VERBA VOLANT, SCRIPTA MANENT.

如星的茶葉暮らし

■ 05月上旬 ■

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酒の一滴は血の一滴。茶の一滴は心の一滴。ネタの一滴は人生の発露。


 

【2008-05-01-木】

人生の価値と意味:Are You Happy?

人生の価値、という言葉を聞くたびに違和感を覚える。「人生の価値を決める」とか「人生の価値はそんなことじゃ決まらない」云々、『価値』という言葉の意味自体をぼかしたまま語られるこれらの言葉に。この違和感は、如星が愛吟すらするあのフレーズに見事に要約されている。

そもそも現在[いま]を走る生き物に判断など下せない。
全ての生命は。後に続くものたちに価値を認めてもらうために、報酬もなく走り抜けるのだ。

──hollow ataraxia

そう。人生の価値なんて、自分自身で決めるモノじゃない。間違っちゃいけないと思うのだが、そもそも「価値」というのは他者と何かを交換するための評価基準、物差しの事であり、また物差し上の値の多寡のことである。「価値」には「善や美」という意味もあるけど、それだって「誰もが良しとする普遍的善や美」つまり集合体としての他者に決定される代物、誰か他人に「認めてもらう」モノなのだ。自分の人生(の一部)を誰か他人と交換し、対価を得ようとする(死後の評価等を含む)時、初めて「人生の価値」という言葉に「その交換相手とだけの」意味が出てくる──それは冒頭の言葉が往々にして語ろうとする、絶対評価を意識した評価軸とは程遠い。もちろん相手が「社会」の場合の「社会的評価」など、とても広範な評価軸もあるだろうけど、冒頭の用法はその社会的評価に限定されない云々という話に持ち込まれていく場合がほとんどだ。それなのに「他者」を必要とする「価値」で論を進めるものだから、よく結論の分からない道徳めいた話に堕してしまうのだと思う。

「それは自分自身にとっての価値だよ」と言う向きもあるかもしれない。でも、評価者を設定しない、自分自身で完結させた「人生の価値」って言葉に一体どんな意味があるのだろう? それは自分以外誰も見ない値札であり、どんな評価軸でどんな値段を書き込もうと自由である。そんな「買い手すら不在の言い値」とやらが「価値」なんだろうか。そこで高い値段を書き込んだら「人生の価値」が上がって満足するのだろうか。……結局のところ、この手の言説は自分ではない「誰か」を無意識に想定して(それこそ社会的評価とか金銭的評価とか)、他人にとっての「価値」に自分の人生を縛り付けているような気がする。所詮「じぶんのこころがきめる」のなら、無理に価値だの何だのという物差しの上下に当てはめる意味ってなんだろうなぁ……と思ってしまうのだ。

これはあくまで自分の到達した心境だけど、自分自身の人生への唯一可能な評価って「意味」しかないと思ってる。もっとシンプルに言えば、大本の生きる意味に合致してるかどうか、というか。何だよその方が話がでかすぎるじゃないか、というツッコミもあるけど、意味とか動機って思ってるより便利な代物で、金銭も、精神も、他者も、社会も、全部ひっくるめて単一の判断基準でさくさくまとめていけたりする。現世的なり精神的なり、他者に渡しうる「価値」ではなく、自分が人生におけるあらゆる局面での行動にどういう意味を見出すのか、そしてその意味に「満足」しているのか否か。

意味に満足している状態を、幸せと呼ぶ。いや、幸福という大上段な言葉より英語のhappyの方が雰囲気としては近いのだが──同じくhappyの訳語たる「愉快」の方がいいかな。その人生が、愉快かどうか。大本の生きる意味すら、俺の場合はここに帰結している。他者に取っての価値も、自己に取っての意味も、所詮はその一点のためにある。……こりゃ、一種の悟りかもしれないけど(そこに至る俺の心理はこの辺を参照)

今日の一滴="紅花茶" (2008/05/01)

