MACHINA EX DEO
如星的茶葉暮らし
【2002-12-10-火】
◆
日記を書く習慣を取り戻すのは意外に難しいのだろうか……
というわけで若干の気合と大幅な現実逃避を兼ねて日記再開してみますた。
◆
11月末に送付した冬コミ本の表紙校正印刷が届く。
印刷所の営業時間ギリギリに帰宅したんだけど、何となくコートも脱がずに開封して査閲。
……フォント指定壊れてるじゃん(;´Д`) その場で開けてヨカッターヨ…
遅れるのは嫌だったので電話受付終了2分前という鬼な時間に速攻電話して確認。イラストレータ入稿だったのだけど、印刷所の対応フォントリストにある分はアウトライン化せずに送ったのが原因の一端。とはいえ、本来それで問題ないはず。こっちだってわざわざ別のPCで開きなおして確認したというのに……。おまけに「フォント名は出ているが、どのフォントがどの個所に使われたか分からなくなっている」「こちらでも原因は不明」と妙に当を得ない担当サマ。うーん。
議論の時間はもったいなかったので、総アウトライン化して再送すれば宜しいスか?と聞いたところ、今FTPして完了と共に連絡すればその場で確認してくれるという。もちろん快諾して作業→あぷろど→完了通達→折返し電話待ち→担当から連絡がきて最終確認。印刷所の対応は結構スムーズに流れ、そのフォント壊滅以外は問題ない旨伝えて、終了。
なんか印刷所としてのデジタル技術レベルには若干の疑問符がついたものの、総じて電話応対、トラブル対応がキッチリしていたので悪感情は全然湧きませんですた。まぁ同人屋を扱う印刷所なんてこの手の話には慣れているんだろうけれども……顧客と触れる面での対応如何で、技術的な不手際もしっかり回復可能だという事実の証明みたいな一件でした。好印象。
【2002-12-11-水】
◆
ダン・シモンズ
「エンディミオンの覚醒」読了。
「ハイペリオン」「ハイペリオンの没落」「エンディミオン」に続く、ハイペリオンシリーズ完結編。
しかしながら……
ハイペリオンの続編としてはイマイチでした。一SF作品として評価すれば、文字通りの
憧憬すべき世界感に溢れるSFであり、そこそこ良質の作品、と評価できるだけに残念。
特にハイペリオン読者かつエンディミオン未読者の為に付記。
「エンディミオン」、そして特に「覚醒」では、「ハイペリオン」で創り上げられた物語が
あっさりと引っくり返されてしまう。「あれは勘違いだった」「これはそういう意味だった」の連続で、こと「ハイペリオン」を愛していた人間ほど萎えてしまう。これは作者自身必死で弁解しているらしいが、本文以外で弁解されたって面白みが1mmだって戻ってくるわけではナイ。思うに、エンディミオンは元々出すつもりなかったんじゃないかなぁ? ハイペリオンが売れたから続編を書いてみますた、というレベルで、物語としての完成度はハイペリオンに遠く及ばないしね。
#世界連邦CEO、マイナ・グラッドストーンは私的SF史上1、2を争う好きなキャラなだけに、ハイペリオン結末部での彼女の行動がかなり無効化されてしまったのが特に残念。
これが単一のSF作品としても「そこそこ」に留まる最大の難点は、主人公二人組・エンディミオンとアイネイアーにあると思う。なんせ主軸で語られるストーリーを一言で語ってしまえば
「救世主の女の子とボンクラな男がイチャつきながら愛で予定調和の世界を救ってウマー」なのだ、これが。アイネイアーが「私は救世主じゃない」「未来は見えるけど定まっていない」と不自然なまでに連呼する辺り、作者も予定調和に過ぎる面は気づいていたんだろうが、まぁ焼石に水と言ったところ。「ハイペリオン」の、巡礼達の様々な人生を絡み合わせて大河と成していく完成度の高い物語とは比べ物になりませぬ。またチベット仏教や禅に正面から踏み込んで行った勇気は評価するけど、あの程度で公案や、ましてや悟りを語られても胡散臭さが鼻についてしまい
(ま、「ハイペリオン」でのジョン・キーツ崇拝が多少鼻についたのと同レベルかな)、話に没入できないし。
