VERBA VOLANT, SCRIPTA MANENT.
よくねぇよ。薄倖の美青年を気取っても顔のくどい男にゃ似合わんのである(何)。
……と言うわけで、実は風邪で倒れて3日目です。2日前の夜に妙な胃痛がして以来、頭痛と胃痛でのたうち回っております。熱が出ないので本当に風邪か怪しかったけど、あまりの胃痛に止むを得ず医者に掛かったら、風邪だからって熱が出るとは限らんと諭されてしまいました。南無。
如星は胃腸は強くて、普段風邪を引いても食欲だけは落ちないのです。今回も「食欲は」全然落ちてないですが激しく胃痛。モノが食えないという久しぶりの体験で、薄味の雑炊とポカリなどをすすること3日目。旨い物を食うことが生き甲斐のよーな如星には拷問のような日々であります。嗚呼、俺ってこの上病院食とかだったら本気で首吊りかねませんな。
寝ても寝ても眠れるという辺りが本気で風邪なんだなと思わせる昨日今日だけど、さすがに今日の昼間など少々寝疲れることも。ベッド上に巨大ビーズクッション(通称げまくら)を置いて持たれかかると、病院ベッドのように上半身を起こしたまま楽にしていられる(いわゆる病室遙さん状態)ので、ちょいとノートPCを叩いたり本を読んだりできる体勢を整えてみた。
こんな時こそ積読を消化しよう……と手を伸ばしたのが同人誌の山。中でも一番の根雪となっていた昨年夏コミ購入分のマリみて本・厚さ10cm程の消化に取り掛かる。……ええ、如星は結構買った同人誌を半年かけて消費したりしますんで(苦笑)。 しかし、こうして積み上げた同人誌をのんびり消化するってのは、如星にとって大変贅沢な時間の過ごし方である。オフも慌しく過ごすのが常なもので、逆にこういう時間は真面目に作らないといかんなぁ、とは思ってるんだけどね。ま、風邪を引くのにも、一つぐらいは良い事があるってコトなのだ:)
そんなこんなで数十冊のマリみて本を一気通貫。実は如星の中では、マリみては割と終わった作品扱いだったりする。最近のもつまらないわけじゃないんだけど、物語としては「いとしき歳月」、ないしは「レイニーブルー〜パラソルをさして」辺りで終わっていて、それ以降は残りの世界観を消費して描かれている後日談というか、悪く言えば(読み手側も)惰性で続いている感じがしてしまう。ま、良くも悪くも普通の少女小説になった、という感じだ。
しかし、今日こうして去年の夏頃の作品をまとめて読むと、なんともこう、いばらの森に絡んだ聖・栞・志摩子のトーンや、あるいは卒業された三薔薇様方の掛けあいなど、その物語が一番面白かった頃のイメージがフワリと浮かんできて、えも言われぬ懐かしさを感じてしまった。いや、懐かしさというよりは、ああ、この僅かな冷たさを孕んだ空気が、如星をマリみてに惹きつけた理由だったのだな、と再認識したと言うべきかもしれない。本気でマリみてで何本か短編を書こうと試みてた(残骸は今でも残ってますがね……)頃を思い出し、それを書き切れなかったことをちょっと悔やんだりもする、そんな心地好いマリみて的小一時間。ああ、同人読みってのもホント、幸せな時間の使い方なのだ。
同人漫画とそれに伍する小説手法、というネタも浮かんだけど、それはまた健康になってから後日。
今日の一滴="−−−−" (2005/01/26)
あー。そういえば。当「神慮の機械」で発行した君望小説本は今全て在庫0の絶版ですが、「過去作品・表紙再録&加筆修正&若干書き下ろし本」とか出したら、欲しい方どれくらいいらっしゃいますかね……?
ちょっと如星的君望創作活動の記念で、採算度外視でちょろっとそんな本を作ってみようかとか思っていたりするのですが、もちろん「欲しい」と言ってくださる方がいらっしゃる方が作り手もモチベーションにはなりますので:)
今日の一滴="−−−−" (2005/01/28)
よーやく復活です。少しずつ真っ当な娑婆のメシ(笑)を試しながら胃慣らし中。
映画版「オペラ座の怪人」を早速観賞。
……実に素晴らしい出来。これなら原作ミュージカルファンも納得の域を越えて楽しめる。舞台を越えたというのは言い過ぎだと思うけど、映画でしか成し得ない映像表現、という謳い文句は流石で、新たなウェバーの世界、と言っても良い作品が描けている。噂のオープニング序曲シーンで一発目からその御技は披露されていて、あのシャンデリアの吊り上がるシーンには背筋が震えるような衝撃を叩き込まれる。舞台と違ってアップ映像が使えるということで、映画オリジナルで入れられた「黒リボンが結ばれた怪人のバラ」も小道具として実にいい役どころを担っているし、舞台裏の映像を挟むことで「オペラ座」が生きた姿で展開される。原作小説を読んだことがあれば、怪人の過去以外にも、ささやかだけど「合わせ鏡の迷宮」なんかも登場してニヤリとするシーンも。
この映画、まずオープニングの序曲を聞いて感じ、そして最後のスタッフロールが終わって真っ先に呟いた台詞は「ウェバーは神」だった。やはり何よりもアンドリュー・ロイド・ウェバーの音楽に圧倒される映画で、このサウンドを劇場で聴けただけでも来て良かったと思えてしまう。序曲の音楽だけで魂を揺さぶる力、ラストの怪人・ラウル・クリスティーヌの三重唱など「音の妙」という言葉を具現化したような音色、これは過剰に歌詞に頼って適当な旋律を重ねただけの安易な曲ばかり聴いてると忘れてしまう、