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【2008-05-02-金】

特別でないただの休日:茶屋三軒行

昨日は本当に久しぶり、実に半年ぶりぐらいに、誰とも何の予定も入れていない休日を楽しんだ(会社は休みじゃないけど客側が休日扱だったので)。式関係や転居、その前は冬コミ原稿(しかも落とした)等々がずっと詰まっていたし、そもそも休日に予定を入れないこと自体がとても珍しいので、この日は雑用を一切やらず、お気楽に過ごそうと決めたのだ。

まずは昼前、前々から一度行ってみたかったカフェが新居から自転車で行ける距離にあり、日祝にやってない事もあって、平日に休んでいる今日こそは行ってみようと思い立つ。勤め人のランチタイムは外そうと早めに出撃──のはずだったが、ふとtwitter周りで「〜などという台詞は…ぐらいの子が言うから可愛いのであって」という塩野七生の台詞が話題に出て、あれは何処からの一節だったかと蔵書をパラパラとめくっている内にだいぶ正午近くなってしまっていた(汗)。まーしかしこれも一つの休日の過ごし方よの、と開き直ってのんびり出発。ちなみに結局何処のエッセイからだったかは発見できず……。

まずは一軒目の茶屋、今日初めての「cafe紅」で昼食。詳細は別途後述するが、のんびりと満たされて幸先良し。天気の良い中さらに自転車を飛ばし、次なる茶屋は物販イベント中の「シャッツキステ」へ。……そう言えば一度もレビューしてなかったけど、微妙な店ばかりの昨今の秋葉メイドカフェ界隈にあって、ここは唯一本気で「カフェ」としての高い雰囲気を持っている「屋根裏部屋」である。本当に屋根裏めいた立地や狭い空間を逆に生かし、メイド系にありがちな安っぽさを廃した丁寧な内装でファンタジックな世界観が作り上げられている。何より、メイドさん陣がどの方もかなりの美少女さん、しかも変人、もとい語れる趣味を持った一癖ある方ばかりで、オープン以来変わっていないそのメイド陣容も含めた世界観が演出されているのだ。料金は時間制で飲み物は紅茶のみ、追加でちょっとお菓子が食べられる程度だけど、下手に冷凍物のフードを出されるよりはよっぽど良い。無線LANが入ることもあって、ちょっと一人で書き物しつつ茶をしたり、あるいは二人ぐらいでのんびり喋りたい時には最高の場所なのである。

この日は彫金師とのコラボイベント中で、ちょうど自転車の鍵につける小物が欲しかったところ、鍵をモチーフにしたストラップ目当てで訪れた。と、たまたま友人のりにとか氏(通称陛下)が一人で茶を啜っていたので、同席させてもらって駄弁りモードに。なおストラップの銀アクセの出来はかなり良く、速攻でお買い上げ決定。この他ドールとのペアリング等、かなり凝った展示品が眼福であった。いいなぁこういうの。

その後陛下も夕方まで特に予定は無いとの事で、共に軽くとらで漫画を買いつつ、シャッツでは満たせない甘味を胃袋へ落とすべく万世橋を渡って三軒目の茶屋「竹むら」へ。ここは秋葉に通ってた頃からの愛用店で、都に歴史的建造物指定もされている昭和初期の本物の空気の中、旨い餡子が食える店である。ここの粟ぜんざいと揚げ饅頭は病みつきなのだ。

別腹もくちくなったところで陛下とは別れ、再び自転車を飛ばして神田明神へ。別にお参りをするわけではなく、参道前の天野屋が目的だ。茶屋番外編として……というか坂を登った暑さに耐えかね立ち飲みの冷やし甘酒を流し込みつつ、定番の芝崎納豆や糀納豆、芥子茄子を補給。そういや折角近くなったのだから、自宅用の味噌も今後はここの江戸味噌でいいのかも……。今の味噌が尽きたら検討しよう。