一方で、肉体の復活を実装したカトリック教会による宇宙支配、という「エンディミオン」の構図は確かに面白い。肉体の復活を大前提とした「乗員が必ず死ぬ」大天使級超高加速艦や、復活して再選され続ける教皇、エネルギーランスを装備したスイス衛兵等々の世界設定、その上で動く神父大佐や枢機卿達の人間臭い行動は、確かなセンス・オブ・ワンダーを感じさせてくれる。裏を返せば、
教会下での平和の表現や、教会辺境外に住む蛮族
(扱いの)アウスターの遺伝子改良や、彼らが築くバイオスフィア・樹木によるダイソン殻、エンディミオンが巡る異世界の描写、及び周辺キャラクター達のサイドストーリーが、
主軸物語の欠点を補ってくれている、ということでもある
:p
帯に「性欲にも似たSF欲」とあるだけの世界が堪能できるのは間違いない。
だが「ハイペリオンファン」にこの一冊を勧めるかと聞かれると、かなり微妙な線といったところか。
【2002-12-12-木】
◆
個人メモ:
レッシグたんのお話@東大ビジネスローセンター。ふむ。
ま、著作権は誕生以来絶えることなき論争の対象でもあるし、現状相当ガタの来ている権利法典でもある。しかしこれを時に神聖なる不磨の大典とし、時に自らの都合に合わせていぢり倒す「著作権ビジネス」という連中が話をややこしくしているのは確かだろうなぁ、という感想。『ミッキーマウス保護法』はもはや笑えないジョークと化しているし
(アメリカの著作権有効期間は、ディスニーの著作権が切れそうになるたびに延長されている。ディズニー・ロビー強しといったところか)。
追記:
などと言っていたら、当のLawrence Lessig氏が日本に来て講演してたらしい。タイムリー。
とりあえず
これまでの産業では、無料は売上げを脅かす存在と考えられている。しかし、Lessig教授は、たとえばCD100枚を無料で提供することはCD100枚の売上げを減少させるためゼロサムゲームとなるが、インターネット上では状況が異なるとしている。
レコード業界は、CDの売上の5倍のファイルが無料でダウンロードされたため、CDの売上げが減少したと主張しているが「5倍もの無料ダウンロードがあるのに、実際の売上げの低下は約5%に留まっており、本当に影響があるならもっと売上げが減っているはずだ。IT業界と比較した場合、IT業界全体の売上げの低下率の方がずっと大きい」と指摘し、CDの売り上げ低下は景気悪化による影響による部分が大きいと分析した。その上で、ファイル共有といった新しい技術やアーキテクチャが、未熟な法律により抑止されることは、技術革新の機会を奪うことになり、結果として大きな機会損失となると懸念した。
INTERNET Watch, 2002/12/12
(emphasized by luxin)
あたりは基本として拾っておこう:)
この講演、SoIで動画公開されるらし。メモ。
【2002-12-13-金】
◆
以前「卒論・修論締切りまでの平日数をIRCのtopicにするスクリプト」を書いた。現実的な行動可能性ということで、土日・祝日は計算に入れてないのだけど、そろそろ「三が日を祝日指定からはずしますか?(y/Y)」という時期でアル。
……が、ちょっと数えてみると既に正月を稼働日に入れた日数が表示されているではないか。慌ててスクリプトを見直したら……
祝日計算の部分が単純な構文ミスで飛ばされてますた。てへり。こういうことってあるもんですなぁ。
というわけで申し訳ないが後輩卒論諸氏並びに同期修論諸氏、昨日に比べて
一気に5日減っているがご容赦を。さて最初の質問に戻るんだけど、
(ここから)三が日を祝日指定からはずしますか?(y/Y)
◆
飯田橋にあるKバー@アグネスホテルで飲む。
最近急に酒の道に目覚め初めたみすと氏を
一挙に悪の道に引きずり堕とすべく交え、いつものぷく氏と三人で。酒に限らず趣味の道は似たようなものだけど、ひとつの趣味の中でも「自分の好みのライン」ってモノがある。ここで巧い先人
──自分のラインを押し付けたり、まぁやってみろという勧誘上最低の台詞を投げたりしない先人
──がいると、その好みを探すという最初のステップが非常に楽になるのだ。幸い、酒の道は「バーテン」という一流の堕落業師が存在しているわけで、我らも自分が教わってきた彼らの流儀に倣ってみたり、あるいは「バーテンの使い方」を教えればよいわけだ
