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如星的茶葉暮らし

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酒の一滴は血の一滴。茶の一滴は心の一滴。ネタの一滴は人生の発露。


 

【2006-12-16-土】

冬コミ原稿入稿完了のご報告

本日朝方、冬コミ新刊「夏から冬への回帰線」の入稿を無事完了いたしました。改めてご報告を。

……苦吟でした。いや苦吟じゃなかった時があったのかと言われると笑うしかないんですが、今回は単に時間が掛かったというだけでなく、内容面の練り直しが非常に重苦しかったのです。毎度の締切騒ぎを流石に反省して時間的にはかなり早期に着手してたのですが、これで早めに始めてなかったら本当にどうなっていた事か(苦笑)。具体的に言えば、元から書いていたプロットの枠内でこのみとささらを自然に動かす、特にこのみというキャラを把握して動かすという辺りが難物だったのですが。この点、Fate系の二次創作小説がどちらかといえば「プロットが巧く通ればキャラがついてくる」のと対照的です。TH2、というか恋愛模様を描くとどうしても、キャラのほうがどんどん走っていく/それを制御しつつ開放する、というプロセスの方が大変なのだと改めて認識しましたねー。

ま、その苦労の甲斐もあってか、今回をもって「このみが書けた」という実感を自分の中で確かに掴めました:) 彼女が薬籠中に入ったというか……実はこの状態になってくれると、追加の短編を書いたりするのもグッと楽になるんですよね(笑)。おいおい書いてたのはささら小説ではという気もしますが、ま、魅力的な周辺キャラを書けてこその物語ということで一つ。

ともあれ、これで今回の冬コミも無事新刊をもって皆様をお迎えできそうです。ささら好きにも、このみ好きにも、もちろん修羅場好きにも自信を持ってお勧めしつつ、皆様のお越しをお待ちしております:)

づっは! よーやく終わったああああああっっっっっっっ!!!!!!!!!! =□○_

この二週間概況

一応だだっとメモ書き。

今日の一滴="−−−−" (2006/12/16)

【2006-12-17-日】

硫黄島からの手紙

「星条旗」以来待っていた「硫黄島」、原稿明けの身体で早速見に行ってみた。

いやよく出来てたな、というのが正直な感想。援軍無く迎撃準備に追われ、制空権を一方的に取られてグラマンの嵐に雪隠詰め、機関銃の雨の中で抗戦・撤退を繰り返す日本軍──史実で言えばだいぶ後半戦の方というか、組織的抗戦の最終部に重きが置かれてたように思う。洞穴内の過酷な環境が史実より手ぬるいという批判もあるけれど、何処か「ヒトラー 最期の12日間」を思わせる、ジリ貧の近代戦は実に見事だ。この辺、さすがアメリカ映画だなぁと思わせる映像&状況作りだ。夜通し続いて洞穴を揺らし神経を磨り潰す艦砲射撃、顔を出せばグラマンの機銃射撃、空を埋め尽くしての絨毯爆撃。海上支援なし、航空戦力なし、全滅前提の抵抗戦準備等々、攻撃開始前の雰囲気もなかなか巧い。

故に、逆に言えば「星条旗」で見た「不気味に襲ってくる統制の取れた日本軍」の戦術をとっくり楽しみたい、というような人には物足りない面もあっただろう。実際、日本軍が何故一ヶ月以上持ち堪えられたのか、という描写はほとんど無く、この映画に対する批判もその辺に集中しているように思う。如星の感想としては、それは描きたかったものが違うのだろう、としか言えないのだが、ともかくそういう映画だとは認識しておいた方がいい。

軍事描写面がとてもアメリカ的であるのと対照的に、人間ドラマはかなり日本人好みというか、日本人が心情を寄せやすい形に描かれていたと思う。また全編を通じて戦場での物語となるため、ある意味暢気な市民の登場する「星条旗」と較べ、その重みは較ぶるべくもない……というより、星条旗の方が文字通りの茶番に思えてくる。常に余力を持ち続けて「戦争目的」を掛けて戦った国家と、最後には国民も国土も磨り潰し「国の存亡」を掛けざるを得なかった国家の違いの表れでもあろう。ま、多分そんな人間ドラマや戦況差についての感想はあちこちにあるだろうから、ここではざくっと割愛。ただ、栗林の最期の台詞は当然創作なんだけど、それでも巧いなぁと思わざるを得なかった(つか、泣いた)「ここはまだ日本か」──如何にもアメリカ人が思いつきそうな台詞でもあるのだけど。

