VERBA VOLANT, SCRIPTA MANENT.
プラネタ・アクア・ジェントリィ・ウィープス。これは単にホワイトアルバムやビートルズからの語呂合わせではなく、「ひまわり」という作品に如星が持っている感情を端的に表したものだ。まだネタばれに踏み込んだレビューも、書きかけの短編も仕上がってない状態だけど、ちょっと閑話に寄り道して、ひまわり周辺の概況にメモを残しておこうと思う。
きっかけは、この辺りで「皆次のひぐらしを探している」というフレーズに出会ったこと。まぁ良くある話といえば話だし、こちらの「流行る流行らないの議論が滑稽であること」、元日記の「結局は作品が面白いかどうか」という、実に妥当な結論に加えることはあまりないのだけど、自身同人作品を作る身として、ちょっとした雑感を書き加えてみよう。
まーまずそもそも、現段階を以って「同人販売業者の思惑」を考えるのはちょっと先走りすぎかな、と。所詮特設ページなんて作るのは限りなくタダに近く、また各社トップに大リンクを常設でもしない限り、効果もその辺のブログと大差ない代物(大体、各業者の特設ページを業者のページから見つけたユーザーがどれ程いるのやら)。中身もまた、虎辺りの微妙にハズした推薦文が「ひまわり」の人気に貢献できるとも思えないし:) もし彼らが「本気」であれば、まずは実店舗のディスプレイで強烈アピール、如何にも「既にブーム」のような見せ方を組むモノだけど、例えば秋葉の虎本店辺りじゃ、そもそも売り場を探すのに一苦労した記憶があるぐらいだ(苦笑)。
実際、同人販売業者がトレンドを作ろうとする時の「えげつなさ」ってこんなモノではないので。実体以上にジャンルを膨らませて見せる店頭展示や煽りはご存知の方も多いのでは。更には流行らせたいジャンルの作品が「足りない」時には、顧客サークルに「製作依頼」を掛けてまで量や幅(キャラ方面等)を広げたりするほど。この話は同人発祥のジャンルに限らず商業二次でも一緒。
またネット方面の言及も、はてな界隈を中心として未だ「じわじわと」の域を出ない領域。大手ニュースサイトの言及が爆発的に言及数を増やした様子も見受けられず、妙な「流行らない議論」を繰り広げてるのも冷静に見れば片手か両手で足りる程度のブログだったりと、まぁ生温かく見つめていればいいレベルである。
ひまわりは、確かに面白い。各所の感想を見れば、ひまわりという作品が一定の力を持っていることには(流行らない論者であれ)あまり異議は無いだろう。如星の主観としてももちろん、例えば日記経由の宣伝ではなく友人数名への直接布教活動の結果、決して日頃からギャルゲをこなしている面々ではないにも関わらず、購入&アクアさん撃墜率が100%(主よ、アクアかわいいよアクア)なのには驚いた。
ただ、それが「静かな面白さ」とでも言うべき類の魅力である点は、忘れてはならないと思う。実際、ひまわりは「小さく生んだ」作品だ。余計な厚みに手を出さず、主題を語りきるのに必要なだけの立ち絵、イベント絵、音楽、そしてシナリオ自体を揃えた感がある。
そういえば大ブームになる作品の一つのポイントとして、考察厨を始めとした議論好きを満足させるだけの緻密で膨大な世界観と謎残しという、個人ブロガー時代ならではの要素があると思うのだが、「ひまわり」のテキストボリューム、そしてシナリオの造りにそれはない。それは決してシナリオボリュームが「少ない」のでも「足りてない」のでもなく、「ひまわり」がこのボリュームで十分に語りきられているからだと思う(「エピローグ」が次回作示唆だという意見に否定的なのはこの辺も理由)。
爽やかな読後感を持つ物語を、ただゲームという媒体を通じて語りきりたい。1000円という手の出しやすい価格設定、それで無理の来ない製作人数(なんと2名)やボリューム、そもそも同人としてはゆっくり時間を掛けてのリリースに、如星は創り手・ごぉ氏のそんな声を聞くような気がしてしまうのだ。
実際、作り手の彼らは、とても静かだ。リリース後のハイテンションでスタッフ日記を更新しまくる、ある意味同人やギャルゲハウスの日常風景もそこにはなかったし、少々話題に出た最近でもそれは変わらない。サルト・フィニート風に言うなれば「出せる物を出し、すこぶる満足している職人」。そんな彼らを見ていると、流行るの流行らないのという議論はますます滑稽に思えてくる。
