祈るがいい。自らが殺めた骸の為に。
まるで全身に澱みが溜まっているようだ。
肉体的にきついことはしてないはずなので、精神的なモノに肉体が引きずられているのだろう。自分が一週間何をしてきたのか、記憶すら希薄になる、そんな乾いた日々。だが乾いたのは日々のほうではなく、自分のほうではないだろうか? ただ自分の心が周囲の潤いを吸収できなくなっているのではないだろうか?
せめて前を向いたまま。自分の心身に関して、自分以外の責任者などいやしないのだから。
Summary="−−−−" Physical:-- (2003/05/11)
久しぶりに平日に秋葉など来てみる。……サボってませんよ、終業後です:)
つまり、その、なんだ。ヲタはヲタらしく生きろと。そういうことか(w)。
背伸びしないとエスプレッソメーカーに届かないメイドさん。
だから、背伸びするとスカートが…なんて心情は1mmもないんですってば。あんなものは飾りです。背伸びという行為に価値があるんですってば。
何を力説しているか俺。
Summary="−−−−" Physical:-- (2003/05/12)
素敵な出会い、というまぁ死語のような言葉が示しているように、物事の始まり、特に人間関係の始まりをヒトは重視し、それが良きものであるよう願い、そして更には良き始まりを回顧し、それを祝う。
だが最も親しい人との最初の出会いを克明に記憶している人間がどれだけいるだろう? 実際、結局回顧しているのは「ここをもって始まりとする」とした任意の個所に過ぎず、本当の始まりの瞬間などが全てを左右するケースなど、一期一会の商談ででも無い限りありえない。
そう、物事の始まりに大した意味など無い。大抵、それなりの意味を持つのは終わりの方なのだ。
だが始まりについての理想や現実を語る人は多かれど、その終わりを真剣に語る者は少ない。本質では分かっているはずだと思う、「終わりよければ全て良し」という言葉もあれば、「死に場所」についての葛藤はよく扱われるテーマだ。ならば、別に人生の終わりに限らず、人間関係でも事業でもなんでも、その半ばにある時からその終わりについての考えたって必ずしも後向きではない。
曰く、劣勢下で開戦できる将軍なぞ無数にいるが、劣勢下で停戦に持ち込める政治家は稀である、と。避けがたい幕引きを終焉と捉えず、むしろ総括と受け止められるならば、終わりのために悩むことは無駄どころか遙に人生の糧になる、と信じて。
So I write, to you.
Summary="−−−−" Physical:-- (2003/05/14)
結局のところ、このような形で日記を書く、ひいては「文章を書き連ねる」というのは、自分の心、考えをまとめるという行為に他ならない。また知識にせよ娯楽にせよ、受けている一方というのはつまらないし、また自分の場合は、整理もされず内側に積みあがっていく受動性が引きこもりのような精神構造を生んでしまうらしい。
得た経験を元に実践、というのは理想だが、とりあえずは内に入れたものを外に出すというプロセスだけでも大切なのだと思う。日常から得た漠然とした感覚を外に出すためには、自分の中でそれが体系づけられ、納得して知識化されていなければならない。そうすることで、日常の経験はようやく「自分の考え」に変化するのだと思う。自分の考えが足りないとき、人は受動的な、精神が死んだ状態にすらなってしまうと思うのだ。
人によっては、外に出すという行為は「自ら行動すること」であるかもしれないし、それが知識分野であれば「誰かに喋ること」であるかもしれない。そしてこの自分に取っては、それはやっぱり「書き出すこと」なのだろう。「文章を書き連ねる」。結局そこから得られる愉悦を知ってしまったが故に、逆に「書き出さない」というコトは澱みとなって自分に跳ね返ってくるのだ。
……と、ここ最近の精神的不調を振り返って思う次第。繰り返される日々の中で浮かぶ新しい刺激、それへの考えというのは決して多くは無く、であればせめてその僅かな考えを追いかけて、定着させるプロセスを踏まないと、本当に自分が乾ききってしまいそうで怖いのである。自分の手持ちの娯楽の中で、最も能動的な「書く」ということにすがるのは、そういう理由なのだろうな、とも考えてみるわけだ。
That's why I write, to you.