ただそれは逆に言えば、全てのシーンもそうだし、映画で追加されたシーンも「ウェバーの世界を見事に表した」という評価を受けてしまうということで、ある意味監督には酷な映画かもしれない。上で書いたように追加シーン、追加表現が実にハマっているおかげで得られる「監督GJ、ウェバーは神」という評価が、監督からして悔しいのか本望なのかは分からないけどね。
というわけで、原作ミュージカルファンにも、オペラ座は未見なミュージカル好きにも堂々とお勧めできるし、ゴシック好きや18世紀被服好きも映像面で大満足できる一作でした。冒頭の「戸田奈津子」の文字列には思わず首がへし折れるほどのけぞったけど、まぁそれ程酷い訳も見当たらず。 ただし、以前「Chicago」の評でも書いたけど、全編台詞が英語の歌詞として進んでいく進行が辛い人は、話題作だからと言って見に行くと死ねるかと。これは映画とはまったく別の問題だけどね。
ちなみに今日の表題はドイツ語版「オペラ座の怪人」。ドイツ語のカタい響きがオペラ座のゴシックトーンに実に合うので、機会があれば是非一聴をお勧めします:)
どーでもいいんだが、映画終わって劇場出る前に、「俺すっかり寝ちまったよ」ってのを自慢気に連呼する奴は何が言いたいんだ?
いや批判するなと言うのではなくてさ、面白くなかったとか、ココがツマランかった、とか言うなら全然問題ないんだけどさ。……なんか子供が悪戯を自慢しているような、映画に熱くならないオレカコイイ?カコイイ?と連呼してるよーな幼稚さには呆れちまう。まぁ、よくいる手合いなんだけど、映画見終えたばかりのコチラからすれば大変萎えるんで、そーゆー馬鹿を連れに晒したいならラブホのベッド辺りでせいぜい安っぽくやってくだされ:p
今日の一滴="日本酒:" (2005/01/29)
そういえば昨晩はぶどうさんの案内で季菜@青山へ。最近ぶどうさんが色々と店を開拓してくれるので、新規開拓サボり気味の如星としては大変楽で良い(笑)。本当は自分の足と舌で拓くのが一番なのだけど、凡百の二次情報とは違い、信用している舌の持ち主の紹介というのはやっぱりとても効率の良いものなのだ。
さておき、久しぶりの和食。何と言うか「今時の小洒落た和風ダイニング」な店の造りだけど、そういう店の一般的なイメージとは異なり、出す料理は「和風」ではなく真面目に「和食」であった。今回、白子から筍の山椒焼きから海老しんじょ、和牛に至るまで幅広く手をつけたのだけど、どの皿も丁寧な味わいで、どれも安心して頼めそうな点はポイント高し。味がしっかりしていてこそ、雰囲気も楽しめるってモンだしね。……いや、それにしてもこの筍の旨いこと。五臓を洗い流すような鮮菜、というのを久しぶりに食べた気がする。うーん、胃袋復活初日にこんな旨いもの食っていいんでしょうか:)
合わせてぶどうさんの持ち込んだ日本酒「鶴翔 純米大吟醸」を。日本酒には珍しい微発砲酒で、蓋に「危険」の札が下がった一升瓶というのは初めて見た(笑)。まさにシャンパンのようにシャンパングラスに注いで頂いたのだけど、日本酒を飲みつけない如星にも文句なしに旨い。米の味がしっかりとしていても、あの嫌な合成的な甘みはなく、炭酸が飲み口を更に良くしている。うーむ。
この店、フロアによってかなり性格の変わる店ということが、後ほど店内ツアー(?)をして分かった。普通にふらり少人数で来てもいいし、ちょっと大人数のオフでもなかなか良さげな個室も発見。この手の雰囲気と味が両立できてる店というのは結構貴重であり、いやいや、今日はマジでぶどうさんに感謝。
outsider reflex経由で、Paul Graham "What You'll Wish You'd Known" の邦訳。
名文。高校生向けと言いつつ、これは二十歳を過ぎても十分に、人生の指針足り得る。
「昼間の仕事」
や「反抗は服従と同じくらいばかげたこと」
なんて台詞は、日頃考えていることを論理的に形にしてくれたなぁ、という感じだ。特に、型にハマるのが嫌だと言いつつ、型の中で評価されることを無意識にせよ求めてしまうよーな人々は是非耳を傾けてみて欲しい。何を優先して考え、何を従と見なすべきか──判ってても実践できないことではあるけども。
Paul Graham, "What You'll Wish You'd Known"難しいということは、不安を感じるということだ。自分が作っているものが上手くいかないかもしれないとか、自分が勉強していることが理解出来ないんじゃないかという不安を感じていないなら、それは難しくない問題だ。ドキドキするスリルがなくちゃ。
この言葉は、話の最後で「好奇心」に繋がってゆく。言い換えれば、不安の踏破こそが好奇心なのだと言えるかもしれない。うーん、巧いな。
今日の一滴="−−−−" (2005/01/30)