VERBA VOLANT, SCRIPTA MANENT.

如星的茶葉暮らし

■ 09月上旬 ■

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酒の一滴は血の一滴。茶の一滴は心の一滴。ネタの一滴は人生の発露。


 

【2007-09-01-土】

新エヴァ初見・とりあえず男の子回路映画として

エヴァリメイク(や、監督がどう主張せよリメイクだろ)観てきました。とりあえずネタバレは無し。

や、少し前までリメイクする事すら知らずにいたのに、まさか初日に予約とってまで行くとは自分でも思わなんだ。理由は明確、プレビュー動画みたら映像面でかなりドキドキしてしまい、それだけで思い立っていきなり敢行なのだ:) 今更ながら、俺ってやっぱりエヴァ・デザインが今でも好きなんだなぁ。それはあの特徴的な極太明朝やナマモノ臭いエヴァ本体のメカデザだけじゃなくて、例えばプラグのデザインとか、現代の延長線上にある街並みや標識の数々、SFと現代の絶妙な狭間で男の子回路を満たしてくれる兵装の数々など。それがリファインされてると言うなら、そりゃあ観に行く価値はあるでしょう。

実際、観賞を終えてその思いは更に新たに。

より自然に、より本来の意図に近く──という能書きを完全に信じてるわけじゃないけど、ああ本当にこれはこうあるべき、というカタチに仕上がっていて気持ちよかった。書き込みの増えた施設内部も、微妙に変更されているアングルも、闇夜に浮かぶ初号機の蛍光グリーンも、そしてもちろん見た人間なら誰しも納得するであろう、あの多面体使徒も。

てか、異常兵器スキーは迷わず劇場のスクリーンで見とけ。第6使徒とリナンバリングされた奴もヤシマ作戦も無駄なまでに熱く造り直されていて、もうそれを見るだけで高笑いしてしまう。異常兵器とは、あくまで健全な思考を積み重ねた結果として狂に到る代物である──という台詞をマジマジと思い出させる、立派な異常兵器モノに仕上がってますよ。まさに男の子死亡回路全開。例えば綺麗ではあっても微妙に「ゲームのムービーシーン」の如くレンダリングシーンが浮いていたイノセンスや、キャラまで3Dでやはり馴染み難い数々の試験的映画とは異なり、デジタルアニメとして巧く取り込んだなー、という印象だ。実際パンフの解説を読んでみても、どちらかというと「セル重ねの限界を突破する」という方向でデジタルを活用したみたい。これは高評価だ。

なおシナリオの換骨奪胎は正直よく分からない、というか違和感を感じなかった。どうもその後見た人の感想などを見ていると、キャラの行動があちこち漫画版寄りになっているようだ。如星にとってTV版の記憶は既に怪しく、一部漫画版で脳内リプレースが掛かっているため、それを自然と受け止めてしまったようだ。ま、加えて今回は脳内のシナリオパーサーは「どうせ知ったるシナリオ」と最初から停止気味で、映像の観賞に集中してしまった感があるしねー。

その肝心の映像も、実は劇場最後列では少々遠目で細部に今ひとつ集中できなかった。というわけで、Wikipedia等を駆使して旧作の記憶も新たにした今(笑)、2パス目を眺めにもう一度行ってきます:)

2パス目感想に続く。

今日の一滴="−−−−" (2007/09/01)

【2007-09-03-月】

ヴェネツィアのちょっと変わった写真集

「旅」という名の女性誌がある。その名の通り旅行誌と女性誌の合いの子みたいな雑誌で、FIGAROなんかがたまにやってる地域特集を毎号やってるような感じだ。この「旅」にせよ「FIGARO」にせよ、イタリア関連の特集があると女性誌でも気にせずふらふらっと買ってしまう。実際女性誌は大判でフルカラーということもあり、特に「旅」は写真が綺麗なので情報誌というより写真集として眺めることが多い。

で、先月の「旅」はヴェネツィア特集だったのでもちろんゲット。しかしこれを眺めてみると、旅行系の情報や風景写真よりも、ヴェネツィアで撮影された普通のファッションコーディネートのグラビアページが圧倒的に多い。その一つ前がアマルフィだったのでそれも買ってあるのだけど、そのアマルフィ編は結構海岸沿い各地の情報を載せていただけに、同じ雑誌かと思うほどだ。