Summary="−−−−" Physical:-- (2003/05/15)
Cos-Cha→StoneFree→Serie。今宵はなんという河岸の変え方だろう:)
とりあえず空腹という理由で会社から近場のCos-Cha。本日はごくごく普通の店、という印象でしたな。メイド様方も店内も。相変わらずカプチーノが旨かったのと、後一歩フロアサービングを(知識レベルで良いから)教え込めば完璧なのにな、と思ったぐらい。ああ、コスプレに関するアンケートがあったので、迷わず「不要、あるいはギャルソン服なら」と明記して離脱(w)。だってコスプレ系は既に秋葉にも店舗があるし、ただでさえ小さなパイを小さなエリアで競合しているのだから、Cos-Chaのコア・コンピテンシーをそんな超々競合エリア所に求めてもしょーがないでしょう:)
で、StoneFree。横浜直行というケースは実は珍しい。
ここのパスタを必ず食べたかったので、出てくるまでの時間を見越して最初の一杯と同時に注文。つまり2杯目はパスタに合わせて軽くなるわけで、とりあえずの1杯目はガツンと何かやりたくなる。……と迷っていたら、若手のバーテン氏(そう言えば名前知らない……)がラムを勧めてくれる。
原語は忘れたが(追記:「トロワ・リヴィエール」だそうだ)「3つの河」という意味の名前で、3種ぐらいの年代が揃っている。一番古く丸みのあるヤツを頼んでみたけれど、ラム独特のいがらっぽさというか、シガー臭さが綺麗に残っているのに、尖った感じはまるでなくて飲みやすく、まるで古いモルトのよう。話に聞けばこのラムはもう入手不可らしい。……蒸留所が閉鎖とか買収とか、そういう話は色々聞くが、なんとこのラムの蒸留所は燃えたのだそうだ( Д ) ゜ ゜ これだけ旨いラムだけに、そんな理由で絶えてしまったのは非常にもったいないねぇ……(ノД`)
ブラッドオレンジが今あるので、と聞いて飲んだ一杯。正直、カンパリオレンジというのは好きではない。カンパリの苦味がオレンジの嫌な苦味と絡んで、すぐに不味い酒に堕してしまうからだ(ましてや「飲み屋カクテル」のなんかもっての外)。しかし「苦手」と伝えた俺に敢えて勧めてくるバーテン氏の挑戦は受けねばなるまい:)
というわけで、久々のカンパリオレンジ。直絞りのブラッドオレンジが非常に濃厚で、ドロリという表現が似合うくらい。おかげでカンパリの苦味がオレンジの嫌な苦味と結びつくことなく、苦味を旨みとしてゆっくりと味わえた。
あわせて出てきた「そら豆と生ハムのパスタ」は、生ハムをオリーブオイルで揚げてから使ってあるとか。相変わらず見事な硬さで茹で上げたパスタにピタリとあい、ここでしか味わえぬ至福のひと時。「芯があるくらいのアルデンテ」は日本人の好みではないのか、パスタ屋に行ってもなかなかこの硬さにはならないからねぇ……。
以前渋谷「AW」で飲んで惚れ込んだ逸品。とりあえず気分的にはCafe Serieのデザートで締めたかったので、終電を考え「さっさと飲み終わる」ドリンクをと考えたら即座に浮かんできた名前。ギンギンに冷えていてもかすかに香るブランデー入りのウォッカを霜の降りたグラスに注いで。……そりゃ早いわな、5秒で飲み終わるんだから:)
店内では最近見始めた顔の新人さんが、いかにも研修生っぽく奮闘していた。そういえば、ラムを勧めてくれた若手の(って、全員若いんだけどさ)バーテンさんも、俺が学生時代に来たときはやっぱり同じような雰囲気だったなぁ、と思い出す。昔自分がそうやって見ていたバーテンさんが、今やキッチリと自分の趣味と客の好みを見て酒を選んでくれるなんて、何処となく嬉しくなってしまうね。
ここで終電のきつい相方と別れて一人Cafe Serieへ。
ふらふらと川を渡って店にたどり着くと、流石に金曜の夜で大盛況。しかし厨房前の「一人客のカウンター」は普通にあいてたので、すんなりと酔った身体を落ち着けさせる。前々から狙っていた「青梅のコンフィと梅酒のグラニエ」と、凍頂烏龍でのんびりと。酔い覚ましに氷菓子であるグラニエがひんやりと気持ちいい。
……と、隣のイタリアンのシェフが同じようにふらりとカウンターにやってきて、やっぱり頼むは「アマーロ」。このイタリアの薬草酒を自宅に据え、一日の最後にマターリやるって習慣自体、このシェフがそうしてるとSerieで聞いたからだったりする:) 当のご本人が飲んでるのを見るのは実は初めてだったけど。
俺から見ると、Serieのシェフ氏とPulecenellaのシェフ氏など、お二人とも芸術的な域の腕を振るう職人様だ。だけど、たまたまIRCで連絡事項があったんでノートPCを開いていたら、俺のいるIT業界はやっぱり華に見えるという(苦笑)。俺の仕事なんてIT社会のガレー船の漕ぎ手だと言えば、向こうは朝から晩までメシを作る土方だというし。ま、隣の芝は青いの法則ではあろうけど、それでもやっぱり他人に直接的に感動を与えている彼等の職業を、俺は尊いと思うんだけどな。
