VERBA VOLANT, SCRIPTA MANENT.
この1週間ほど、twitterのタイムライン(TL)もWebで眺める程度、自分の発言をメモする一方的発信ツールとして使っている。IRCも控えめ、御用があればメッセにて……というモードだ。いわゆる「無線封鎖」である──発呼側じゃなくて入電封鎖ではあるけれど。
元々コミケ原稿シーズン等にやっていたことではある。やはりチャットというのは着想力には効くけど集中力には阻害要因となるからだが、それだけに留まらない「悪影響」があるかもなー、と思えだしたのが最近の無線封鎖の理由だ。
別にtwitter等だけに留まらない。PCに向かっている時間のうち、誰かがブログ更新しないか、mixi日記更新でもないか、IRCで面白い話題でも流れないか、TLが盛り上がらないか……等々、だらだら口を開けて情報が落ちてくるのを待っている時間が驚くほど長いことに気づいたのだ。おまけに当然のことながら、待っている時間の割りに情報量は少ない。密度の薄ーい情報に反応するオートマトンみたいな状態になってしまっているわけだ。更にPCというツールの特性上、口開け状態で他に大したこともできない。これってテレビの「ながら」見以下だよなぁ……。
とは言え、雑多なノイズの束として流れてくる情報は、やはり楽しい。楽しいだけでなく、その中から漠然とした集合体としての「知識」が綿飴のように拾い集められ、漠然とした状態のまま脳内に溜まっていくので、いざ思考を開始するとその漠然とした膨大な束を思考材料に使えるのが良い。これは「集中的に対話をせずに」参加できるIRC、twitter等の最大の果実だと思う。最初にも書いたが、「着想力」の部分には本当に効くのである。
その一方で、密度の薄い情報流量に馴らされてしまうと、流れている情報が所詮その程度、という前提認識を脳味噌が持ってしまうようだ。入電封鎖を開始して1週間、むしろ時折読むブログ記事等の本当に言いたい部分、骨子がクリアに読み取れるようになってきた気がする。つまりこれは、今まではあまりに「流し読み」に慣れすぎてしまい、まともに文意を追っていない状態に陥っていたことを意味する。密度の薄いSpoon-fedは危険だなと思う次第だ。
結局のところ、昔ながらの知恵──人間、時には耳をふさいで思考せよ、という以上の行動指針は無いのかもしれない。ただ、最近思うのは「時には」ではなく「むしろ長く」、つまり情報を元に思考する時間は摂取する時間より長くせよ、とまで推し進めた方がいいのではと思っている。いやこれも一昔前なら自然とそうなっていたはずなのだが、今はIRCなりtwitterなり、そしてブログなりの更新を追う事で、常時何かしらが流れ落ちてきている状態に簡単に染まれてしまうわけで。かといって一方的封鎖では広がりもなく、本当にバランスって難しいもんだと痛感する。未だ、試行錯誤中である。