こうして「小さく楽しく生まれて」いる作品だからこそ、如星はかなり気軽にこの作品を他人に勧められるし、勧められた側もひょいとやる気になっている気がする。もちろん小さくともシナリオの裏には気軽の線に留まらない深みがあるし、結果として大きく育つかもしれない。でも、ひまわりの魅力がその規模感にあるというのは、贔屓の引き倒しだろうか。プラネタ・アクア・ジェントリィ・ウィープス。俺たちのアクアは、俺たちの脳内で静かに泣いている。陽一にはやらん。
この先に書くのは如星の完全なる妄想の領域なので注意。8割ネタ。
そもそもこの「ひまわり」は、意図的に大きく当たらないよう作られている……そんな気がしている。これだけのシナリオを組み、意図をブレさせずにリリースできた人物が、例えば作品名も、主ヒロイン両名も、ぐぐるに優しくない名前であることに気づいてないとは思えないんだよなぁ……。一般名詞であったり、萌え産業内に同名ネタがいくつもあったり。今時地味に関連記事をリンクで追って情報を集めるのは第一次ファンまで、後はひたすらぐぐるでダイヴインしてくる人間が続くわけなのだが……。
あるいは、あくまで「ロリっ娘宇宙人同棲ADV」と言い張るのも、パッケに2周目以降の匂いが一切ないのも、それで手にとった人間にカタルシスを味わって欲しいという意図のほうが見えてくる。繰り返すけど、作品規模自体が「大きく当てる」ように作られてないので、逆にそういう遊びをくりくり詰め込めると思うのよね。
そしてこれは本当に邪推なのだが……。ひまわりへの応援スタイルとしてはこの辺りにとても共感する一方で、実は実績としては既に「十分」かも、と思う節はある。──もしごぉ氏が次回作構想を掲げ、更に規模や質の拡大のためスタッフを密かに求めた場合、「ひまわり」という「口コミで話題にもなった良質の作品のトータル製作経験」という「実績」は恐ろしく効いてくる。往々にしてシナリオライターが主導して始めるゲームサークルの最大の障害は、その主導者にシナリオ以外の実績がなく、チームの信頼を得られずビジョンで納得もさせられず、一つの「意図」に向かって製作をまとめ上げられない点にあるのだから。──ぶらんくのーとの「次回作」には、密かに期待している。
レビューその2に続く。
巷ではコミケ当落情報が喧しい今日この頃皆様いかがお過ごしでしょうか。当「神慮の機械」は引越しのどさくさに受付葉書が紛れ込み、オンラインでの当落検索が出来ない状況のため物理通知を待つしかない状態です! はっはっは!
……と思ったら、単にcircle.msのシステムが腐ってただけの模様。受付番号無くてもサークル情報引っ張れた(昨晩は引っ張ろうとするとエラー)。 というわけで、3日目X36aで通ってました。がんばりまーす。
書き物が進まないので秋葉巡りしてシャッツ辺りで物書きしようかなと。我が家から秋葉は末広町方面より接近。
ただし秋葉に出るかどうか迷ったおかげで10分ぐらい時間がずれ、俺が行った時には既に警察と消防が「中央通り=明神通り交差点(以下交差点)」に集まりだしており、それを避けるために手前で昼飯に。
時間通り出てたら普通にあの交差点抜けていく予定だった。
昼食後買い物して回ろうと中央通りへ。現場にいると事情がわからないので普通に事故だと思っていたが、警官が殺気立ってるのに気づく。
この時「明神通り渡れますか?」と近くにいた警官に聞いたのだけど「人が輻輳してて通れないよ!」と吐き捨てるように言われた。今思えば、身内の警官も刺されたという中で現場に群がってくる連中に本当に吐き捨てたかったんだと思う。
この時既に野次馬は大挙して交差点に押し寄せつつあった。歩道が埋まってとても通れない。裏通りに回る。
この頃、何故か消防救助機動部隊の車がわんさか寄ってくる。化学系の運搬車でも事故ったのだろうかと恐ろしくなり、裏通りに出て正解だったかななどと考える。
駅方面に抜けようと明神通りを渡るが、その先の裏通りにも機動部隊の車が数箇所に停車している。何故?