:)
みすと氏はアイラモルトを「匂いは凄いが甘味はわかる」と言って飲んだ辺り、なかなか将来有望のようである
( ̄ー ̄) 今後に期待しましょう。
このKバーはジャズピアノ等の生演奏が楽しめるらしく。
隠れ家的ホテルの半地下にふさわしいこじんまりとした作りで、今回座ったテーブル席もゆったりと居心地がよい。酒の揃いも悪くないし、キャンドルライトの灯りがやがて始まったピアノの弾き語りを堪能するに程よい揺らめきを提供してくれる。
今晩は思いがけずビリー・ジョエル「Piano Man」が流れ出し、初老の男性が歌い上げるアメリカ的な郷愁にしばし浸る。この曲は高校生のころに聴いて、初めてバーというものに
(その歳で)非常に枯れた憧憬を抱いた思い出深い曲なだけに、今こうしてグラッパを傾けるようになった自分に積もった時間にささやかな感慨を覚えたり。後で聞けばその場の三人共が、一曲は「自分の心の何処かをヒットした曲」があったらしい。うーん、やっぱ枯れた音楽っていいものだ。
気心知れた連中と過ごす、幸せな、幸せな、金曜の夜。
【2002-12-14-土】
◆
「驚異的な世界観(SofW)」と「設定厨」は何が違うのか。
映画でも、小説でも、ゲームでも、アニメでも、「世界観」という言葉をよく使う。如星はその世界観が極まった形が「センス・オブ・ワンダー」になると考えている。一般にはもっぱらSF用語として使われているらしいので、ちょっと世間の持っている語感とはずれているかも。その辺り御容赦。
確かに、緻密かつ大胆に練りこまれた世界観は人を感動させるし、圧倒されるような未知の世界へと引きずり込まれる快感は何物にも代え難い。しかし、これを勘違いして生まれるのが
「設定厨」と呼ばれる連中だ。作者の脳内に広大なる世界を設定する、そこまではいい。だがそれを作品に落とした時に、ひたすらその世界の説明文で埋まっている作品
(世界の単体暴走)が出てきたり、逆に作者の脳内を知る由もない受け手には理解のできない作品
(脳内厨の書込不足)になっては何の為の「世界」だろう。
SofWの代表供給元であるSFで言えば、シモンズの「ハイペリオン」やホーガンの「創世記機械」、大御所クラークの作品など、あたかも現実であるかのように描かれた未来世界は魅力だ。だが、どの作品もその上に「その世界ならでは」の登場人物が踊っていて、舞台設定ならではの起承転結が用意されている。
同人物書きが見上げたときに浮かんでいる奈須きのこだって、「空の境界」は底知れない世界設定の中から生まれているけど、読者を引き込んでいくのはシキであり、コクトーである。見てみるといい、最初の1章で彼らの魅力に引き込んでいる辺りは流石巧いもんだ。
あるいは、アンライス「ヴァンパイア・クロニクルズ」を見るといい。ローマ帝国時代から20世紀に至るまで流れ続けるヴァンパイアの細かな設定は、永遠の生を強要される彼らの苦悩と美への執着の小道具でしかない。
結局のところ、緻密な世界観を面白い作品たらしめるのは、魅力的な登場人物であり、よく練りこまれたストーリーである。世界観は如何に優れていてもその「従」であって「主」ではない。そこを忘れると「ああいかにも設定厨作品」と呼ばれることになるのだろう。
──複雑に入り組んだ世界を作った割には、ファンタジーを書けば典型的なソードワールド風主人公が登場し、サイバーパンクを書けばクラッキングとチャイナマフィアの物語ばかり描かれる。ちょっと遺伝子関係のストーリーを作れば、オチにエヴァもどきを持ってくる
──世界の説明は滔々と流れる一方で、登場人物の説明は巻頭に箇条書きされているような作品を見ると激しく萎えちまうのデスよ。
などと、同人小説系ウェブを突付いたり、本を読みながら思う冬の週末。
大作志向で書く前に、世界説明なしでパチッとキャラの立つ短編でも書いてみりゃいいのに、ということで。
オマエモナー。
【2002-12-15-日】
◆
< #`Д´> <北朝鮮は謝罪と釈明と賠償と反省しる
ニダ!
