VERBA VOLANT, SCRIPTA MANENT.
1998年のBETAによる日本大侵攻及び西日本失陥は、一見余りに呆気なく起きてしまったように思える。当時の日本は台湾、フィリピンと並び、極東における人類の防衛最前線だったはずである。特に日本帝国軍は「五番目の米軍」と揶揄されながらも極東随一の軍事力を誇り、またその高い技術力によって1994年には国産戦術機の量産に成功している。唯一政治面での構造的不安定さを指摘されることこそあれ、対BETA最前線の軍隊として練度も非常に高いレベルに維持されており、それを支える経済も総じて好調であった。ところが、1998年夏のBETA北九州上陸から僅か一週間で首都京都までが陥落、1999年春には関東平野・東北地方にまで押し込まれてしまうのである。
無論、その最大の要因がアメリカ合衆国による一方的な日米安保条約の破棄、それに伴う在日米軍の即時撤退である点に疑いはない。日本の防衛力があくまで米軍との共同作戦を前提として構築されていたにも関わらず、米国が1998年当時既に日本撤退を密かに決定していた点は現在でも強く非難されている。BETA侵攻の僅か二日後に開始された米軍の全面撤退は、それが純粋な対処行動ではなく規定路線であったことを裏付けている。呉・舞鶴の両防衛拠点を失った京都は、山陰・山陽道を遮る物無く侵攻してきたBETAの閉じ合わされる顎に無残にも噛み砕かれたのであった。
しかし、それにしても日本の国土防衛網は貧弱に過ぎた。またそもそも日本が「極東の防衛線」であったのなら、何故米軍は一戦も交えずにこの地を放棄したのか。それは当時、日本─台湾─フィリピンの島嶼ラインは決して防衛線として認識されていたのではなく、大陸反攻のための策源地として捉えられていた事実を忘れてはならない。
1998年のBETA日本侵攻は、実はBETAによる初の渡洋攻撃であった。現在であれば暢気に過ぎるとしか思えないが、当時の人類社会や国連軍においては、BETAの渡洋作戦能力に大きな疑問符がつけられていたのである。その最大の根拠として、1983年以降のBETA西欧州大侵攻、そして1992年の東ドイツ陥落に際し、既にスカンジナビア半島を満たしていたBETAは光線級による対空支援こそ行ったものの、一匹たりともデンマーク・ドイツ北岸へ直接侵攻を行わなかった点が挙げられていた。またこれを証明するかのように、カシュガルからは絶対の渡洋作戦を必要とされるアメリカ大陸に対し、BETAはアサバスカハイヴの投入という戦術を選択している。
無論当時の国際社会とて、宇宙航行能力を持つ種族に渡航能力が無いなどとは考えていなかったが、彼らが航空戦力を一切使用しないのと同じく、海上戦力も何らかの理由で忌避しているのではと考えられていたのだった。実際、それまでBETAが行った全ての渡渉作戦は全て文字通りの徒渉──河底をそのまま直進するというスタイルであり、洋上航行能力は一切見せていなかったのである(当然、これは現在に至るまで見られていない)。これを理由として海峡防衛が一切放棄されていたわけではないが、陸上・山岳防衛に較べ軽視されていた点は否めない。「あらゆる可能性を考慮した万全の体制」を敷けるほどの余力は、人類社会には存在しなかったのである。
すなわち、日本、台湾、フィリピンは防衛戦線というよりは、島嶼であるが故に安全な後背地という認識が成されていたのだった。故に重視されたのは兵站拠点としての役割であり、攻撃部隊の駐屯地としての能力である。国土そのものの防衛能力はさほど重視されていなかったのだ。
また更にこのBETA渡洋能力の軽視を進めれば、米軍の撤退理由も推し量れる。当時シベリアのほとんどはBETAに蹂躙され尽くしており、太平洋の島嶼が戦場にならないとすれば、当然BETAの次の侵攻路はベーリング海峡である、と合衆国は認識していた。これとて海峡防衛ではあるし、またシベリアの大地に新たなハイヴが誕生しない点は大きな疑問とされていたが、ベチュラ・ハイヴから推測されるハイヴ北限論を採用したとしても、アラスカ対岸にハイヴが建造される可能性は十分残されていたのである(故に、アラスカに亡命政権を打ち立てていたロシア政府も米国方針を支持していたとされる)。つまり大陸反攻ではなく合衆国本土防衛という観点から見た場合、太平洋の制海権を争った時代とは異なり、日本列島は彼らアメリカ人にとって侵攻ルート上にすら存在しない枝葉の駐屯地でしかなかったのである。また当然ながら、既にBETA大戦後の世界秩序を視野に入れていた合衆国政府にとり、極東に強い影響力を持つ日本の国力を減殺することは理にすら適っていたのだが、この点は本題ではないため割愛する。
なお皮肉にも、1998年の対馬海峡侵攻によって「BETAは海ですら徒渉する」という事実が明らかになり、米国のベーリング海峡防衛思想は決して間違っていなかった事が証明される。この短距離渡洋能力の証明と引き換えに、実に二千万もの人命が失われることとなったのだった。
「明星作戦の真実:アテナからヴァルキリーへ」より抜粋
──for the Project "TH2 Alternative".