終わってみれば結局食い倒れに近い休日行。しかし一人気ままに、あるいは偶然友人と、気の赴くままふらり自転車でこれだけの場所を巡れるってのは幸せだなぁ。

cafe紅:オフィス街の静かな孤島

さて、上でも触れた「cafe紅」。古い民家を改装したタイプのカフェだが、こんな都心、オフィスエリアにあるってのは珍しい。しかし正直、いわゆる「カフェ系」は上っ面の雰囲気優先でいまいちの店が多いのだが(そして何故か本当にいいカフェはどんどん潰れてしまった)、ここは他の人のレビューを読んでも雰囲気に加え接客も良しとあり、それでも期待半分程度で訪問したのである。

通りに面した入口は物販エリア用ということで、言われるがままに本当に店の入口かと思うようなヴェネツィアめいた路地を抜け、からりと戸を引き店に入ると──いやこれは確かに雰囲気は完璧、上っ面感は消し飛んだ。昭和風の畳の間はほの暗く、小庭に面した大窓からの光の中に店の名前と同じ紅の座布団がよく映える。端座するより、日陰の心地よさで胡座をかきたくなる雰囲気でゆっくり寛げる。窓から見える庭もよく手入れされていて、今はちょうど紅く染まった春もみじを背に、つつじが見事に咲いていた。

紅花入りの茶をすすりながらぼけーっと店内や庭を眺め、黒米入りのご飯をワシワシと食い、再び茶を啜りながらちょいと本を読む。……読んでいるのがブラックホーク・ダウンの原作って辺りはどーかと思うがさておき(苦笑)、のんびりと時間を過ごし、13時近くなって店内が混んできた辺りで離脱。確かに店主らしき女性の接客も柔らかで好感が持てたし、食事もいわゆる「カフェご飯」ではなく、お番菜といった雰囲気の素朴だがキチンとした和食で、量は多くないけど満足度は高い。畳敷きではなくテーブル席もあるので、腰がしんどい時でも大丈夫そう。近場で随分得がたい店を見つけてしまった。……普段は土曜日にしか行けないけどね。


(2008/05/02)

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【2008-05-03-土】

ヤンデレ精神:正常な恋の積み重ねで狂に至る

第3回ヤンデレオンリー「やみなべ祀」に参加された皆様、お疲れ様でした。前回お伝えした通り、「神慮の機械」ではなく「有栖山公園」様からの発行ですが、表紙・内部デザイン・編集と、積極的に関わらせていただいた「我が本」たる「属性yd」を無事送り出すことができました。

いやしかしそれにしても、実際の仕上がりを見たのは私も当日朝だったのですが、予想以上に良く出来ていたなぁ、というのが正直な感想です:) 右に思わず元ネタとの比較写真を載せてしまいましたが、表紙のみならず背表紙のこだわりも良く再現されていたのではないかと思います。電撃hpをお持ちの方は是非本棚に並べてみてください:) また裏表紙のネタは……それこそ現物限定にさせていただきます! とらでの委託も開始されたようで、是非ともご一読を。

中身の小説の出来も皆様流石のレベルでしたが、個人的には辛枝さんの「泪月」が白眉だったのではと思います。流石は文筆を生業とされていらっしゃる方というか、着想といい、静かに狂気に至る表現といい、見事なまでに「ヤンデレの精神」を描かれております。これから読まれる方のためネタバレは避けますが、

辛枝さんのエントリーにも「ヤンデレちゃんの真髄は、ひたすら恋情に酔っ払っているところにある」とありますが、実際昨今何でもかんでも刺せばヤンデレ、猟奇ならヤンデレという傾向があり、実際インパクト重視の商業作品がそういう方向でヤンの看板を掲げるのは仕方がないのかもしれませんが、あの属性って本来はあくまで「恋心が乗じ過ぎた結果、盲目が極まったもの」であり、つまりは恋するプロセスや精神面が非常に重要なモノだと思うんですよね。健全な思考の積み重ねのみで狂に至る……ってそれなんて異常兵器のセオリーだよ、というか。故に、例えば短絡的に「想いが叶わなかったから刺す」なんてのは、そういう狂に至る想いの過程がない、薄っぺらいヤンだなぁと思ってしまうわけですよ。

