ間を眺めたのはいつの事だったか。
確か二年前、執政官来訪とかで環境局が強引に雲を打ち抜いた時だった気がする。

そんな僅かな空にしたって、それを楽しめるのは上層エリアに住める一握りの金持ちだけね。この辺りじゃ高層複合施設スクレイパーに散らされた太陽のお零れが微かに降り注ぐ程度。濡れたゴミの乾く嫌な臭いが立ち込めるに過ぎないわ。

この街に住んで数年、いい加減に慣れそうなものだけど……それでも、雨は嫌い。
私の身体はほとんど雨を感じないけれど、義体に残った僅かな魂が湿って腐っていくよう。背中まで伸びた髪は軽く束ねられたまま重く濡れ、頭皮に掛かる重さがその存在を不快に主張する。それでもこの髪を切ることなど考えたこともない。この雨に感じる嫌悪感だけが、私がまだ生きてるってことを実感させてくれるのだから。……ホント皮肉なものね。

一年の大半を、巨大複合施設コンプレックスの熱が生み出す雨雲の下で過ごす、この穢れた街。
快適、という言葉の対極に位置するような世界であろうとも、私がこの髪を切らないのと同様に、私がこの街を出て行くことはない。もうこの街しか、住める場所はないのだから。


遥か上方を眺めていた視線を足元に戻し、私は刀の血を払い、鞘に収める。
そうね、この世界が私を必要とする限り、穢れた世界が私のクレジットを満たしてくれる限り、この雨からも、この身体からも、この仕事からも……逃げることなど望みもしないし、叶いもしない。

後は狭くて安全な寝床に帰り、熱いシャワーを浴び、ソイパックを喉に流し込んで眠るだけ。
それが、今の私の一番の願い。


……そのはず、だった。


だから私が彼女に目を止めたのは、奇妙な偶然の悪戯に過ぎない。

降り止まぬ雨脚の中。
彼女は身体に似合わぬ四角い大きな鞄と共に、ステーションの隅の瓦礫に腰掛けていた。

綺麗な子供。
それが彼女の第一印象。年の頃はまだ10歳程度だろうか。
お嬢様然としたショートカットは、濁った雨に打たれてなお濡れ鴉の様に美しく。その白いワンピースは薄汚れてすら、この穢れた世界と彼女を隔てているかのようだった。

この汚れた界隈では珍しい少女。と同時に、この歪んだ世界が産み落とす良くある光景。それは「曰くつき」という名を持つ事象の具現であり、賢き者は関わらぬだけの知恵を持つ。

だけど。

……誰かを待つ風でもなく、不安に怯えている風でもなく、ただそこに座っている彼女。
そんな彼女に近づいたのが、私の気まぐれ。奇妙な偶然の、悪戯。

「こんなところで何をしているの?」

気まぐれから出た私の台詞はただの興味、それは意味のない言葉の欠片に過ぎない。
それなのに、

「……何も決めてないの」

雨の雫を縫うような澄んだ声。
彼女の答えには「意味がない」という明確な意味がこもっていた。


降り止まない雨。不意に水と音が私の脳を包み込み、狂わせる。
記憶の霞に蘇る光景。綺麗で忌まわしい想い出、終わりの始まり。
焼け付く頭を振り払うように、何故か私は自然と低く呟いた。


「そう。……なら、私が決めてあげる」


それは数年前、一人の男が私に向けた台詞。
知識と、金と、人を斬るチカラ。この私が生きてゆくコトを学んだ彼が、遠い雨の日に私を拾った言葉。

彼の理由は今でも分からない。分からなくてもいい。
だから私も分からぬまま、言葉だけが零れ出る。


「私があなたを───」

それが、始まりだった。


彼女が私の部屋に住み着いて4年。今も日々は大して変わらない。
お互いに依存はしていない。義務もない。彼女が部屋にいる理由もない。
彼女は夜の街で、私は鉄と血の狭間で仕事をこなし、クレジットを増やし、生きている。

泥の臭いと血の匂い。カネの汚れと権力チカラの腐臭。
この街には相変わらずの雨が降り、世界の穢れを押し流してゆく。

ただ一つ変わったことは。
ソイパックを喉に流し込んで寝る前に、彼女の寝顔を眺めるようになっただけ。
あの日私を見上げたその瞳が、優しく緩く綴じられている様が、不思議と私の心を安らげる。

あえて理由が必要なら、それで充分、ね。


……さ、仕事の時間。
水溜りを踏み締めて、今日も私は闇を駆け抜ける──
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