車からアナウンス。「付近で殺傷事件があったので近づかないでください」 げえ。
駅付近では中央通りは渡れなさそうだし、諦めてシャッツででも少し休もうと引き返す。
再び明神通りを渡る。携帯を、コンデジを高々と頭上に掲げ、交差点に押し寄せて写真を取りまくっていく人々がすさまじい。
まんだらけの新しいビルを見上げたら、あの外壁についてる移動階段が望遠構えてる奴らで埋まってた。
余りに戯画的な状況に気持ち悪くなる。
現場にいても通り魔被害だとアナウンスで分かってるはずなのに、アナウンスが無くても機動部隊出てる状態なのに、人は現場に殺到するんだな。
「銃声がしたとき、伏せるのはアメリカ人。伸び上がって音がした方を見るのが日本人」というアレを思い出す。
シャッツに辿り着いて一息ついたものの、こんな気分では何を書く気にもならない。無線を拾ってこの時初めて事件のあらましをWebニュースで知る。
何をする気にもなれず自宅に戻る。相変わらずマスコミのヘリの爆音が凄まじく、大挙する野次馬のイメージが脳裏から離れない。
「事故報道マスコミうぜえ」と叫ぶ大衆も、所詮その場にいれば同類だって事実をまざまざと見せ付けられた。結局みんなが求めてること。
今日はあまりモノが書けそうにありません。
そういえば、結局消防救助機動隊が出てたのはなんでだろ。スーパーアンビュランスが必要だったから、かな。
事件直後、現地に群がっていた人々の実に楽しそうな表情が脳裏にこびりついてます。
昨日列記したように、私はあの時ちょうど秋葉原にいたのですが──そこで見たのは、事件現場に居合わせられた幸運と興奮に目を輝かせ、携帯やデジカメを頭上に掲げて現場交差点に押し寄せる人々。あの時間帯、恐らくは犯人逮捕後ではあったのでしょうが、未だ現地では状況が判明しておらず、緊急車両が殺到してくる中、何処までも「他人事」として一枚撮りに殺到し、「何が起きているか分からない事件への危機感」など微塵も感じさせない人々の、余りに醜悪で無邪気な姿は夢に出てきそうなほど。
昨日の事件そのものは確かに凄惨で、悲劇で、亡くなられた方は実に無念であったと拝察しますが、逆に言えば予測も回避も不能なキチガイの発狂は再発防止などもできず、所詮第三者に過ぎない私や周囲の人間には、ただ不幸な事件として記憶にのこしていく以上の事はできません(警察の対応も、その後の救急消防含めた動員体制も、実に良く機能していたと思います。最初に刺された警察官の方は残念ですが、一方でアレは到底発砲制止できるような状況ではないでしょう)。
しかしその一方で、あくまで「観客であること」に執着し、事件の状況にまるで想像力を向けないこの危機感の無さは、偶発でも何でもない「日常の積み上げ」の結果であり、第三者ではなく「我々」という当事者の話です。実際に事件現場にいた人間の行動として、正直この現実は昨日の如星をあまりに打ちのめしてしまいました。これが現地ではなく、画面越し・ネット越しに事件を消費する「観客」の話であれば非日常化の一環としてまだ理解できるのですが……。むしろ事件に恐怖していたのは現地にいない彼らの方であり、現地にいるかもしれない友人をネット上で案じていた人々だったのが実に印象的です。
考えてもみてください、
現地ではまだそれが殺傷事件なのかどうかも良く分かっていない
警察・消防の車両が次々と明神通りから封鎖域に入り、あるいは救急車が出てくる
傍目にすら「カタギではない」外観の緊急車両、そこに銘打たれた「消防救助機動部隊」の文字
そんな中で、ほいほい現場に接近していける感覚は理解できません。踵を返して逃げ出すほどな危機感こそ持ちませんでしたが、如星は真っ先に薬品運搬車等の化学事故を連想し、後から巻き込まれては敵わんと裏通りへ大きく迂回する選択肢を取りました。が、この時既に中央通りの人々は現場を一目見ようと交差点に邁進していましたし、迂回して明神通りを渡るときに見えたのは、少しでも現場に近づき、あるいは高さを取ろうとガードレール等によじ登り、高々と携帯を頭上にかざす人々で溢れかえる交差点周辺でした。卑近な例えですが、あの有り様はまるで理解不能な行動原理と無感情で行動するBETAの群れですよ。この余りに無邪気な光景に、正直吐き気に近い衝撃を感じていました。