……どっかで聞いたことあるような主張だよな。
しかし「日本政府は北の惨状を知りつつ何故なにもしてこなかったのか!」ですと?
- 日本国民に興味がなかったからです(日本は代議士制度の国です)。
- 何とかって、例えば何ができたと思いますか? 3分でミサイルを撃ち込める上に民主制度の縛りも無い国家に対しては外交上の発言力がないと何もできませんね?
- でも軍備はしないんですよね?
- なら「日本に手を出せばアメリカが『韓国を島国に変えちまう』」ってのが唯一の発言力だと思うんですが、でも同盟を結んでるアメリカのためにイージス持ち出すのは嫌なんですよね?
- でも拉致解決ナシの外交交渉もダメなんですよね?
- 要するに手は汚したくないし金も払いたくないけど何とかシロと。
結論:< #`Д´> <北朝鮮は謝罪と釈明と賠償と反省しる
ニダ!
まぁ同じ極東アジア国民として、2ch住人の大好きなどこぞのカリカチュアと
日本人のメンタリティも所詮同レベルだったってトコで
( ´_ゝ`)
つーか道路族議員にしろ何にしろさ、
政治家はそれを望む国民を反映してるってのを忘れすぎでないかい?と思う今日この頃。一応曲がりなりにも代表民主制採ってるんだからさ、所詮は国民のレベルよりそう高かったり、低かったりする議員が生まれるわけがないのであるよ。
【2002-12-16-月】
◆
「
聖域よ大地を包め」
突然の声と輝きに、アルデバランの広場で
精神を休めていた私は眺めていた地面の影から目を上げた。時計塔の重い針の刻みが響く中、青髪の司祭様が
鷹匠たちの溜まり場に回復の秘蹟を施している。
カビた鷹の羽を乾かすこの坂ではよく見かける光景だ。そのまま何気なく彼らを眺めていると、彼女は私の目線に気づき、数歩離れて座っていた自分にまで
追加の回復を施してくれた。
「ああ、身体に問題は無いんでお構いなく」
感謝と共にそう伝えると、司祭様はにっこりと微笑んで私に近づき
──
「御身に神の加護あれ」と呟くと、そっと私の髪に触れ、祝福して去っていった。
彼女のささやくような祈りと、耳に微かに残る指のぬくもりがしばし思考を占領する。
──私はそのまましばらく伸びゆく時計塔の影を追っていた。美しい青髪の香りと共に、神の息吹を感じながら。
◆
「小説家を見つけたら」に登場する大文豪、ウィリアム・フォレスター氏は、夜ソファーに座って「ナショナル・エンクワイアー紙」を読む習慣がある。ある時彼は少年に「何故あんたのような文豪がそんな低俗な大衆紙読むんだ?」と聞かれ、ニヤリと笑ってこう答えるのである。
「ニューヨーク・タイムズをディナーとすれば、ナショナル・エンクワイアーはデザートさ」
巧いね。デザートがディナーに劣っていると言われる筋合いはない。……いや何が言いたいのかというと、要するにドハードSFやら歴史書を読んだ後だと、今読み返してる
マリみてってそんな感じだなぁ、と
(ぉ)
【2002-12-17-火】
◆
あまりに面白げな話なのでクリップクリップ。
Web上での引用のやり方についてとか。
本気で追いかけてコメントしたいのだけど、あーもー、どうしてこんなときに限って忙しいのかしら
(笑)
とりあえず刹那的な台詞を。
HTML において、 blockquote 要素 の cite 属性値で引用元の URI を示せば、技術仕様的には引用元の明示が完了したと看過できます。そういう用途であると仕様書に明文化されてますから。ゆえに、「闇黒式引用」は何も問題ありません。
ねこめしにっき 「W3Cなんてそもそも知らないし」
W3Cなんてそもそも知らないし、知らなくてもhtmlは一応書けてるわけで。正式な引用の書式であろうが、出典との関係を明示する方式として良かろうが、使えないものは使われないのです。それは日本語であってもhtmlであっても言語であれば同じこと。
