VERBA VOLANT, SCRIPTA MANENT.
先月少し暖かかった頃に新宿御苑に行った時のこと。御苑の入口手前にあるカフェで昼食を取って行ったのだけど、その時にふと、最近「カフェご飯」にあまり惹かれなくなっている自分に気づいて話題にのぼせてみた。
ちなみにそのカフェの名誉のために前置きしておくと、そこのメシは十分旨かったし、デザートの黒糖胡桃入り善哉は幸せであった。ただ「カフェご飯」全般の話として、「今や何処に行っても『ベトナム風どんぶりランチ』が出る」という印象がとても強く、何処で食っても同じ感というか、「この店」に積極的に食べに来たいなぁとは思わなくなっていたのだ。
いわゆる「カフェ系」と呼ばれる店はここ数年でががっと増えた(また凄い勢いで淘汰もされたが)。つまりこの感覚は目新しさが無くなったというだけかもしれない。そもそもカフェは雰囲気を楽しむ場所であり、食事に個性など要らないという発想もある。が、そもそも「カフェ系」なる店が出始めた当初、その一風変わった内装と共に、カフェご飯というのも売りの一つ、個性の一つだったはずなのだ。
アジア風・手作り風の料理を少々変わったロハスっぽい(これは蔑称めいてるが)器に盛るというカフェご飯の手法は、料理だけでピンで立てる程のレベルが無くともコーディネートのセンスさえあれば客に満足感を与えられるという点において、店側の事情と客の求めるモノが一致していた幸せな条件だったように思うし、今でも多数派の客に取ってはそうかもしれない。ただ、如星の周りには「最近カフェ系に行かなくなった」という人をちらほら見かける。そして今回のカフェご飯の話も、その日の同行者やその後ちょっと話してみた知人からは「何となく分かる」という反応をもらっている。雰囲気はともかくとして、料理の面で目新しさがなくなり、そして目新しくなくともリピートする程の魅力は得られなかった、ということだ。
やはり旨いモノスキーの如星としては、やはり食事の面でも「個性」と「旨さ」を追求するのが、継続的なリピーターをカフェに呼び込むには重要な要素であると主張したい。当たり前過ぎて忘れられがちだけど、「美味しいものが食べられるから」というのはシンプルにして強力な来店動機であり、「ここだからこそ」という個性こそは再訪の最大理由なのである。客に「何処で食ってもベトナムどんぶり」と思わせてしまったら、どんなに店内の雰囲気に素敵な個性が感じられようと、やはりそれは「負け」だろうと思うのだ。
そういえば如星が今でも愛用しているNid Cafeは、カフェの雰囲気と窓からの独特の眺めも然ることながら、キチンとビストロとしての食事ができるという点が大きなウェイトを占めている。昨年末のCooRieライブの後で初めて夜利用もしてみたけど、レバーペーストといいクスクスといい、カフェという枠に収まらないビストロの味わいを改めて感じられたものだ。如星が蛮族の地・渋谷の避難所のように使っているビストロ・ダルブルなんかは、逆にビストロの側から「カフェ風味」にアプローチして成功している良い例だと思う。
あのカフェで美味しいごはんを。カフェの経営ってホント厳しいのは承知しているだけに、これからも各地のカフェには「マンネリ化しない新境地」を開拓していって欲しいなーと、カフェ好きな如星は願っているのでありますよ。
今日の一滴="−−−−" (2007/04/05)
"ALL RIGHTS RESERVED"という良く見かけるこのフレーズに、「このフレーズのあるページ内の全コンテンツに対して著作権を主張している」という不思議な解釈をしているサイトを2つほど見つけた。よって一次創作に別著作権を持つ同人サイトなどはこのフレーズを使ってはならないというモノだ。
"All rights reserved."について"All rights reserved."を訳すと「すべての権利を保有しています。」さらに意訳すると「サイトにある作品は、ぜ〜んぶ私(たち)のもの!」ということになります。
結論から言うと、別にそんなことはないと思われる。正直初めて聞いた解釈であり違和感も強かったが、如星が見落とした判例か何かでもあった可能性も否定できず、ちょちょっと調べてもみたけれど、やっぱり何処をどうひっくり返したらこの結論が出たのか良く分からないのだ。このページは結構多くの同人サイト等でもリファされており、当然このページの作者さんとて誤情報を広めるのは意図ではないだろうから訂正をお願いしたいのだが、前者のページの方には連絡を取る術が同ページからはまったく発見できず、後者の方からは「大学の課題ページだから変えられない」という返答をもらってしまったので、この場で一応の論拠を述べておくことにする。
