ご無沙汰しております如星ですこんにちは。
結局全然日記を書くことが出来ないまま半月近く……。 レビューシリーズを書こうと思っていたものの、12日の「鋼の錬金術師」を最後に止まっております……うーむ。 まだまだ書きたいネタは多いのですが、これを無理に書こうと引っ張っていると日記自体が完全停止するのも自明なので、そろそろ見切って普通日記再開と参りましょう。
とは言え、実際には忙しくて時間が取れなかったというよりは、キーボードに真面目に向かう精神が持てなかったという方が正解です。 いや忙しくはあったのデスが、それ以上に本を読んだりROをやったり肉食ったりと、自分への入力系の趣味以外をする気になれないモードが展開されていたのであります。
ま、こういう時はこういう時と割り切る形で。 ……なんかWebサイトオーナーの台詞とも思えぬ無責任さですが(汗)、ここはそーゆーサイトなので仕方がないのです:)
初心忘るるべからず、なんて偉そうなことを言っても、結局初心なんて何処かに放り去っている自分に少々嫌気がさす。 ま、格言なんて「行うは難し」だから生まれるようなモノだけどさ。
今日の一滴="−−−−" (2004/04/23)
帰りの電車のドア脇で本を読んでいると、目の前に三人並んで女の子が座っておしゃべりしてたんですよ。 ちょいとお出掛け風に着飾ってはいるけれど、歳は高校生か、一人は中学生といっても通じるぐらいの幼さか。 ラフな言葉と敬語が時々混ざるぎこちなさから見るに、完全に気さくな友人というわけでもない模様。 ……これで例によって他愛も無い話をしていれば、ちょいと可愛いなと思う以上にゃ気にも留めないのだけど──いや、他愛も無いという点では今回も変わらないが──彼女らがそこでプリクラアルバムと彼氏ネタで展開していたのは、なんと一種完璧な「社交」だったのでありますよ、これが:)
その敬語とフランクの合間のような口調。 ただの社交辞令というわけでもない親しみを持ちつつ、しかし親密すぎる印象も与えない。 一人が彼氏に今度ペアリングを買ってもらう、という本来女の子らしい会話が、「エマ」の社交会場も斯くやと言わんばかりの、あの「この黒ツグミのパイは素晴らしいお味ですな」という雰囲気で進んで行くのである。 よくよく見てみれば、着飾っているといっても流行りのゴスロリ風というわけでもなく、むしろ三人ともカジュアルスーツっぽく統一されているのも、この雰囲気の醸成に一役買っているようだ。
この光景、本来は珍しくないのだと思う。 今時の女の子たちはきっと、特に親しいというわけでもない友人との会話術などという、本来もう少し世の中にスレてから身につくスキルをとっくに会得しているのだろう。 以前機会があって同人活動を共にした高校生の女の子たち経由で、その辺は十分知っていたはずなんだけど……それでも久々に目の当たりにすると、なんと言うか、世渡りの巧い女性たちの源泉を見た気がして、思わずにやりとしてしまったのである。 彼女らはこういう世界で鍛えられていくのだなぁ、という感慨と、彼女らを相手にする同年代の──つまり低精神年齢の──男どもは大変だなぁ、という同情と。 実に月並みな感想ではありますがね:)
今日の一滴="−−−−" (2004/04/24)
映画「ドラムライン」を見てきました。
いわゆるアメリカの「マーチングバンド」を扱った作品なのだけど、この説明だけだと鼓笛隊みたいなのを想像されてしまいそうだ。 もちろん、ここで言うマーチングバンドというのは、アメフトのハーフタイムを飾る、ミュージカル的なエンターテインメント・ショウのことである。 タイトルにある「ドラムライン」とは、その中でも命の鼓動と言われる重要ポジション、パーカッションのラインのことであり、フットボールフィールド上で繰り広げられるサウンドに酔っているだけでも楽しめる映画であった……と言っても、やっぱり日本で馴染みはなさそうである(苦笑)。
かく言う如星は、数年前まで実際にアメリカでマーチングバンドでプレイしていた経験があり、当時が懐かしくなって思わず見に行ってしまったのだけど……。 いやー、これは本当に「ドラムシーンだけでも酔っていられる映画」である。 大当たり。 マーチングバンドってモノを知らなくても、ドラム好き、ブラス好きはもちろん、ラップやブラックミュージック好き、いや全ての音楽好きやダンス好きは、黙って映画館に足を運んでいい映画だと思う:) 一種のミュージカル映画と言ってもいい作りなので、いわゆるショウが好きな人にもお勧めである。
惜しむらくはこの映画、上映館が非常に少ない。 如星が見に行ったのは川崎チネチッタだけど、あと都内だと渋谷等か……。 見た目も派手で音楽だけでも乗れるという映画だし、正直、ロード・オブ・ザ・リングやイノセンスなぞよりもよっぽど一般向けの映画だと思うんだけど(笑)。 これは配給元にあまり売る気がなかったのか、うーん、本当に惜しい。 これはもっとたくさんの人に見てもらいたい映画であった。
ちなみに映画の冒頭で、ドラムを頭上に抱えて観客席の階段をダッシュする、というシーンが登場する。 マーチングバンドを知らない方のための若干補足しておくと、あれは単なるしごきではなく、実際必要な訓練なのである:)