胡桃の中の航海日誌 ぎろん
まず疑問1。
「技術仕様的には引用元の明示が完了」、この場合はW3Cの勧告する技術仕様に則ったblockquote要素におけるcite属性の記述を行えば、「引用に何の問題もない」かどうかは
現時点ではまったく判断できないのでは。それは技術的な仕様に則った
だけであり、本当にそれが著作権法第三十二条
(引用)及び第四十八条
(出所の明示)に合致すると明言する為には、
該当する判例が必要になると思われます。第四十八条に定める「利用の態様に応じ合理的と認められる方法及び程度」に果たしてcite属性が認められるのか。
個人的には認めて欲しいと思いますが、それはあくまで個人的な希望で法的根拠は皆無です。
下手をすれば、cite属性を表示できないブラウザのシェアが95%を超えているという事実を前に、それらブラウザでも利用者が意識する事無く明示的に表示される方法を伴わなければ認められない、と裁定が下る可能性もあります。作り手は95%のユーザーに引用元情報が見えないことを「知っていて」その方法を選択した、という事実も影響しそうですし。
「單に引用文のそばに關係があるのかないのか良くわからないアンカーを置く「一般的」な方式」
(闇黒日記平成14年12月14日)が「容易に想起でき、かつ実行も容易」であるのも気になるところ。それらの判断に際しては、文字通り
人力で恣意的に
(ねこめしにっき)(いやホントは恣意じゃ困るんだが)下されているのですから。
しかし、多分余程強烈な著作権侵害になり得る裁判が起こらないと、なかなか判例は出そうも無いのがアレです
:) この辺専門家の意見を聞いてみたいところですが、とりあえず現段階では「W3Cのrequirementを満たしたからOK」とするのは早計かと。どうも法律は「無知なユーザー保護」の方向で下される傾向があるみたいですしね。
ちなみに当
「神慮の機械」はあまり一般的でない引用方法を採ってますので
(上のはあえて色々やってみた)、この議論の行き先は興味あり。個人的には
「法的な根拠を得ることは難しそうだから、読み手も仕様も満足する併記がウチのサイトの為にはグッ」の方針で片付けてますがね。文句は所詮主観の結果でしかなく、本当に白黒つけたければ当に裁判起こすしかないわけで。文句言われるのが嫌いな私は安全パイを張るってこってす。
ま、それ以前に過去の私的仕様を引きずった腐ったソースを何とかしるというツッコミも甘受せにゃならんのですけどね……。
疑問2以降は後日。
HTML規格の話って“Rough Consensus and Running Code”と矛盾しねーのかとか、考えたら楽しそうだ。
あと文化云々の話は興味範疇外なのでパス1。だんだん話逸れて問題のすり替えも起きてるし。
最後に付記。
僕は、引用方式の正当性を主張しているのではなくて、貴方の引用方式だとこちらが引用されていることを知ることが出来ないと云っているのです。そういう意味でフェアーじゃあないと云われたらどう反論しますか(注:現在はリンクしてもらってます。どうもです)。
胡桃の中の航海日誌 ぎろん
もうあちこちでコメントされてるだろうと思いますが、一応ツッコミ。
引用に通知義務はありません(だから「引用」って言うんだYO!)。まぁ、ぼやきってことで。フェア云々に関しては主観的な議論なのでパス2。
◆
ああ、言いたいことが拡散してしまった。
要するに「技術的規格はできる限りフォローしたい」と思うと共に、だからといって「技術的規格を満たしていればそれで
(゜д゜)ウマー」という傾向は好きじゃないってことで。
【2002-12-18-水】
◆
昨晩は実に一月半ぶりに
Cafe Serie@横浜へ。