なお如星個人にとって、この映画の評価は多分甘めになってると思う。それはひとえに「アメリカ人がこれを見るというだけでこの映画には意義がある」と思ってしまうからだ。本作内で繰り返し「鬼畜米英も人間じゃねーか」という描き方がされているが、それはアメリカ人にこそ対する痛烈な皮肉になっている。あくまで如星の滞米経験からの印象だが、当時のみならず現代のアメリカ人にとっても、当時の日本兵、日本人に対する認識など「極東の野蛮人」程度のものだと思う。そこに文明国家があったことすら意識の範囲外だろう。自分たちが「人間」と戦ったこと、そして今も人間と戦っていることが、この映画──いわゆる名画ではなくハリウッド映画、娯楽映画という普及力によって、多少なりとも彼らに伝わるのではないかと期待してしまうのだ。ま、こういう映画がアメリカ人自身で撮られてること自体、ヒトラーを撮ったドイツ人程ではないにせよ、十分評価していいと思うけどね。

ちなみに全編を通じて一番ツボに入ったシーンは、西郷が便器の中身を空けるという、失笑を誘うが実は決死の任務で表に出た箇所だ。その瞬間に始まった艦砲射撃、慌てて引き返す西郷、そしてその足元に突き刺さる艦砲不発弾「まだお見捨てになっちゃいねえ」と呟くあのシーンをみると、大笑いしつつも何処か泣き笑いになってしまう。フォーサイスのイコンでニコラーイェフ大将が「ドイツ軍の88ミリ砲弾がすぐそばに落ちて、それが爆発しなかったら、誰だって『ああ天上には何方かがおいでになる』と、しみじみ思うもんだ」という台詞、あるいはプライベート・ライアンの付属映像、実際の上陸兵が十字架を貸してくれと横の奴に言われ「ふざけんな、今絶賛使用中だ」と返すあの感覚。戦場の信仰心って、実は人類が持ちうる最も純粋な信仰心じゃないかと思う。その真摯さと絶望感に、何処か泣き笑いしてしまうのだ。なかなか共感は得られなさそうだけど。

というわけで、日本人にとっては戦争人情モノを味わいつつ、メリケン仕込みの戦場シーンを味わえる一粒で二度美味しい作品であった。そしてヘイそこのメリケン人(いねーって)、貴様らこそこれを見ておくがよいよ:)

折々のNYX:店も人も移ろう日々

ちなみにこの日は原稿上がり定番ともいえるClubNYX@銀座にてささやかな祝勝会を。

今回はジビエの季節ってことで、定番の鹿と鴨をいただく。ちなみにここの名物は野兎のはずなんだけど、今検疫問題でフランスの兎は全面的に輸入が停止しているらしい。残念。また流石に体力が落ちまくっていたのか、ギコハハと赤い肉を堪能した辺りで胃ではなく体力が限界点に。今宵はマールとチーズを堪能するのは断念し、さくっとシンプルに塩バタークレープなど頂いて終了。いや、相変わらずの旨さです。

なお前回夏コミ原稿上がりの時にはオフ会を兼ねて大騒ぎしたこともあり、また大食らいという属性にもよって最近は予約時でも名前を認識して貰えてるのは素直に嬉しい。とゆーか覚えてもらうと色々楽だし:) ……が、毎度ウチを担当してくれてたフロアの方(ソムリエさん)が年内で店を変わってしまわれるらしい。ううむ、これも正直結構残念。ただ一応次の店の情報はゲットしたので、機会があれば訪問してみる予定。

以前、主にバーのバーテンさんが店を移ったり、余所で自分の店を出すという話の中で出たのだけど、客は「人」と「場所」の両方に着くんだなという、言ってしまえば当たり前にも思える実感がある。確かに、「人」にかなり常連は付いて行く。下手するとその店の常連がごそっと移動してしまうこともあり、店の運営側に取っては見過ごせない話でもある。ただ一方で、その店のある「場所」だって通うには重要なポイントだ。たまたまその「場所」に店があり、居心地の良い「人」がいる、この邂逅の幸せを堪能するのが「常連となる良い店」なのだから。故に、例え元の店から近かろうと、やはり「街」を移動してしまうとなかなか付いていきにくい面もあるのだ。悩ましい。

あ、いや、ちなみにNYXはこれからも通いますよ、誤解なきよう:)

今日の一滴="−−−−" (2006/12/17)


 
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