後日補足:ちなみにこの話は「今やアメリカも無方式主義方向だし特定の国向け以外じゃ©マークに大した意味は無い」っていうお決まりのネタとは別物なのでご注意を。
まず最初の結論をもう少し丁寧に言うと、
そもそも“ALL RIGHTS RESERVED”という文言は現在死文であり、何の効力も持たない。
この文言が有効とされていた頃の本来の使い方を見ても、(表記エリア内の)全コンテンツに対する著作権を保持するといった解釈は生まれない。
ということになる。これの根拠は下の2サイトが参考になる。
日向清人のビジネス英語雑記帳:(c)という著作権の表示にはどういう意味があるのか(下の方に「★All rights reserved.」のセクションあり)
The phrase "All rights reserved" (in Copyrights @ iusmentis.com)
特に後者はこの文言の大元となったブエノスアイレス条約の原文へのリンクなんかもあったりするので、興味があれば&英語が苦手でなければ眺めてみても良いかも。ともあれ細かくは上のリンク先を参照として、一応両者の話をまとめてみよう。
まず前者のページには、この文言が1910年に米大陸諸国間で締結されたブエノスアイレス条約に基づき、著作権の保護を受けるにはこの文言が必要だった事、つまり本来この条約に関係の無いアメリカ諸国以外には無関係の台詞で、かつそれらの国でも今は新条約があるので無意味という点が触れられている。
ふむふむ、と後者のページを紐解くと、更にこの混乱の元となった「ALL」の意味合いも解説されている。元条約にある「ある一国で著作権が承認されれば、その他全ての(all)条約国において完全な(full)権利を同時に有効とする……」
(如星試訳)という箇所がそれだ。つまりこの「ALL」は「何処の国でも、かつ一部じゃなく著作権上の全ての権利を認めます」という意味なのだ。決して「全てのコンテンツに対する著作権」という意味ではないのである。
まぁそもそも、英語的に考えても「全コンテンツ」解釈は不自然なんだよね。"All Rights"は自然に考えると"All of Rights"の省略形、つまり「権利の全て」となる。全コンテンツ解釈にするならば"Rights of All(contents)"か、"All Contents' Rights"→"All's Rights"となってなければおかしいのである。上の引用した部分で言うならば、全ての権利を保有しています、の「全て」は「著作権で保証された数多の権利全てを」の意味であり「全ての何かに対する著作権」ではない、ということだ。
まとめよう。"ALL RIGHTS RESERVED"と言う表現はそもそも現在意味がないこと、そして元の意味からしても「著作権全部」であって「何か全部に対する著作権」なる意味合いは持たないこと。つまり雰囲気重視の同人サイトがカッコつけの為に付記してるのはなんら問題はない(それが痛いかどうかは別)ということである。要するにこの話は「沈黙は金にまつわるデマ(当時は銀の方が高価だったから雄弁の方が良いというデマ)」に近いモノがあるのかも。検証がちょっと面倒で、聞いた側がなんとなく「ほーそうか」と納得してしまいがちなネタだという点において。
もちろん、同人屋として正しい著作権認識をつけておくに越した事はなく、その観点から「アホ臭いから書くなよ」という主張は大いにありだ。上の謎解釈をしたサイトさんにしても、著作権意識を高めるという点では有益でありがたい存在なのである。ただ、やっぱ間違った知識に基づく噂が流布されるのはマズいなぁ、という心持ちで今回この解説を書いてみた次第だ。……ま、むしろ企業サイトなんかが盲目的にこのフレーズをつけている事の方が、「何この企業って無関係の条約下の死文を自サイトに書いてるのかよ丸投げかよ意識低いぜプギャー」とm9されていい話のような気がするけどね。
上で「ALL RIGHTS RESERVEDの文言は、雰囲気重視の同人サイトがカッコつけの為に付記してるのはなんら問題はない」
とまとめた点について、ちょっと別方面からツッコミをもらったので若干の補足を。
端的に言うと、二次創作を専らとする同人屋にとって、著作権は著作権者が恣意的に行使する権利なので、ALL RIGHTSとか書いて原著作権者の心証を悪くするのはリスクではないか、というモノだ。