そもそも映画を見れば分かるだろうけど、マーチングバンドというのは超体育会系の組織である。 アメリカにも軍隊外に、こんな軍隊調の集団があったのか……と思うほどだけど、まぁ元が軍楽隊なのだし、おまけに必要とされる体力も生半可なモノではなく、冒頭のようなトレーニングが必須なのである。 普通のブラスバンドでも、肺活量のための走り込みや腹筋トレーニングをやるけど、桁が違うのだ。
単純に考えてみて欲しい、軽くて1kg、下手すりゃ15kgの「楽器」というウェイトを身に付け、汗を吸わない保温性抜群の派手な制服を着込み、頭に重い皮の帽子と飾りを載せ、運動なんかにゃ適さない革靴やブーツを履き、演奏中はずっと走り回り踊りまわり、しかもその間ブラスプレイヤーなどは、10秒以上に0.2秒しか呼吸しないのである。 いやー、舐めて掛かると死にます(経験者談)。 マジで。
また広いフィールド上で、足元にマーカーなどなく(だだっ広いフィールド上で、自分が何ヤードラインの上にいるかなんて簡単には把握できない)、一糸乱れぬ行動を要求される。 それでいて、指揮者の方向に極力顔を向けて、テンポを外さぬよう、そして音を観客に向けなければならないのである。 おまけにあのフィールド上では、当然音は反響する。 耳に聞こえたドラムの刻み「だけ」を信じるわけにはいかないのだ。 「決して外してはならない」──映画中で「one band, one sound」という台詞が出てくるがまさにソレで、たった一人が音を外す、あるいは「歩みを外す」だけで、耳のいい聴衆でなくとも、視覚的にも目立ってしまい全体が台無しになってしまうのだ。
要するに「同時にいくつものコトを考えつつ、それらを体力で支えなければならない」、大変シビアなスポーツなのであります。 そのことを踏まえて映画を見ていただくと、非常に納得できるモノがあると思いますよ:)
今日の一滴="−−−−" (2004/04/25)
某所で「メール投げといて」という台詞を吐いた後で、「投げる」という表現は面白いな、という話が若干盛り上がった。 確かに、MLにはメールを「投げる」。 しかし個人に対してメールは「投げない」。 メールは送るのだ。 投げると言う表現は、どちらかと言うと古きニュースグループに「記事」を「投げる」という表現から来ているんじゃないだろうか。
こういったインターネット上のアクションに付与される動詞の違いと言うのは、なかなかに微妙で面白い。 MLやニュースグループには「投稿」するけど、例えば2chに投げるとは言わない。 「貼る」。 あるいは普通に「書き込む」。 「貼る」のは自分の創意はあまりない場合で、何処かからの「コピペ」、の「ペースト」を素直に訳して使っているわけだ。 ところが、例えWeb掲示板に似ていても、Webチャットには「入る」し、「発言する」だけだ。 そういえば古き会議室も「入る」である。 じゃあリアルタイムなら「入る」なのかと言うと、IRCには「繋ぐ」。 そういえばMSN等のメッセンジャーも「繋ぐ」か、あるいは「上げる」だったりする。 しかしIRCでも、個々のチャネルには「入る」。 IRCのprivは「話す」。 そんな違いがあるわけだ。
またちょっと違った方向で面白いのが、「メール」を「取り込む」である。 これは最近の人、特に携帯から入った人には通じないようだ。 PCでメールを使っていて、かつ「ダイヤルアップ時代」経験者──メールを見るためにはネットに毎回「繋いで」、サーバー上に溜まったメールを「取り込む」作業をしていた人でなければ使わない言葉なのだ。 一方、今時のメールは「もらう」か「受ける」ものらしい。 携帯や、あと常時接続環境が整うことで、良い意味で途中のメールボックスを意識せず、エンド=エンドの「メール」として認識できる時代になったということか。
さて、上のメールの例は物理的に使用方法が変わってしまった場合だけど、そこまでいかずとも、これらの動詞の使い分けというのは、各メディア毎の技術属性や利用傾向を一定以上理解している人が無意識のうちに動詞の違いでそれを表しているんじゃないか、という気がする(無論それが慣用化して、意識せず使われるようになるんだけど)。 だから、これらの動詞は万人が使っているわけでもなく、よく知らずに使っている人にとっては──これは別にネット上の動詞に限らないが──全ては「する」である。 メールする。 チャットする。 メッセする。 ……電車内の就職活動生らしき人の口から「パワーポイントできる」という台詞が出てきた時には正直大丈夫かコイツはと思ったが(苦笑)。
元々言語というモノは、その使用者に身近なものに対してはより多くの単語を割り当てるという。有名なエスキモーの雪しかり、アラブのラクダしかり、また中国語には「火を通す」という意味の漢字が調理法の違いごとに十以上存在している。上に列記したオンライン上の動詞の差なんて、普通にネットと密着して生きている人(含む俺)に取っては当たり前すぎて、何をことさら取り上げてるんだろう、と思われるかもしれないけど、一歩離れてみると雪の表現と同様に「微妙な差」を捉えている不思議な世界でもあるのですよ、ということで。
今日の一滴="−−−−" (2004/04/29)