もし旅行情報を求めてこの雑誌を買っていれば少々物足りなかっただろうけど、いわば一風変わったヴェネツィア写真集として捉えると、これはすげー楽しめた。リアルトで、カ・レッツォーニコで、ゴンドラの中で、普通の路地裏で、ちょっと気取ったおねーさま方の背景に、ヴェネツィアの表情がこれほど似合うモノかと感心した。黙って撮るだけでも何処でも絵になるヴェネツィアの風景だけど、やはりこうして人物を中心に据えてみると、また違った魅力を醸し出すなぁ、といったところだ。ヴェネツィア好きは是非確保を。

またそれで思い出したのが、夏コミでゲットしたARIAのコスプレ写真集「ALICE in Wonderland 3」だ。普通ならコスプレ写真に興味はないのだが、ヴェネツィア本島でロケとなれば話は別である。いやっはっは、本当にヴェネツィアでアリスちんの写真が撮られているッ! しかも結構これが似合ってるんだなぁ。(笑)──個人的には、撮影現場を目撃したイタリア人の反応が知りたいものである:) まぁ流石にプラネット制服フルセットは深夜・早朝などを利用して撮影したようで、日中の写真は学校制服だったりするのだけど、そこはヨーロッパを代表するオタク人口を抱えるイタリア、気づいてニヤリした連中もいそうなものだ。

また恐らく写真を撮ってる方はやはり日頃からキチンとカメラを触っている方のようで、写真自体の品質もかなり高い。運良く(?)アックア・アルタにヒットしていることもあり、街中に漂う水面という幻想的な写真が楽しめた。ARIA好きでヴェネツィアも気になる方には、こちらも是非お勧めしたい。今のところ、オンラインのページが発行元レイヤーさん側も今ひとつ更新されておらず、次回販売予定や在庫状況などが分かりづらいのが苦しいところなんだけどね。

今日の一滴="−−−−" (2007/09/03)

【2007-09-05-水】

チョコレートとオリーブオイル

今更ながら、チョコレートとオリーブオイルの相性はとても良い。

と言うより、オリーブオイルが合わないモノを探す方が大変なのでは、というぐらいオリーブオイルは色んな甘味に合う。アイスに掛けても旨いし。植物油の中では数少ない完全非加熱で取れる油であり(オリーブ以外だとゴマの太白ぐらいか?)、それゆえのあの青い果実のような香りと、生で飲めるくらいクドさのない油分が甘味と合うんだろうなー。

さておき、チョコレート。実際ブラウニーにオリーブオイルを入れるレシピもあるようだけど、最近お手軽で気に入っているのが、バゲットにチョコ片を載せてトースターで焼き、塗り広げた状態でオリーブオイルを垂らし、岩塩を少々散らして食べる方法。シンプルなこの食べ方だけど、塗り広げた面が舌に触れるよう口の中で裏返して(笑)味わうと、カカオの香りとオリーブの香りが渾然一体となって旨いの何の。ただし、オイルは焼いてから掛けるので、生でいけるエクストラバージンの良いモノを。あとチョコレートはミルクなしでカカオ分高めの方がよさげだ。

余談だけど、頼むからオリーブオイルを強火で火入れしないでくれー。弱火からジリジリ熱を入れていくと、青リンゴみたいな、少しスパイシーな香りがじわじわっと昇ってくる。炒めるにせよ揚げるにせよ、調理はそっから。この香りを知らない人は、正直人生の何割かを損していると言えよう(ぇー)。この状態なら目玉焼き焼くだけでも旨いですよ、ホント。

オリーブついでに、パスタの茹で方

オリーブオイルで思い出したけど、余談ついでにパスタの茹で方について。

や、別件で色々ぐぐっていた際に、パスタを茹でていて吹き零れそうになったら差し水をせよ──というページが結構あることに気づいたんだけど、そりゃ蕎麦の茹で方じゃああああああ! ……いや蕎麦も本当は吹き零れぬよう沸騰させ続けるべきなんだけど、パスタより短時間で茹で上げるモノなので、強火状態での調整が難しく止むを得ないかなぁという面がある。でも、蕎麦にしたって「止むを得ない」なのだ。

で、長時間(といっても6-7分だが)で茹で上げるパスタは、そもそも吹き零れるような火力で茹でる必要はないし、差し水をすると温度が急に下がってしまうので美味しく茹で上がらない。少し落とし目の中強火ぐらいでふつふつと煮る。そう、むしろ「パスタは茹でるんじゃない、煮るんだ」と昔教わって腑に落ちた。……というわけで、如星的パスタの煮方を以下に。

