VERBA VOLANT, SCRIPTA MANENT.
時には一つ、昔語りを。
十余年の昔、一万キロの彼方で手にしたこの一冊から、全てが始まった。この本は如星家では「プライマリー・ワン」と呼ばれ、厳重に保管されている(とかなんとか)。
単に初めて同人誌の存在を知ったというだけで無く、その後自分が同人誌に求めるモノを方向付け、やがて作り手となった今にまで続く流れを生み出した、今思えば実に運命的な出会いであった。後の萌え系に繋がる美少女系からの線でも、当時絶頂にあったエヴァブームの線でもなく、大体ありのままに話せば「90年代アメリカの片隅で高校生をやってたと思ったらいつの間にかスクウェアRPG系の女性向け同人誌を手にしていた」とかホントに何を言ってるのかわからねーレベルの出会いである。
それは1995年頃、時はインターネット個人ページの黎明期。偶然と気まぐれから、日本のゲームを英語で世界に紹介しようとしていた方々の手伝いを申し入れたのが端緒だった。
今聞くと、サイトを始めたばかりの個人がやるには随分気張ったコンテンツに思えるが、実は当時「英語で世界に発信しよう」というのは単なる流行りであった。「インターネットの共通語は英語」という最近微妙に復活していなくもない主張を背景に、少なくともトップページは英語であるべきという思想すら余喘を保っていた時代のことである。(おかげで「Sorry Japanese Only(哀れな日本人専用)」という今なお続く珍妙な表現が量産されることになったのだが、それはさておき。)
ともあれ、当時のメールのやり取りが残っていないため細部や動機はあやふやなのだが、その頃アメリカにいた如星は彼女らに原稿の英訳を何度か提供することになった。……そう、「彼女ら」。アシストを申し出た相手が二人の女性であり、そして(後まで全然知らなかったが)同人活動家だったことが全てを決めた。やがて「お礼」として送られてくる一冊の薄い本に、如星は強い衝撃を受けることになる:)
その頃、如星にオタク属性はほとんど無かった。なんせアメリカである。後からアメリカに来た友人の影響で女神さまやスレイヤーズぐらいは知っていた程度、また実は確かにエロゲには手を出していたが(いち早くDOS/Vゲームを出したelfに栄光あれ!)、それはどっちかっつーとあの年齢男子特有の脳味噌の皺から溢れ出す精子の逝き先であり、未成年へのエロ露出制限の厳しいアメリカにあって、日本より早かったPCの普及と、日本に一時帰国した友人の英雄的手土産の結合体に過ぎなかった。……当時買ってきた奴も当然18歳以下だった気がするが、この日記の登場人物は全て18歳以上なので問題なしだよお兄ちゃん。
そこに、いきなり同人誌である。それも女性作家に特有の、細やかな心理描写とストーリー性を持った一冊だ。元々ドラクエのアイテム物語なども好きだったし、それなりに下地はあったのだろうが、何よりこういうサイド要素を個人が本の形にして出しているという事自体が大衝撃だった。攻略とかレビューとかそんなチャチなもんじゃあねえ、強烈なファン活動の片鱗を味わったのだ……(AA略)。
──それから1年後の1996年7月、維如星帰国。その僅か1ヶ月後、俺は有明の大地を踏みしめていた。すなわちコミックマーケット50、奇しくも最初の有明開催であり、僅か一回の差で晴海を知らない世代となり、有明と共に歩み始めた如星の姿がそこにはあった……。頭がどうにかなっていたとしか思えん。
とは言え、当時全盛だったセラムンやエヴァは原作をまったく知らない状態での帰国である。故に、まず手を出したのが大元となったスクウェアRPG系(特にFF6)であり、また海外でも手に入れやすい小説本ということで読んでおり、当時はまだ大ジャンルだった銀英伝だったのだが……その両方が「女性向け中心ジャンル」だったことが、如星のその後の同人人生の流れを決定付けた。この後でLeaf系の台頭があるが、そこにハマったのも女性向けジャンルの系譜と無関係ではない。
今冷静に振り返れば、無知ゆえの度胸だったと思う(苦笑)。何せ王様×泥棒、帝国双璧ツインランス(何)のアレな本がゴロゴロしているジャンルである。だが元よりストーリー性の深さでは男性向けの七歩先を行く女性向け、ガチホモは流石に引いたが、ライトな801であれば純粋に前田慶次風の友情モノとして面白く読み込んだし、ノマカプも十分多いジャンルだった事で「異邦感」もだいぶ緩和されていたのだろう。エドリルとか超好きだったし(炉って言うな)。……この界隈で如星の創作に影響を与えた作品はいくつもあるので、また機会を見て別途書こうと思う。
ともあれこのスタートダッシュの結果、ストーリー重視、シリアス好き、原作のシナリオを重視という、読み手としての嗜好がここで定まった。また当時は女性向けの方が小規模オンリーイベントが多かったこともあり、小規模イベントの世界に早々に触れまくり、「即売会=コミケやサンクリ」といった昨今見られがちな固定観念を持たずに済んだのも大きい。ストーリー重視や小説同人への親しみは、後に「葉鍵SS」として黄金時代を築くジャンルへの愛にも繋がり、むしろそこからやっと「萌え」の世界に入っていったとも言える。
