VERBA VOLANT, SCRIPTA MANENT.
硫黄島の戦闘を描き、後に日本側の視点「硫黄島からの手紙」が続くこの映画、実は全然アンテナを張ってなかった事もあってノーチェックだったのだけど、如星が戦争・戦記モノの好みには信頼を置いているふくぞうから結構良かったとの話をIRCで聞き、早速この週末に観てみることにした。したのだが……。
如星は映画は必ずオンラインで座席予約を入れていくタチである。食事にしても娯楽にしても、とかく並ぶという事が嫌いだし(唯一の例外はコミケぐらいのモンだ)、良い席を取るためにさらに余計に貴重な休日の時間を使うなどアホらしい。酷い席で見る映画ほどしんどいモノはないしね。が、今回よく確かめずに公式サイトのリンクを辿って馴染みの横浜ワーナーに予約を入れたのがマズかった。
──いざ劇場に入ってみると、なんかやたらと人が少ない。まーそら万人受けしなさそうな映画ではあるけど、それにしたって一応それなりの上映館を確保した作品である。まぁ空いているに越したことはないのでいいか、と気にせずにいたわけですよ。そしたら何か表示されたタイトルに「日本語吹き替え版」とか書いてあるんです。もうね、アホかと(ry
や、吹替えには吹替えのよさがあるし、指輪なんかも(戸棚様の字幕よりは)吹替えの方がいいんじゃって声があったぐらいなわけだけど、やはり戦争映画の楽しみの一つはぶりばりの軍人英語である。大体この手のシリアス映画は、吹替えや、字幕でだって情報量が落ちるので、そりゃ一発目ぐらいは英語で観たいモノだ。……まぁ世の中の人の考えることは似たようなもので、それが素直に観客数に反映されてたってワケですよ。
まぁそれでも止むを得ず観賞開始。で、よーやく言語回路切り替えて映画に馴染めてきたと思ったら、なんか隣で電話が鳴りやがるんです。しかもそこで会話始めてんの。友人からのイタズラ電話だぜとか感想言ってるの。もうそこでブチ切れですよ。死ねよ貴様と。やっと案の定寝始めて静かになったと思ったら──次は寝言ですよ。ヤバい。目が覚めるたびにブツブツなんかそいつの連れに寝言ほざいてんの。映画館で男がしだれ掛かって睦み言て。中学生でも言わねえよ。最近。
とにかく貴様ら、いくらメジャーな映画館でも客のこなさそうなホールの客筋のヤバさをもっと知るべきだと思います。そんな映画館のタンツボに腰まで浸かって映画を見た俺とか超偉い。来週字幕で頑張る。もっと頑張る。超頑張る(涙)。
──つわけで、真面目なレビューはとても今書く気にならないので来週以降。あ、全体的に良作だったことは先に言っとこう。
今日の一滴="−−−−" (2006/11/05)
ご報告が遅くなりましたが、当方も無事冬コミ当選いたしました。3日目東プ-08a「神慮の機械」にて皆様のお越しをお待ちしております。今回はようやく外周・中央通りに面していない誕生日席に戻れました:) いやー、大通りに面してると正直色んな意味でしんどいのですよ。一見のジャンル流しの方々にも来ていただき辛くなりますしねー。
新刊予定はもちろん、夏コミの「夏色透かす桜(略)」の続編を。ささらとこのみの対決は彼らの関係に一体何をもたらすのか。互いの傷に向き合ったタマ姉の次の手は。ダークホースたる雄二に出番はあるのか(笑)。「正史」とはまた異なるタイムリミットが迫る中、彼らの大団円は何処に着地するのか──あるいは、できるのか。今度こそ完結編、乞うご期待。
もちろん、上の煽り文句は内容を一切反映していない可能性があります(お約束)。
しかし夏で完結させるつもりで思い切り「夏色」のタイトルをつけてしまっただけに、カバーデザイン等も悩みどころですね。タイトル無視の季節感で行こうかとは思っているのですが、ま、その辺りは続報をお待ちくださいませ。
あとできれば全然別のるーこ短編を一本収録したいなぁ、と考えてます。るーこ可愛いよるーこ。久々にちょっと昔の君望風な一本になる予定です。ちなみにタイトルは「When I wish upon the Moon」。コンペ(何処)に出そうと書き出して間に合わなかった作品なんですけどね!