実際、実はこういう本に携わっていながら如星自身にヤンデレ萌えは特に無かったりするのですが、それでもその「狂うほど想い抜く」という点には共感するところがあります(だからこそ全力で参加した)。表紙絵のまりりそ氏とは私の方で色々相談をさせてもらったのですが、流血や刃物は抜き、という点では早々に合意が取れていました。自分の恋心のみを信じぬいた、ある意味正義に酔ったに等しい状態──その結果が今回のイラスト、猟奇を連想させるものは一切ないにも関わらず、焦点の遠い目と握られた一本の携帯。絵師さん本人の発案による「いらないメール、消しといたからね」の台詞とこのイラストに、そういうヤンデレ精神が巧く篭められていれば良いなぁ……と思う次第です。

(2008/05/03)

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【2008-05-08-木】

狼と海と緋色のマント

海といっても、静かなものだった。

明日の朝にはマルクォーラに入港する。この辺りは風も潮も穏やかで、海に慣れない船客達も、今宵は船尾に集って酒と談話を楽しむくらいな余裕があった。商人は明日の港での商談に、巡礼者は明日からも続く陸路にそれぞれ備えるため、いずれも手桶を抱え船底に這いつくばっていた惨めな自分を綺麗さっぱり忘れたい──そんな心理も立派な肴となって、船長の振る舞った甘味酒に若干の香辛料を振りかけている。

──負けの話、ですか。確かにそれも意外と面白いものですね」

田舎貴族や巡礼者を前に、ロレンスも請われるがままに商いの話を披露していた。教会宿の一幕であれ、定期船の酒盛りであれ、幅広い見聞をもつ行商人の小話は何処でも人気の出し物だ。商売に眉をひそめる神父様ですら、説話の種を商人の話から拾うこともあるという。

「それは商売の事ですから、勝つこともあれば負けることもあります。もちろん、少しばかりは勝ち越しているからこそ、ここでこうして皆さんと酒を交わすこともできるわけですが──

おどけた表情で一呼吸置き、小さな笑いを誘い出す。
この辺り、相手の反応を引き出してこその商人に染み付いた習慣みたいなものだ。

「仰る通り、道で転んでも土くれの一掴みくらいは懐に入れるのが商人というもの。大体、商人の勝ち話というのは大抵地味なものですからね。ここは一つ、派手に負けた話をご披露しましょうか」

ロレンスは手元に残った酒を呷り干す。空の杯を置く音が前口上の終わりを宣言し、自然と集まってくる辺りの視線を前に、ロレンスは軽くあごひげに手をやりながら思案する。

「さて、どの話がいいか──そうですね、そういえば一度リュビンハイゲンで……っと、これはマズいか」

忘れもしない話の帰結が即座に浮かび、ロレンスは慌てて口の中に言葉を収めた。最後にかろうじて勝ちを得たとは言え、確かにアレも負けといえば負けた話なのだが。大体あの時以来、決定的に手綱を渡してしまったのだから──

一つの記憶が脳裏に無数の思い出を数珠繋ぎに呼び出してゆき、やがてロレンスの思考は一つの物語に辿り着く。脚色なしでも面白おかしく、それでいて、本当に懐かしいあの頃の。

「では一つ、賭けに大負けした話を。確かあれはもう何年も前、これから到着する聖マルクォーラの港に、私が『船』の配当処理で立ち寄った時のことですが───

静かな船の上。久方ぶりの、狼と香辛料の物語を口にしよう。

to be continued...

狼と香辛料ネタ

……というような話を、ちょっとどこかで公開できればなと。

本当に書きたい物という面が一つ。自分が強みを発揮できる物を書くべきという面が一つ。パイの大きさなど、考える必要なんてもはや無いのも一つ。ああ、楽しくなってきた:)

(2008/05/08)

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