同じく原稿締め切りを終えたぶどう氏とささやかな前打ち上げ
(w)を。長らくのご無沙汰で死んだと思われてたかもしれないけど、「お久しぶりです」と出迎えられるのはやっぱり嬉しいねぇ。二人してメニューも見ずに「
ヒューガルデン2つ」でまずは乾杯と。
アマーロを傾けながら物書き談義に花を咲かせ、文字通り「色々あった」一年を振り返る。物書きも同人活動も、サイトにまつわる友人関係も、みんなこの一年で発生したことなわけで、自然感慨深くもなろうというもの。
──宴はいつまで続くことやら。
◆
「W3Cなんてそもそも知らないし」 (2)にてコメント受けてたのでフォローアップ。
誤解というか、私の説明不足もあったのですが、『どうも法律は「無知なユーザー保護」の方向で下される傾向がある』の『ユーザー』は、
閲覧者を指しています。無知というと語弊がありますが、要するにcite属性のことなど1mmも知らない一般的IEユーザーのことです。
以下、私も法律の専門家じゃないのであくまで参考程度に捉えてくだされ。
先日も書いたように、実際には現状のWeb程度の引用云々で法律沙汰になることは、よっぽど強烈な著作権侵害でもやらない限り起きないと思います。ですが、「技術的仕様を満たしていれば安全だよ」というのは、万が一の時にはちょっと危ないんじゃないか、という視点です。実際昨日の今日まで、私個人は
(自分がそれを採っていないにしろ)いわゆる「闇黒式引用」で問題ないと思っていたのですが、よくよく考えてみると怪しいかも、と思ったのがそもそもの始まりでしたから。
まず話が技術的観点からなされているのは承知していますが、実際には「正当な引用元明記か否か」は一般通念と法律の管轄にある、というのが私の主張です。先の発言は、裁判所は意外と
(?)この「一般的なユーザー」の目線に基づく判断を行う傾向にある、という意味でした。技術的仕様による引用手法の確立は、曖昧さの排除、機械的処理の実現という観点からも歓迎すべきことですが、恐らく法的判断で問われるのは
仕様書の妥当性ではなく、引用元の明示が一般通念上認められる形で行われているか否か、でしょう。
この場合、明示方法の妥当性の対象者は「閲覧者」です。そうすると、大多数の閲覧者が見られない、というのは悲しいながらも事実であり、また引用の方法はcite属性以外にも存在しています。とすると、引用者が閲覧者の95%がそれを見ることが困難であると
知っていたにも関わらず、技術的仕様に基づいているとは言え閲覧の困難な引用元の明示を行った、という点が争われるのではないでしょうか。
「明文化された技術仕様書の記述方法よりも、「俺気分」「俺ルール」「ローカルルール」が優先されてしかるべきである」
わけではなく、引用者が引用元を読者に明示しようとしているか、が争点となるわけです。ヘタレブラウザが蔓延してるというのは根本の原因ではありますが、判断の根拠はある意味非常に真っ当な、「95%の閲覧者が引用元を見られないんだからダメ」という単純な点に落ち着く可能性が高い、と私は見ています。他の利用者にも見られるように併記手法を採れ、と。
もっともヘタレブラウザがcite属性を明示できれば何の問題もないわけで
(ニガワラ)、もし『すごい著作権侵害』が起きて裁判で争われ、「闇黒式引用」がダウトと裁定が下っても、『ただし、W3Cの勧告という技術的仕様はWebにおいて尊重されるべきであり、将来的には大多数のシェアを持つブラウザが明示方法を速やかに実装することが望ましい』
(=それまでは我慢して併記しる)とでも付記されるんじゃないでしょうか
:)
以上、もし本当に法的に争ったら、ということで。
ご留意いただきたいのですが、どうやら今回のそもそもの発端の議論
(「闇黒日記」と「胡桃の中の航海日誌」)とは、これは