これはまぁ確かにそうだ。著作権の行使は恣意的、つまり一次著作者から見ての「程度問題」で決められるモノであり、著作権違反の罪が「親告罪」なのはその為である(たまに「著作権法違反だ! 犯罪者だ!」と他人を騒ぎ立てる輩がいるが、本当はそれを決められるのは著作権者だけ)。元々他人様の褌でグレーゾーンを泳ぎ続ける我ら同人屋にとって、そんな無益な死文一つで一次著作権者の心証悪くして訴えられたらアホだろ、ということだ。
ま、如星の「感想」としては、原著作権者が著作権を行使しようと決意する理由はあくまで中身──類似性と独自性のバランスが悪すぎ、どうみてもパクリであってパロディでない、超営利的である等だと思うので、そこにALL RIGHTSの一文があるか否かは大した差ではないだろうとも思う。が、その時この指摘をしてくれた方が引き合いに出したのは「松本零士御大」で、「関係するもの全て俺様のモノだという御仁はALLとか書いたら訴えそう」という一言には思わず納得してしまったので(苦笑)。
ま、その辺「雰囲気」と「リスク」を天秤に掛けて、ALL RIGHTSの一文は避けた方が無難と判断するも、いや書いちゃえというのもご自由に。如星としては「ALL RIGHTS=全コンテンツ権利」という誤謬を指摘しておくのが目的なので:)
今日の一滴="−−−−" (2007/04/06)
先日友人の結婚式があり、お台場のホテル日航東京へ。結婚式自体は新婦が長年の付き合いだった友人なので感慨深く見守らせてもらったのだが、それはさておきちょっと感心したサービスの話を一つ。
例によって出際で色々バタついてしまい、東京テレポートの駅に着いたのはギリギリの時間に。式から呼ばれてたので待ち時間等のタイムマージンが無い事もあり、駅で偶然見つけた同行の知人と一緒にタクシーを拾ってホテルへ急行したのだが──ホテルロビーに入ってみると、案の定吹き抜けや中二階を生かした複雑な造りになっており、「2Fのなんとかチャペル」がどっちだか分からない。経験上、これは案内板等を見て探すと手間を食うと咄嗟に判断して、真っ先にそこらを歩いているホテルマンを捕まえて聞くことにしたのである。
その女性の対応は素早かった。チャペル名を聞くとすぐに「こちらのエスカレーターを上がった先になります」と先導を始めてくれたのだ。確かに実際に歩いてみると、デッキ階に出てラウンジの横を抜けてと、方向さえ聞けば迷わず行けるような道程ではなかったのは確かだ。とはいえ多少迷うにしてもせいぜい数十秒単位の違いだろうが、彼女は「お急ぎでいらっしゃいますか?」とこちらに確認を取り、周りの客に通過の声掛けをしながら最後までガイドしてくれたのだ。
これは単純な話だけど嬉しかったね。「左手階段の先になります」と一言言われて終わるパターンが多いだけに、この配慮は流石にホテルだなーと感心した。このホテルは結婚式が多く、もしかしたら「遅刻気味の急ぎの客」への対応が多く手馴れてただけかもしれない。だがそれにしても、そういう事を「ふらっとフロアを歩いてるホテルマン(特別な案内係等ではなく)」を捕まえても実行してくれる辺りに教育の行き届きさを感じたのだ。いやー、やっぱホテルっていいなぁ:)
らきすたは多分俺がまったく興味のない系譜の原作漫画&アニメではある。あずまんがの萌え版劣化コピーはあまりに量産されていて、正直どれも継続して読むほどな中身を感じられないので。(最近であった例外は「ほーむ・るーむ」かなー。あ、luciusというレビューは私なので参考までに)
が、それとこれとは話が別である。これとはもちろん「あの」オープニング映像のことで、その破壊力はおそるしい。ま、半ば音楽の勝利じゃと思わないでもないが、それでも映像的中毒性は十二分に高い高い。あー、こういうのを「映像美」……じゃないな、「映像快楽」とでも形容するのかなと思う。
そういや如星は別にminoriのえろげーをプレイしようとは思わないのだが(体験版でシナリオ力に幻滅してる)、あの新海誠謹製OPムービーだけは欠かさず落としている。あれはOPというか濃縮された独立短編ムービーに近く、なまじ長編の妙なストーリーも入り込んでこないだけに、純粋に彼の「見てて楽しくなる」映像を味わえると思う。本編にまったく興味のないらきすたOPも楽しみ方は結構それに似てるなと漠然と思う次第。
あ、ついでに音楽の勝利と言えば、新海ムービーも「天門サウンドと完璧にシンクロしてこそ」という面はあるのを思い出す。別の適当なOP曲に重ねられた彼のムービーはさほど魅力的に映らなかったのが意外というか印象深いというか面白いというか。最近なら曲のみならずムービーの出来に感心した「ふぃぎゅ@謝肉祭」もあの電波曲あってこそ映える映像と言えるし、当たり前のことではあるけど、音楽と動画の高いシンクロ性こそが「映像単体で楽しめる作品」の共通点なのかもね。
今日の一滴="−−−−" (2007/04/09)