今日の一滴="−−−−" (2006/11/06)
先月は小説にしても漫画にしてもアニメにしても、意図せずして普段よりインプット量を増加させた月になった。
特に漫画はほとんど新開拓をしない方の如星にしては珍しく、先月は友人からのリコメンドを広く受けて大人買い(大人げない買い方の略)などしてみたり。タイトルを縦に並べてみても一見大したことないけど、良く見ればシリーズモノがぼこぼこ含まれている辺りが衝動買いの表れである。ま、いわゆる本当の読書家の人に較べれば全然少ない方だろうけど、メリケン時代の習慣から主に重読で日々を過ごす如星にしては多いほうなのですよ。
この中のめっけモンは「ほーむ・るーむ」かなー。きらら系4コマは少々連続で外してたのだけど(GA芸術科も今一つってとこ)、これは一見テンプレ学園物に見えて中々の良作。後はらぴす氏からアニメ共々強力なプッシュを受けた「パンプキン」も結構良かったのだけど、直後に自ら同じくアニメ経由で読んだ「ラグーン」により、人生のシビアさという面を含めて少々霞んでしまった感が。ローデリアの王女サマには久々にキャラ萌えしたりもしてるけど:) ヨイコは復刊後の待望の完結で、これは一度真面目にレビュー書きたいところだ。エンドは少々あっさりしすぎてる気もするけど、明暗くっきりな辺りは素敵。
小説は相変わらずの桜庭ラヴ人生。砂糖菓子以来のアンチセカイ系・少女の生き様の系譜は完全に如星のツボらしい。これもレビュー書きたいと(略)。ローマ人は文庫版もついに下り坂の入り口で寂しいのう。皇国は戦記好きから毎度勧められてた作品だけど、漫画が良かったので原作を買ってみた珍しい例かも。まだ3巻目だけど、政治まで含んだ引き込み方は流石。「ビール」は懐かしき小林めぐみの名を見、かつぶどう氏の「軽すぎるのが良い」という声で購入。彼女の「ねこのめ」シリーズは如星の原点にして、今でも猫SFの金字塔の一つだと思ってるしね。
さて、これは先月に限るわけではないのだが、アニメ。この日記では何度も書いてるけど、如星はほとんどアニメを見ない。声優の名前とかさっぱり分からない。まぁテレビ自体滅多に見ないわけで、単純に時間拘束型の娯楽が苦手というだけなのだけど。ほら、身近なアニメ好きの人ですら新番組の海で録画消化に苦労してるのを見てるしさ:) 過去に見た作品は友人から借りて2日で消化とか、そういうパターンばかりである。──そんな俺が、今期は2本もほぼリアルタイムで作品を追っているのだから驚きだ(笑)。
一つは「Kanon」。「これにノスタルジィを感じる時点で、自分がヲタでなくなる日は来ないだろうと思う」
という名言を残した友人がいるが、まさにそんな感じ。また総じて品質がとても高いのが、視聴が続いている最大の理由である。自分は何でも強い没入型の視聴をするタイプなだけに、アニメ、いやそれ以外のドラマや邦画でも、少しでも不自然な演技や変な作画等の「現実に醒め返ってしまう」要素があると気恥ずかしさが先行して観るに堪えなくなってしまうタチなもんで、この点はとても重要なのだ(言い換えれば、俺はムサシやキャベツを楽しめるほどの玄人ではないw)。つーか痛い子だらけのこの作品(誉めてます)を正視に堪える演出で表現した奴は偉いよホント。うぐぅが音声になっても正聴に堪えるとか凄い。そもそもここまでのところ、一番真人間に見えるのがあゆってどうなのかと思わんでもないが(笑)。あー、ただ毎回のタイトルだけは少々こそばゆい。ちょっと何処の耽美系だよという感じで。
ちなみにOPを見ただけで少し泣きそうになったのは秘密。(同時に「そこで切るか!」とか思ったわけだが。え、映像特典なんて餌には負けないんだからねっ!)
もう一つは「Black Lagoon」。これは前期からの引き続き視聴である。ホント珍しい。最初は単にOPに惚れ込んで見始めたのだけど、TRPGのシャドウランを思わせるツボにはまった世界観が、とにかく高い映像的品質で描かれているのが継続要因である。ちょっと語ろうとしている主題に対して尺が短く感じるというか、多数の要素を詰め込みすぎて「間」の要素が落ち気味なのは少し残念。CowboyBebopのような「無音にして千言を語る2秒間」が時たま欲しくなるのだ──双子の青天下の死に様辺りとかね。なおこれは原作も良いと聞いて前述のように早速全巻揃えてみたのだけど、こちらも大満足。物語の描き方、アニメにはない英語スラング三昧等、アニメが原作を貶める事はあっても、駄作から良質アニメは生まれないという好例かも。ただ、漫画でも静動の「静」がもう少し欲しい点は同じであった(ああ、アニメは原作に忠実ってことか!)。
この他「パンプキンシザーズ」等他に勧められてる作品もありんすが、正直もうこれ以上は時間的に無理ッス。もったいないなぁとは思いつつ、趣味の取捨選択はいつだって趣味先行型人間の悩みなのである。強引にオチ。
今日の一滴="−−−−" (2006/11/07)
ブラックジョーク五箇条の四に上げている「だからと言って自虐にすればいいと思い込んでいる奴」とは、散々他者を貶すような、批評というには余りに恣意的な罵倒を並べ立てた最後に、「これは自らへの戒めでもある」と書けばどんな暴言も免罪されるかのように思い込んでいる奴のことである(一体何に対する免罪かは知らんが)。否、それが暴言ではなくある程度真っ当な批評であっても、その意地汚さに変わりはない。それは自分にすら鉾先を向けてるのだから、他者には何を突き立てても構わないだろうという一種の言い訳、反論された際に自らも被害者面する為の小賢しい弄言に過ぎない。
もし本当に自己批判が目的なのであれば、他者への罵倒を長々と先に立てるのではなく、自らへの批判を主にすればいい。他者の事例などは冒頭で話の呼び水程度に扱う程度で十分のはずだ。──と言うかな、他人を批判するなら言い訳など用意せず堂々とやれ。批判と人格攻撃が広く癒着しているが故に、純粋な批判ですら時に悪とみなされてしまう御国柄では多少の逃げ道を用意するのも仕方ない、という弁護もあろうが、それが恐ろしいのなら批判などしなければいい。大体逃げ道が欲しければ、結論に抜け穴を作っておく方が、自分を擬似被害者の列に並べることで逃げを打つよりはまだマシだ。ま、この手の逃げはそんな純粋な論理面の構築からは程遠い、単なる罵倒で使われることの方が多いのだが。
何にせよ、この話に限らず、俺はそういう白々しく公平感を装った言動が大嫌いなのだよ。
今日の一滴="−−−−" (2006/11/08)