※註:これは完全な如星脳内設定であり、公式とは一切関係ありません。朝鮮半島のハイヴ名も間違ってますし。
今日の一滴="−−−−" (2006/11/25)
先ほど冬コミ発行予定本「夏から冬への回帰線」のカバー部分を入稿完了しました。……とりあえず、間に合いましたぜ。今回お迎えしたのは春の黒ささらを描いていただいたまりりんさんです。つかまりりそー、愛してるよー(マジで)。
さて、如星は引き続き本文を鋭意執筆中です。
ところがですね、本書は夏の本の続きであり、つまり本来はプロットは固まっているはずなのですが、数ヶ月寝かせてみると何処かこれがしっくりこないんですよ。面白くない、というか……。要は例え続刊であっても「一冊の本」である以上、その中でもキチンと起伏を作っていこうと考えると、一発ストレートの時のシナリオを二分割しただけではダメなんですね。そこで少々展開を練り直しているのですが、まぁその辺りから例によっての苦吟苦吟の大連続。今回もかなり危ない締め切り間際の攻防戦が繰り広げられそうです。嗚呼。
しかしそういう苦吟モードの時に限って、先日のようなマブラヴオルタに引っ掛けたネタが、ごんごん湧いてくるのはどういうことだ(笑)。TH2オルタ書きたい! 帝国軍多摩川流域絶対防衛地区TH2・通称「桜並木」とか。複座戦術機Su-32RSで戦うさーりゃんとまーりゃんとか(何)。時折作風転換してみたくなるんですよ、これが。
しかし、本当にこんなシビアな話の続きを読みたい読者さんとかいるのかな。
ToHeart2の二次創作に求められてるのって、もっとこうほわほわした書き物のような気がしなくも無い(お惣菜についてはここでは触れないw)。今までのFate系のある種殺伐とした、追い込みたっぷりのノリをついついTH2にも持ち込んでしまったけど、果たしてそれで良かったのか今でも迷いがありまくり。
如星は当然「書きたい物を書く」という優先事項を持っているけど、それと等しく「一次作品のファン同士同じ空気を共有し、その世界を広げられるような物を書きたい」という欲求も持っている。それを指して「読み手に媚びている」という人もいるかも知れないけど、自分にとっての二次創作はあくまで「原作の世界を押し広げるもの」なのだ。つまり、読み手が世界観等の視点から違和感を感じてしまうようなモノは(自分にとって)論外なのである。自分の吐き出すアウトプットは、あくまで原作に波形が同調した存在でありたいのだ。なんかこう、ブームだから一発書いて/描いてみました風で、よく見たら登場人物の漢字が間違ってるよ、なんて作品もたまに見かけるけど、あーゆーのは萎えますなホント。
ま、誤解のないように書いておくと、如星は「一次作品に惚れ抜いてなければ二次創作をする資格はない」などとは思っていない。表現したい、という意志が第一欲求であったって何も問題はないだろう。自分が表現したい何かを生み出せる舞台として、二次創作を選び、とある原作を選ぶ、という流れは大いに「あり」だ。……ま、と言っても原作にある程度以上の愛がなければ、二次創作なんて続かないけど。要は動機が何であれ、出力は原作世界に厚みをもたらすものであって欲しい、というだけなのだが。
愚痴なのでオチなし。
今日の一滴="−−−−" (2006/11/28)