結局酔いが覚めたら腹が減ってきて、更にタルト・グランジャンとエスプレッソをやってしまう自分。ああ、減量計画は何処へやら。
Summary="−−−−" Physical:-- (2003/05/16)
如星が「対話」の効用を信じている、という話は前々から幾度となく触れてきたと思う。
だからこそ、逆に対話の無い関係というものを私は信じない。短く要約すれば「思い込みなんぞクソ食らえ」となるが、要は対話、すなわちコミュニケーションを欠いた、思い込み等々による関係などというものは、関係と呼ぶに値しない、と思うのである。
以心伝心は、致命的な認識のずれを気づかぬまま進行させる、という点で好きではないが、一応親密な部類のコミュニケーションではあるのでまだ良い。問題は、二者の関係──友好であろうが、敵対であろうが、愛情であろうが──をある固定のものと思い込み、その後対話を一切行わないようなタイプの関係だ。一番多いケースは「敵対」であろうが、実際には友好関係にもそれは生じる。いわば「上っ面の関係」というヤツだ。自分にとって相手はコレコレである、と一度思い込んだが最後、そこで満足してしまうなんて、本当に「関係」と呼べるのだろうか? ましてやそれが「恋愛」だと言い出すに至っては、噴飯物としか言いようが無い。
大体人間の思考ってのは、「対話」が無ければ「思い込み」になる。いくら熟考しようと追加の情報が無いのだから、最初に向いていたベクトルから決して反れる事は無く、結果として当初僅か0.2度のズレからスタートしたとしても、数ヵ月後には二者の認識間には艦隊が行軍できるぐらいの隙間が出来ているというわけだ。
#だから「何年も相手を待っていた」なんて設定の恋愛モノは正直言ってキモいんですが。エエ。まぁ恋愛自体思い込みみたいなモンですから、どー始まろうと大した差は無いのかもしれませんが:) 過去の経験が再会のきっかけだけに留まらないよーなのは最悪。安直なエロゲとかエロゲとかエロゲとか。電波ちゃんはもうおなか一杯。
だから、もし誰かとの間に対話が絶えていたら、それは「ただの他人」ということだ。敵対もしてなければ友好も結んでいない。物理的な力によってのみしか自分に影響を及ぼさない、いわば「環境」みたいなモンである。それを「関係」だと思い込むが如き行為は、とりあえず私のようなタイプの人間からは哀れみしか引き出せないというコトは、今ここに明記しておこう。
Summary="−−−−" Physical:-- (2003/05/17)
久々にフィールドで(w)DDRを踏んでみる。
自宅でかなり足と目を慣らしておいたおかげで、持ち曲・新曲いずれにしても、ひと月前よりは相当さくさく踏みこなしていける。軽く「踏みの美しさ」にもこだわって、巷のドタバタ君やマリオネット君にならないように注意注意。……より体力を消耗するんだけどね。
……っつかですね、今でもやっぱり「後の手すりにガッツリ掴まってタカタカ踏む」ってスタイルの人いるのね。いや別に構いはしないんだけどさ、正直言ってかなりカコワルイ。足先への体重負荷が減り、困難なステップを軽やかに踏めるようになるのは分かるんだけど……。マニアックに踏む、という観点からも邪道だと思うし、ギャラリーゲーという観点からも論外で「引いて」しまうし。どっちつかずで中途半端なのは見ててもにょるよなぁ。
Summary="−−−−" Physical:-- (2003/05/18)
「死者の代弁者」(オーソン・スコット・カード)上・下読了。
前作「エンダーのゲーム」もそこそこの面白さだったけど、本編「死者の代弁者」は、見事なミステリータイプのSFに仕上がっている。「一刻も早く続きが知りたい」などと焦らされながら読み進んだ小説は久しぶりだ:)
前作よりも異星生物の扱いに重きがおかれ、それに伴う「疑似科学」もより細かに描写されていて、SF好きの欲求を満たしてくれる。主人公のエンダーはもちろん、前作の「デモステネス」も実に効果的に登場し、前作世界との繋がりを感じさせてくれるのも巧い。だが何より特筆すべきは、「まったく異質な生命層」を一種のミステリーに仕立て上げ、謎解きのように進ませていくストーリーだろう。ある意味、読み手の想像力に挑戦してくるような物語である。
ま、前作と同様、翻訳レベルはかなり酷い。片仮名振り仮名依存や直訳スタイルは相変わらずだ。だが今回の場合、全体の構成の巧さのおかげでさほど気にならなくはなっている。……そう考えると、前作もやはり原文自体の質が悪かったのだろうか。
異星生命モノに正面からガッツリと取り組んだこの作品、人間感情への落とし方には好き嫌いも分かれそうだけど、とりあえず読んでおいて損のないレベルでありました。お勧め。
Summary="−−−−" Physical:-- (2003/05/19)