繰り返しますが、消防救助機動部隊が殺到し、救急車がバンバン出て行く状況ですよ? ちょっと待て、何故そんな場所にホイホイ近づいていけるのかと。日本人は、東京都民は、もう「サリン事件」という数少ないバイオテロの経験を忘れたのかと。まさに、脳裏に浮かんでたのは昨日書いた台詞「銃声がしたとき、伸び上がって音がした方を見るのが日本人」の一言。あまりにも、自分たちが事件当事者になり得るという想像がなさ過ぎじゃないでしょうか……。
その後裏通りにも配置された車両から殺傷事件である旨がアナウンスされ始め、ようやく事件内容が現地の人間にも伝わり始めたわけですが、それでもその時間帯は「犯人がもう一人逃走している」という実しやかなデマが錯綜していたのです。にもかかわらず、現場への人の流れは止まることがありませんでした。ふと見上げてみりゃ、まんだらけの新ビル外壁に出ている階段には、でかいカメラを構えたオタクが鈴なりだったりと、もう「現地にカメラを向ける」以外の思考が辺りから失われたような錯覚さえ(流石にこれは考えすぎなんですが)受けてました。
結局この手の事件があると、マスメディアの殺到ぶり、地上のコミュニケーションを阻害すらするヘリの爆音を響かせる報道姿勢が問われたりするものです。が、今回自分がその渦中に立ってみると、秋葉原がたまたまデジカメ+それを公開する個人ブログ等への親和性が高い街だったからなのか、一億総特攻していく様はマスメディアと大差ないわけです。そのことの是非、あるいは醜悪さは別途語られるべき問題かもしれません。が、改めて繰り返します。私が恐怖したのはその際のあまりの当事者性の欠落、事件性への想像力の欠落でした。マスメディアは少なくとも自分のやってる事ぐらいは理解しているでしょう。でも、一般市民は? 「常に一枚撮れる」という携帯カメラの普及が意識を麻痺でもさせてしまったんでしょうか? これが「民衆」の現実かと思うと、私は吐き気がする程恐ろしい──半笑いなのに顔の無い人間が高々と携帯を掲げ、押し寄せてくる様を夢に見そうなほどに。It never happens to me. 阪神大震災やサリンから、あるいは日本に飛び火するかもと言われていた911、それらから私達は何も学ばなかったのか、と。
半分ぐらいは、海外生活経験者が感じる杞憂であるとは思います。が、今回の事件を語る際に「事件の残虐性から引く、犯人に的を絞った社会問題論」、あるいはお決まりの「犯人オタクでっち上げに始まるマスメディア批判」ばかりが目についたので、この秋葉というネット親和率の高い街で起きた一大野次馬事件という視点を片隅に記録しておこうかと思います。
以前より「はてなダイアリー」側に本日記の更新情報を載せたり、ここ数週間は全文を丸々転記したりしておりましたが、ここで改めて当面の運用方針を確定、明記しておきます。
今後、「神慮の機械」の主日記たる「如星的茶葉暮らし」は、
加筆修正等は双方に対して等しく行われ、文面の違いは存在しません。
はてダ側には雑談以下の呟き等も載ることがあります。また「神慮の機械」の新刊情報・作品情報の更新情報も載ることがあります(往々にして日記形式ですので当然ですが……)
両者は本家側各記事下部の「コメントを書く」リンク、はてダ側の本文文末URLにて相互リンクしています。
じゃあ両者の違いって一体何よ?という話ですが、
コンテンツそのものの違いはありません。好みです。呟きも載る点でははてなが若干情報量が上かも。ま、それを言い出したらtwitterなどでも呟きがあったりするわけですが。
コメント機能やRSSの全文配信等、「今時の」ブログ的機能をお求めの方ははてな側をどうぞ。
一方の「神慮の機械」本サイト内日記は、本サイト内であるが故に、「クールなURLは変わらない」の思想に則り、如星という人格を保持している限り変わらないURLで全コンテンツを公開していく点が最大の特徴です。
逆にいえば、無数のブログサービスが存在する現在、はてダをある日突然見限って移転する可能性はあります。あるいははてなが明日夜逃げして消滅する可能性も(如星自身が消滅する可能性とは別に)あります。その際でも、「如星という人間が書いたコンテンツ」は、常にこの「神慮の機械」内で閲覧可能です。
要するに、神慮の機械本サイトは自身でドメインを押さえサーバーを(集団でですが)運用しているが故に、不変のアーカイブとしての機能を持ち続けます。外部サービスに日記を委託することに最後まで抵抗があったのは、この「自分が制御可能な場所に書いたものが残らないこと」だったのですが、この辺は若干手間ですが二重運用で回避しようかと。逆にいえば、はてな側の運用はころころ変わる可能性もあるということです。
いずれにせよ、今後とも良しなに。