  1. まず水量はパスタ100g/L、ただし最低2L。水をケチらない。

  2. 塩を「これでもか」ってぐらいがさっと入れる。かき混ぜて水を舐めたらしょっぱいぐらい。

    塩を入れるのは「沸点を上げるため」とかいう人もいるけど、数リットルの水の沸点なんて塩入れたぐらいじゃ誤差程度しか上がらない(苦笑)。塩は「パスタの表面をつるっと仕上げる」ためと「パスタ自体に下味をつける」ために入れるモノだ。だからソースが止むを得ず塩辛くなるもの(ペコリーノやベーコン、アンチョビを使う場合など)は少々手加減する。

  3. 沸騰したらパスタ投入。片手で捻りながら格好よく入れてく方法もあるけど、素人はふつーにパスタ束の上のほうを片手で握り、片手で束の上面を掴んで雑巾のように捻った状態で鍋に入れていき、最後にそっと両手を離す。これで綺麗にパスタが放射状に散らばって入る。すぐにクタっと鍋に沈んでいくので、無理に押し込む必要はなし。

  4. 再沸騰したら、沸騰し続けるギリギリぐらいまでに火力を落とす。湯が静かになっちゃってパスタが沈んでたら、落としすぎ。ぼこぼこ言うぐらいを維持。上でも書いたけど、蕎麦と違って一度微調整に成功すれば結構ほっとけるモンです。

    あと、茹でてる間にぐちゃぐちゃ掻き混ぜない。表面がグズグズになってしまう。煮物と同じなんだから、煮崩れを防ぐと考えればいい。引っ付かないようたまに底から返す程度に。上の投入法が成功してれば、そもそも引っ付かないしね。如星は11号のスパゲッティーニで7分弱茹でるけど、一回ぐらいしか混ぜません。

  5. 袋に書いてあるより短めの時間で、引き上げる。箸で摘まんで食ってみて、好みの硬さ「より少し硬め」ならOK。ソースと混ぜてる間に余熱で仕上がるので。

    あ、もしママーのパスタを使ってるなら、ここを気にする意味は無し。アレは「バキバキ」から「ソフト麺」に一瞬で移行する恐ろしい「哀れな日本人専用Sorry Japanese Only)」であり(笑)、その後炒めまくるナポリタン専用麺である。それはそれで別の食い物。

    あと、茹で汁は蕎麦湯と同じでパスタの旨みが溶け込んでいるので全部捨ててしまわないように。流石に飲みはしないけど、ソースにお玉一杯程度投入するといい感じ。アーリオオーリオ作ってるなら当然乳化用に使うのだけど、まぁそれは余所でぐぐってみてください:)

こうして茹で上げたパスタを、上に書いた香り立つオリーブオイルの待つフライパンに放り込むだけでも、それなりに旨い素パスタに仕上がる。もちろんニンニクを炒めておけばアーリオ・オーリオになるし、鷹の爪を合わせていれば立派なペペロンチーノだ。塩味がついててパスタだけ食っても旨いからねー。

今日の一滴="−−−−" (2007/09/05)

【2007-09-06-木】

馬鹿で論外な理由

我が師匠が昔こんなことを言っていた。

古くて論外なシステムも、それがそういう形になっているのには、それなりの理由があるのです。
理由を考え、理解して、そのシステムがなければどういう問題が起きるか考えよう。
そしてそれでもやっぱり、ダメなシステムなら、真向から否定してもっとマシなものを作ろう。

師匠

システムに限らず、人間でも集団でも、自分の目からはどう見ても馬鹿で論外な事をしているとき、それを「アイツが馬鹿で論外だからだ」と結論付けるのは容易い。俺は別にここで「いや、何事にも良い面があるのだ」なんて性善的なコトを言いたいわけではない。だが現実問題として、それ/彼らの行動には何らかの理由が必ずある。それがとても感情的で、論理的整合性など無いかもしれなくてもだ。また本当に一部の馬鹿で論外な連中を除いて、世の中の人間/集団の多くは往々にして、自分よりそれほど馬鹿であるはずがないのである。自分から見て馬鹿なコトにしか見えない何かをする人々は、それほど馬鹿では無い何らかの理由を持つはずだ──と考える方が、実際にそこで何が起きてるのか、という現実像に近づきやすいと思うのだ。

