VERBA VOLANT, SCRIPTA MANENT.
かつて「マルドゥック・スクランブル」に登場するヒロイック・ピル──「多幸剤」の下りを読んだ時、いかにもサプリメント万歳の現代から見たサイバーパンク近未来、という感じがしてニヤリとしたものだった。脳内に無根拠の幸福感をもたらすこの薬を、特に貧民層、そして中間層までもがジャラジャラと常用して日々を過ごす様は、古典的ながら巧いブラックユーモアだなぁと思ったのだ。
……が、今やデスマ中のSEがGABAチョコレートを一缶頬張りながら仕事をし、あるいはこの成分が野菜ジュースにまで投入されている様を見ると、サイバーパンクの物語だった事象はとっくに現実のモノになっていたかと(一割の寒気をもって)苦笑してしまう。向精神薬と言われるといかにも薬ですみたいな抵抗感があると思うのだが、リラックス成分だの元々チョコに入ってるだのと言い換えるだけで世の中の人は抵抗なくなるのかねー。不思議だ。
そういや大豆ベースの携帯食や、豆から作る代用ビールなんてのもすっかり普通に現実として登場してしまったわけだ。しかも、その摂取を必ずしも摂取側が不幸と思っていない辺りも、とてもサイバーパンク的と言えばその通りである:) 例えば今のインターネットやナノテクの発展がSFを凌駕する、なんて話はポジティブにもネガティブにも分かりやすく口の端に上るし、管理社会等の真っ向ダークなイメージもサイバーパンク時代到来かと言われたりするけれど、こういう生活面に密着した微妙な暗さが追いついてきた、って認識はちょいと新鮮だったので改めて書き留めてみた次第。
いやホント、我々は面白い時代に生かされてるなぁ、と思いますよ:) これは決して皮肉でなしにね。
今日の一滴="−−−−" (2006/10/04)
先日の銀座松屋イタリアフェアに続き、新宿伊勢丹のイタリア展に行ってきた。
結果から言えば、去年のフェアと出店傾向は似ているものの、幅の広さ・マニアックさは大幅に強化されており、今年は銀松に負けまいとする(単に如星の思い込みなんだけど)気合がしっかりと感じられた。実際如星の購入量が銀座松屋の倍近くになった辺り、今年の勢いは伊勢丹の勝ちかな、というところだ。
この手の異文化フェアは、実際に輸入代理店で活躍しているような、知識も豊富、そして伝道師の資質を持った売り子をどれだけ確保できるかに面白さの鍵がある。今回はそういう伝道師が大量に配備されており、見慣れない食材の特性から実際の利用法まで、何処へ行ってもスムーズに話しこめたのが実に楽しかった。それも通り一遍等の商品知識ではなく、本人が実際に口にして使ってみての話振りな辺り、ただの売り子バイトではなく、スーツに身を包んだ、普段は店頭になど立たなさそうな人が多く精力的に動き回ってた印象と合致する。おかげでまあ、下の戦利品写真にも見て取れるように、赤ピーマンのジャムやらタマネギのモスタルダやら、ワイン用葡萄のペースト(ジャムにあらず)、赤唐辛子の詰め物など、一見「実際どう使うんだ」と悩むような品を大量に買い込む羽目になってしまった:)
また前回惚れ込んだ「ピエトロ・ロマネンゴ」の砂糖菓子も健在。新たにバラジャムやシロップを加え、シュガーボンボンやシナモンシュガーを半年以上持ちそうなぐらい買い込んでしまった。この独特の濃紺の包みがまた品が良くて良い感じなのよねぇ……。そしてこれまた前回と同じく野菜屋が出てたので、アーリオやらその他見慣れない茸をいくつか購入。日持ちはしなさそうなので、早速この週末にパスタなりリゾットなりで食ってしまおう。
それにしても、我ながら何故こんなにもこの手のフェアを楽しみ、そして決して安くはないこれらの食い物を買い込んでしまうのか。それは「輸入食材=高くてイイ物」という観念で捉えると、本質を見誤る。そうではなく、この楽しみを大げさに言えば、世界の均質ならざるを知る、って事なのだ。
確かに、これらの食材は高い。もちろん良い物でもあるからだろうけど、はっきり言ってしまえば「少量を輸入してきたから」という当たり前の理由が一番大きいだろう。だから如星の中には「日本の食材より良い物だから」という認識はほとんどない(一部はあるんだけど)。一方、以前年代物の酒の話でも書いたけど、如星は「違う」ことを最も楽しむ。このイタリア系食材の山は、「日本の食材とは違う個性があるから」という、これまた当たり前の理由で買い込んだモノなのだ。
例えば野菜一つ取っても、あまり海外経験のない人は(如星もメリケン以前そうだったが)、アラブ圏等「明らかに異質な」文化圏でもない限り、野菜なんて万国共通だと思いがちである。だが実際には欧州圏だって十分異質で、トマトはトマトではないしナスはナスではない(笑)。今の日本の食文化輸入元にして食の砂漠たる(実体験より)アメリカですらそうだし、さらに西欧圏ど真ん中のイタリア程度に出向くだけでも、類推もできないぐらい異なる野菜群が市場に並んでいたりするのだ。そういう「自分の常識圏を超えた何か」に触れる喜び、多様性という楽しさ(VARIETAS DELECTAT)。これは旅行好きにはお馴染みの感覚だろうけど、その感覚を食道楽という趣味でも味わうことができるのだ。されば、指を伸ばさないわけにはいかないだろう。
そして重要な点が一つ──この体験は、大抵の旅行より格段にお求めやすいのですよ:)
今日の一滴="紅茶:青山TF経由キャンディ" (2006/10/07)
普段本を読まない人間の「面白い本」は本の外に仲間を求めるもので、
普段から本を読む人間の「面白い本」は本の内に世界を求めるものである。
という台詞が頭の中に引っ掛かってるんだけど、一体誰の台詞か、何処からの引用なのかがさっぱり思い出せない件。うーむ、何処で読んだのだっけかな……。
にしても、なかなか言い得て妙な言葉だ。なんつーか本読みの多くが「ベストセラーに旨いモノ無し」と感じる理由を巧く言い表してると思う。もちろん単なる話題共有ではなく、たまたま同じ本を面白いと感じた人間同士の会話は楽しいものなんだけどね。ただその場合、往々にしてそういう出会いは偶然でしか起こらなかったりするのだけど。
ちなみにつらつらと余談になるけど、安直な「属性萌え」の多くがこの「仲間を求めた」代物だろうというのが如星の予測。本当にその属性に愛があるのではなく、会話ネタと仲間を求め、むしろ自分の側に「〜萌えという属性」を付与しているに過ぎない、と言うか。何とか萌え連中同士の間には決して冗談以上の諍いが起こらず、一方で腐女子の中でも極まった者はカップリング異論で本気で戦争を巻き起こす、という辺りにそんな気分が現れてるのかも。……いや単に事象として取り上げただけで、己の趣味と他者の趣味を戦わす、なんてのは本来愚の骨頂だけどね。念の為。
今日の一滴="−−−−" (2006/10/09)