また女性向け同人誌は、総じて装丁や扉、遊び紙等、本の造りが丁寧なのだ。それを当然として育った結果、数年後に君望小説本を作ることになったとき、一冊目のコピー本ですら、装丁や中扉、後書きのデザインには一定の品質を「当然あるべきもの」として自然と取り組むことが出来、その「本としての品質を重視」する流れは今も続いている。特に当時はフルカラー表紙が普及しきる前のこと、二色刷りや三色刷りで工夫を凝らした装丁は、絵心無しに君望小説本を作り始めた時に大いに参考になったしね。
ちなみにFF6は少数ながら、未だに新刊が出る長寿ジャンルに入りつつあるのが嬉しい:)
十数年前、太平洋の彼方でNetscape 1.0を片手に何気なくサイト英訳を引き受けたとき、まさか自分が同人誌なんてモノを作ることになろうとは夢にも思わなかった。この出会いが無かったら、多少その気はあったからオタクにはなっていたかもしれないが、そうだとしてももっと単純な消費者寄りのオタクにしかなってなかっただろうし。不思議なものである。
単に非常に特殊で運命的な「同人世界との出会い」だっただけでなく、「最初の一冊」が導いた先が、後に作り手に回る際に豊かな土壌となったフィールドだった幸運。それが巡り巡って色んな人との出会いに繋がったし、仕舞いには一次作品側に寄稿をするような話にまで広がった。一冊の本は、確かに人の人生を変え得るのである:) 同じ同人作家となった今、これほど心強い「実例」は……って、いや、こういう形で影響を与えるのは単なる偶発性の話で全然心強くないアルね(汗)。
ただそれでも、自分がこうして導かれた同人界から、非常に実り多き収穫を得たのは確かである。最近つらつらと考えているのは、この収穫を誰か「次」に渡すべきだなー、ということなのだ。唐突にこんな話を書いたのも、その前に「自分が何処から何を得たか」をクリアにしておきたかったからでもある。
というわけで次回、「同人誌の作り方」に続く!(多分!いつかきっと!)
石川雅之「マンガを読んでマンガを描くな」の紹介を読んで、漫画に限らず小説、小説の中でもSFでもミステリーでもラノベでも似たような事が言えるなぁと思い、ちょっと図式化してみた。
どうも「江戸なのに排水溝が無い点に突っ込んじゃう」等の表現で「無駄にディテールにこだわる」と勘違いされてる気配もあるが(されてもしょーがない言い方だし)、事の本質は「背景はなるべく原典から取らないと(元文で言うと魔女のくだり)薄っぺらい」ってことだろう。
なお、数多の対象の中からタイトルに「ラノベ」を選んだのはささやかな釣りですのでお気になさらず:)
さて、漫画でもラノベでも恋愛小説でも、自分はやったこと無いけど多分映画撮りでも作曲でも、主体となるジャンルの外から得られる表現手法なり着想なりが、作品に深みをつけて面白みを増す、って事象自体は、多分誰でも最低限何となくは感じてることだと思う。いわゆる「引出しの多さ」ってヤツだ。ただ、何でもかんでも引っ張ってくれば良いってモンでもない。自宅カレーの失敗の話にも似て、自作品を引き立てる正しい取捨選択が必要になるのは言うまでもない。
結局のところ、○○だけを読んで○○を書く場合の最大の難点は、この取捨選択の幅がまったく取れない点に集約されると思う。日頃から大量の他領域原典に触れていれば、その中から自分の書きたい主題、描きたい空気にあった表現手法なりガジェットなりを、自領域に合う形で選択して拾ってくる事ができる。拾うという表現が悪ければ、渾然一体となった原典の海から無意識のうちに着想が引ける、と言っても良い。
ところが主体ジャンルたる○○だけしか当たる先が無い場合、他領域といっても所詮は他人が○○に込めた他領域要素の孫引き、三次創作でしかない。選択可能な幅も量も少ない状態では、せいぜい他人が他人向けにアレンジ済の要素をごそっと持ってくるしか手は無いのだ。元文でいう「既存の魔女っ娘漫画だけから魔女っ娘を描く」行為は、そうして「誰かが既にアレンジして引いてきた魔女要素をコピっているだけ」、富野氏の言う「なんとか系」と簡単に系列化されてしまい、媒体としてもジリ貧になっていくだけ
の追加要素になってしまう。これじゃあ元作品が面白くなるはずもない。縦シューを参考に航空機パイロットを書くようなモンである。あるいは、もやしもんを読んでウィルスアウトブレイクモノを書くような。