あまり関係がない話のようです。規格実装論やら精神論まで幅広く順当に拡散されてるようなので。……結局「胡桃の中の航海日誌」殿は何が言いたいのかさっぱり分からないのでコメントのしようもないのが正直なところですが
(苦笑)。
結論? 私からは、やっぱり昨日書いた「法的な根拠を得ることは難しそうだから、読み手も仕様も満足する併記がウチのサイトの為にはグッ」に落ちてしまいますな
:) あと相手に強制させたきゃ法廷に出よ、そうでないなら妥協の範囲でなんとかしる、cite派にも横書き派にも併記派にも現状はとりあえずそれなりの根拠があるんだから、と。
◆
ちなみに、技術的仕様そのものの法的根拠を問う、ってのはケースバイケースですね。
例えば「他ニュースサイト全画面フレーム表示」が違法とされた際、フレームという技術仕様の妥当性は問われず、「普通の人が見たら区別できないからダメ」というのが根拠でした。その一方で、例えばアンカー(リンク)については法的根拠が現在も問われ続けているわけですしね。
◆
そして最後に
そういえばそちらの HTML ソース、 div と br ばっかりですね…。パラグラフにはパラグラフを示すための p 要素を使って欲しいですー。
ねこめしにっき 「W3Cなんてそもそも知らないし」 (2)
って言われると思ったから本当はこの手の話は避けたかったのです
(;´Д⊂)
分かってるんデス、分かってるんデスけど日記スクリプトを直す手間をついつい惜しんで今に至っているのデスよ。そも如星が仕様勧告に従おうと思うのは、それが仕様だからではなく、仕様に従ったほうが書き手も受け手も色々楽になるだろう、と思うからですし……ええ、直しますとも、来年こそは、来年こそはッ!
(鬼笑)
……ともあれ今回は、昨日の予告通り甘受して、ごめん吊ってくる。∧||∧
過去の日記等はあきらめて、新日記からスタイルシートごと変える方が実現しそうだなぁ……。
◆
本当にもう最後にしよう。コメント。
僕は仕様を満足させるのではなくて、仕様を守りたいという読者を満足させるために変更しました。感情がない仕様を満足させることなんて誰にもできません。人を満足させることしかできないのです(屁理屈)。
胡桃の中の航海日誌
仰るとおり、
屁理屈。
上にも書きましたが、結局のところ
「仕様にはそれなりの理由が」あり、それを満足させるのは「仕様の意図した利便性を
(例え将来的にでも)実現させるため」です。決して「仕様を満足させてほしい読者」の為ではないでしょう。それじゃW3C厨になっちまいます。
ちなみに屁理屈に真面目に回答しておくと、日本語上「仕様」は「満足させる」ものです。仕様に感情があろうとなかろうと、誰でもできます。「仕様」を「採用」できるのと同じでね。
【2002-12-19-木】
◆
昨晩は週の真ん中に忘年会、しかも付き合い酒だなんて、なんつー時間の浪費だろう、と思う今日この頃。別に嫌な連中ではないし、悪かないんだけどね。相槌と愛想笑いにも随分と慣れながらも、人生にはまだ山ほどやりたい事があるんだから「誰とでも出来る話なら、俺としないでくれ」などと考えてしまう俺は、やっぱり「飲み会」にゃ向かないらしー。
某人これを評して曰く「随分と生き急ぐもんだネェ」。ごもっとも。
……公的任務終了。これで年内の夜は完全にプライベート・タイム。
◆
昨晩、印刷所より
冬コミ新刊の本文部分0号プリント
(違)が校正の為に到着。
しかし良く見ると
「これで修正があったら年内間に合わないよん」と明記されているのである。は、ちょっと待て、それじゃ何の為の郵送校正だ、第一そんな話入稿の時には聞いてないですぞ!? 実際、カバーデータの時に発生していたフォント情報破壊問題が本表紙にも出ていたし、その他ちまちまとデータミスがあったりして、これを直せないのはカナーリ痛い。いや俺が悪いんだけど。