最近感じた例で言えば、「閑古鳥の鳴くSecond Lifeに支店など作ってる企業は電通に踊らされた阿呆」と一刀両断するのは確かに楽なんだけど、それだと「将来あり得る3Dインタフェースのテストベッド、ノウハウ蓄積の一環であり、一人の来訪すら無くても構わない」「実際コストなんてほとんど掛けておらず、一瞬でも『対応企業』という名が出るだけで十分元」という実に単純な実像を捉え損ねてしまう可能性がある(これは例であって本当にそうかは知らんよ)。また熟慮考察した結果、やっぱり馬鹿で論外な理由で動いていると分かることだってあるだろう。ただし、そうして判明した「馬鹿な理由」は、とりあえず一刀両断するための理由よりも現実に近く、それゆえもしそれらの「馬鹿」が自分の進路を塞いでいた場合、より的確に排除を試みることも可能になるだろう。

ぼやきのユースフとリン・パオの英才コンビですら、帝国遠征軍の将が「本当に馬鹿である」と納得するには数日を要した。いわんや浅学菲才の身、相手が馬鹿で論外と断じて馬鹿で論外な目に合わぬよう気をつけたい。もちろん、相手だって人間なのだから自分の損になる行動は取らないはず──と相手の理性を仮定して痛い目にあったヴェネツィア人の轍も踏んではいけないのだけど。

今日の一滴="−−−−" (2007/09/06)

【2007-09-08-土】

ダージリン三昧@リーフル銀座店

もう一週間以上前の話になるけど、銀座にあのリーフルの支店ができたと聞いて、モノのついでに寄ってみた。リーフルといえば、まだ紅茶葉の小売店舗などはおろか、今でこそ普通になったポットサービスで紅茶を出す店すら数えるほどしかなかった頃から、ダージリンの専門店として茶好きにその名を知られていた店だ。……が、場所が吉祥寺であり、横浜市民たる如星には少々遠すぎる店であった。茶葉というのは一度気に入れば定期的に補給に訪れる必要があるわけで、遠方の店はそれだけで補給所としては厳しい。そっち方面に別段用件も発生せず、なかなか足を伸ばせずに数年来、という状態だったのだ。

しかし、銀座に支店となれば話は別だ。またデパ地下のミニ出店のようなパターンとは異なり、本店ほどでは無いにせよ豊富な品揃えと、何より試飲をキチンとさせてくれる店舗とのこと。基本的にダージリンは茶好きにとっても安くない買い物であり、試飲なしの購入は(ある程度店の好みを信用できるようになってくると十分アリではあるが)それなりの冒険なのだ。

と、前置きが長くなったが、結論から言って茶好きのための素晴らしい店であった。平日夕方と客の少な目の時間に行った事も効いたのだろうが、ゆっくりと店員さんと相談しながら二種類ほど試飲し、合間に茶好き同士ならではの雑談に興じる──まさに理想の形だ。もちろん、揃えていた茶葉も極上。キャッスルトンとオカイティの今年の夏摘みを試させてもらったのだけど、濃いオレンジの水色に甘みが引き立つキャッスルトン、ダージリンらしい爽やかな渋味、パンチが引き立つオカイティ。……というかですね、このキャッスルトンからは文句なしにマスカットフレーバーと呼べる香りを久々に味わった気がする。有名な香りの形容でありながら、普段は「これがそうかも、ああ少しマスカット風に香るかも」などと、実はなかなかキチンとそれを漂わせる茶葉に出会えることは少ない貴重な香りなのである。

というわけで、今年の夏摘みとしては勿論そのキャッスルトンを購入。また今年のベストクオリティに選ばれた同キャッスルトンの高グレード茶「ムーンライトダイアナ」も、少量でも売ってくれるとの事で試しに買ってみた……というか、茶好きにああも勧められては買わずにはいられまいよ、巧いなぁ(笑)。また支店オープン記念に農園で作らせたという記念ダージリン2種も少量合わせて購入し、久々に茶好きの散財を笑顔でカマして帰宅したのでありました。

それにしても、セイロン茶における青山ティーファクトリーもそうだけど、やはりオーナー自身が現地に飛び込み、直接農園と交流して仕入れてくるタイプの店は気合が違いすぎる。価格も品質も段違い。今回仕入れられた茶葉の質以上に、そういうタイプの店をダージリン地方でも見つけられた喜びが大きいね。今後ともご贔屓にさせていただきます:) ちなみに、同種の店をアッサムでも行動圏内に見つけたいんだよなぁ……きっと、何処かにはあるはずなんだから。

今日の一滴="−−−−" (2007/09/08)


 
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