卑近な話になるが、如星が二次創作を書くとき、その対象一次創作や、他の同志の二次創作「だけ」を参考にして書くことは、もちろん無い。よく参考にするのは「二次創作という翻案化のプロセス」として「他の一次作品の二次創作」だったり、そしてもちろん数々の媒体がもつ表現手法──SF小説やラノベ、映画のカットだったり音楽だったりするわけだ。そして例えば「チキン・ダイバーズ」を書いたとき、軌道降下モノのSF「だけ」では到底書けなかった。「完全空想で現実にはありえない再突入」を描くにも関わらず、付け焼刃ではあれ、再突入のノンフィクションを当たったり、JAXAの資料を当たったり、リアルと言われる映画を当たったり(流石に再突入体の本物にまで元ネタを遡ることはできない!w)して、よーやく「ちったぁマシ」な厚みが出るかなと思えてきたのだ。これが日頃から親しんでる歴史系等だったら楽なのになぁ、などと思いつつ。
最後に。よく「漫画だけを読んで」や「ラノベだけを読んで」といわれる際に、それがあたかも「漫画やラノベが表現として劣っているから」のような言われ方をする事がある。俺が上で言っているのは、そんな偏見とはまるで関係がない。パンのみに生きるにあらずであってパンなしではない、と言うではないか:) 「だけ」なが問題なのであって、それはどんなジャンル、どんな媒体で作品を創っていても同じ事だろう。石川氏の言う「入念な下準備」とは、別に「背景にこだわる」ことでも「ディテールに徹底的にこだわる」ことでもなく、「あるいは雨樋の存在を知った上で描かない事を選択する態度」、自分の作品に繋がる他領域には(選択の幅を許す)厚みを持て、ということだと推察する。少なくとも、自分はそうやって作品を創っていきたいなぁと思う次第だ。
同人誌を作るのに必要なのは、原稿作りの知識だけじゃない。「同人誌作りはプロジェクト」という最近の思いを、ちょっくら文章にしてみよう──それが、今回書こうとしている「同人誌の作り方」なる記事の根底にある発想だ。
大体「同人誌の作り方」なんて、今時ぐぐれば色々出てくる。原稿作りのノウハウ、印刷時のノウハウ、イベント参加時のノウハウ等々、ネット時代、ブログ時代ってのは偉大なモンである。……でも、それらの記事の多くは「原稿の作り方」から筆を起こし、付帯的に印刷の話やイベントの話をしている物がほとんどだ。
一方、かのイワエモンこと岩田次夫氏は、同人誌を「『創作→編集→出版→流通→販売』の全てを自分の管理下で行う出版物」
と定義づけた。これは確かに言い得て妙で、個人がどうの商業がどうの媒体がどうのと細かく定義するより遥かに明確で分かりやすい。今俺がこの台詞をアレンジするならば、「『企画→創作→製造→流通→販売+広報+会計』の全てを自分の管理下で行う創作物」辺りになるだろう。
実際「製作から頒布に必要な全てのステップを自分で管理する」とまとめてしまった方がスッキリするほど、「同人誌作り」でやるべきことは多いし、その全てをコントロールすることが「同人活動」じゃないかと思う。実際に同人活動をされている方なら当たり前の感覚だろうけど、逆に当たり前すぎ、「同人誌作り」と言ったときに原稿作り以外の部分に言及するのを忘れてしまっている状態が、先の「同人誌の作り方記事」ではなかろーか。それに同人誌製作未経験者の方も恐らく、同人誌作りと言えば「実際に原稿の上で手を動かす部分」にばかり注目しがちじゃないかと思うのだ。
そこで今回の記事では、「同人誌を作ってみよう」と思い立つ瞬間から、「頒布し終わって一息ついた状態、あるいは在庫を抱えて涙目の状態」に至るまで、その全てのステップをできるだけ省略せずに書いてみようと思う。多分、流れとしてはこんな感じだ。
発起:何故同人誌を作るのか──意外と重要なモチベーション
企画:どんな作品を作るのか──目的と力量のリソースが決める作品形態
計画:イベント合わせの進行管理──人は「締切」無しには動かない
仕様:印刷に関わる検討事項──原稿を「作る前に」決める印刷所
設計:何を誰にどれだけ創る──仕様の最終確定:予算と理想と目的と
創作:「同人誌」の作り方──表紙から装丁まで:メインの創作だけじゃ終わらない
製造:入稿、印刷、発送、納品──「赤の他人」が絡む最難所
広報:同人世界の広報論──受け手はいったい何を見る?
頒布:イベント参加の楽しさよ──頒布にまつわる基本事項
人事:人間関係山ほど全部──一人じゃ作れない、一人じゃ読まれない
経営:同人活動の続け方──これまでと、そしてこれからと
……自分で並べてて溜息出てきた! 嗚呼同人誌作りで為すべきの多さよ……。
ま、本当にここまで隅々書き切れるかは分からないけど、とりあえず「原稿の作り方」に留まらない話を、自身の10年近くの同人活動で多少なりとも会得し到達したと思えるノウハウを、自分で同人誌を作ってみようと妄想したことのある全ての人に捧げたい。
今はなまじWebという発表形態があるが故に、モノの形にして作品を出すことに対し、高い壁を感じている人もいるだろう。実際、若い世代では同人活動への新規参入者が先細っているという不気味な噂も聞く。そんな中でも同人誌作りに興味を持ってくれた人に出会えた時、笑顔と共に一つのURLを渡せる状態にしておきたいのだ:)