校正期限は翌日、つまり本日中で、追加料金ならまだしも納期間に合わないなら出す意味ないよなぁ、などと思いつつも、とりあえず修正個所の再入稿準備だけは整え、ftp自体も終わらせておく。そうして今朝、恐る恐る印刷所に電話。あまり実際の業務に詳しくなさそうな担当のおねーさん曰く、「修正内容によっては大丈夫かも。データ担当にメールしてくれれば回答する」というお答え。そこに希望を繋ぎながらとりあえずメール書き。
……と思ったら向こうの俺担当から直接電話があり、なんでも「校正原稿に添付する注意書を、
特急仕上げの注文のと間違えて送ってただけ」だったそうである
(;´Д`) 受付でも気づかなくて申し訳ない、と担当さん平謝り。こっちは製本が納期までに完了すればなんの文句もないわけで、上機嫌で謝罪受諾。こっちこそ修正入れさせてもらえるわけで、それだけでもアリガタイものである。
というわけで、今回は無事発行できそうです。
それにしても今回の印刷所、同人印刷所とは思えぬ
(失礼)接客マナーの良さだなぁ。
前回のカバー校正の時も感じたけど、顧客対応レベルの一つの指標は、やはり「エラーリカバリー」だと思う。お客さんに失礼をした時のリカバリー方法如何で、その客がむしろ優良顧客として残ることが多いのはマーケティング等じゃ実証済みらしいしね。
斯く言う俺も、恐らくこれなら次回も同じ印刷所を使うでしょう
(これで印刷がひどくなければね!)。接客マナーを屁とも思ってないような各種サーヴィス業諸氏には是非見習って欲しいモンである。
◆
来週休みを取るために、ちょっと出力を上げてみる
:)
「日常業務は出力4割で」が行動指針の俺だけど、今週はキチンと6割ぐらい真面目に仕事に励んでみた。……日記書く時間もROをやる時間も減ったが
(;´Д`)、無事来週の出勤は
一日だけと相成りますた。
さぁ、イベントラッシュのスタートですな
:)
◆
今回の
「Figaro」が
ヴェネツィア特集ですよお兄さん!
かくしてまた女性誌を買いに走るワタクシ。……なんでこういう上質の特集は女性誌でしか組まれないんですかね? あれほど渋い、漢好み・通好みの街もないだろうとゆーのに。
沸々と確実に高まる「ヴェネツィア行きたいぜ欲」。
◆
先日ご無沙汰を詫びたばかりだが、今度は一日置いただけで再び
Cafe Serieへ。……晩飯を適当に安く済ませてでも通いたくなる寛ぎがあそこにはあるからねぇ。今や顔馴染で気楽だというのもあるけれど、そもそも顔馴染になるほどに通わせる魅力が元々ある。今日も常連さんらしき人も、普通に一見さんらしき人も程よく混じってほぼ満席で
(満席でも狭苦しくならない席数に抑えてあるから、これくらいのざわめきは丁度良い)、つまりは確実にリピーターを稼いでいるってことだ。
「我々のためにそこにいて、丁寧にサービングしてくれる」という極上のカフェスタイルを持ちながら、料理もデザートも創作風を超えてレベルが高く、おまけに酒はStoneFreeの系譜を引いてバークオリティ。これが「店の端々まで気が行き届いている」という状態なんだと思う。最近よくSerieにいるStoneFreeシリーズのオーナーさんにはホント敬服。……元々彼の
エロい手付きのシェイクに惚れてStoneFreeに行くようになったもんだしね
(^^;;
今日はクリスマスメニュー開始ってことで、シャンパンを使ったカクテル
(シャンパンカクテル、というと特定のカクテルを指してしまうのが面倒だ)がメニューにずらりと。先のFigaroの影響もあって、連れと二人とも「ハリーズ・バー」起源のドリンク「ベリーニ」と「ロッシーニ」を。本当はシャンパンじゃなくてプロセッコで作るものだけど、そんなこと旨けりゃ気にしちゃイケナイのである。