VERBA VOLANT, SCRIPTA MANENT.

如星的茶葉暮らし

■ 10月中旬 ■

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酒の一滴は血の一滴。茶の一滴は心の一滴。ネタの一滴は人生の発露。


 

【2007-10-10-水】

神はサイコロ遊びで恋をする

恋は何故かくもアンコントロール、制御不能状態を「好む」のか。以下メモにつきオチなし。

(訳注:以下は僕の浮気の話ではありません。)

さて。現実世界における恋愛の盲目さについて以前少し触れたが、さりとてそこにも少し書いたように、震える指でカードを手繰るのに楽しみを覚えていないといえば嘘になる。だが同時に、その楽しさは限りある人生というこの上も無くリアルなチップを賭けている恐怖を源にしている。カードを手繰らないという選択肢が存在しない、厳密な人生のルールを源にしているのだ。

そう、このゲームにサレンダーは許されない。勝つか、負けるか、運がよければ、ドローゲームが待っているだけ。ゲームが終われば、第二ゲームが始まるだけ。それゆえの楽しさ、それゆえの焦燥感、それゆえの恐怖。恋愛の楽しみ/辛さとは、人生の楽しみ/辛さと根源を同じにしている。そのことが、賭けているチップの重さが、他の普通の娯楽が生む快楽と根本的に違うところなのだろう。

恋は何故かくもアンコントロールを好むのか。それは多分、人生そのものが制御不能だからなのだ。それゆえに楽しく、それゆえに絶望する、かくも破滅的で魅惑の大博打。恋とはまこと、制御不能の御技なりけり。

──なんて謎なコトを、ゲームシナリオを堪能しながら考えさせられたのは久しぶりだ:)

見事な手で繰り出される恐怖と紙一重、いや一体化した恋愛の物語。ああそうだ、単純に俺が架空のシナリオに欲しかったのは、このもどかしく身を切られるような恋の体験だったのだと気がついた。尺だのトラウマだの小難しく考える必要などなかったのだ。全ての本質は、そう、恋愛の疑似体験というシンプルなその一点だったんだなー。求められるその複雑さやリアルさに、個々人の認識の差こそあれ。

現実世界で恋愛当事者になった我等の、なんと近視眼的なことか。恋は盲目、いや逆に己が盲目を恐れ、相手の示すささやかなサインを一般的好意と過小評価したり、舞い上がっている自分を恐れ、友人関係すら壊したらどうしようと思い悩む日々。セーブもリロードもない世界で、今相手に対し得ている立ち位置、さらには周囲の人間関係までをチップに載せて、立ち止まることも長考も許されず、我々は震える手でカードを手繰る。(それをどうしようも無く楽しいと感じる人と、どうしようも無く苦痛と感じる人には別れるけど。)

前座閑話・現実的ヘタレ考察(2006/01/04)

……何の話かって? そりゃもう、3年放置していたシンフォニック・レインの話に他ならない:)(以下次号)

今日の一滴="−−−−" (2007/10/10)

【2007-10-11-木】

3年遅れの雨の街の真ん中で愛を叫んだ如星

リセは俺の嫁。……じゃなくて、今更ながら「シンフォニック=レイン」をプレイ終了。もう2年前ぐらいからインストールしてあったというのに、ゆっくり起動したのはつい先日という体たらく。

結論から言って、長期放置を果てしなく悔やむほど、脱帽としか表現しようがない見事な一本だった。色々ゲームについてぼやいていた中で、欲しかったモノはもう3年も前に世に出ていたのだという別の意味での悔しさも。

ともあれ、古い作品にインプレ速報書いてもしょーがないので、これはもう少し読み込んでから真面目に一本書くことにする。とりあえず現段階で内容に触れない「感想」を並べておくと、

まぁ、昨日の日記で「ゲームシナリオを堪能」しつつ叫んだりしてたのはそういうことです。

あと実は借りプレイだったので、昨夜速攻でまだ入手可能だった愛蔵版をぞねクリック。その場でIRCで各方面に波動を送り、結果目の前でぞねの在庫が空になるのを見るという見事な即時布教ぶりを発揮したのはご愛嬌(笑)

今日の一滴="−−−−" (2007/10/11)

【2007-10-15-月】

はてすたをつけてみた&棲み分けの話

本日付で神慮メイン日記にはてなスター、通称はて☆すたを付けてみました。

はてなのアカウントを持ってないと意味のないサービスなのでメインにつけるのはちょっと悩みましたが、日記に対するちょっとしたフィードバックがあってもいいかなぁという思いは前々からあったのです。Web拍手なんてのもあるけどアレはイマイチ趣味ではなく、リアルタイムかつ、ちまちまっと気楽に押せるのがちょうど良いかなと導入に踏み切りました。

段々「はてダと本日記の区別」が曖昧になってきてる気はします。こっち側にはてブボタンなんかもいつの間にかつけてますし。ただ、

という区別でとりあえず運用してこうかなぁと思います。また本日記は如星の思索記録という本人向けの用途が主という事もあり、こちら側にコメントやトラバ受け機能を持たせる予定は相変わらずありません。作者に何処からもツッコミが入れられない、とゆーのだと私自身著作権ネタの時に困った記憶があるのでアレですが、一応ここは長文フィードバックなら下のフォーム等もありますし、議論を吹っかけたければはてな側のコメント等もありますしね。

とりあえずはてスタ含め、しばらく運用してみて問題がないか見てみます。それこそ本件にコメント等あれば如何なる手段ででも(笑)お寄せくださいませ。

ちなみにはてスタ補足

こんな静的生成してるよーなページでも、はてスタ付けるのは結構簡単だった。詳しくははてなのヘルプを参考に、後はhaltせんせのエントリーがそもそもの着想だったり。

ウチははてダ等と同じくh3のレベルが各話タイトルなので一瞬変更不要で付くかなーと思ったけど、いわゆる前置きした記号文字にpermalinkが付くタイプではなくタイトル全体がリンクになってるので、やはりそのままではダメ。ただ、既にこの日記の上部に設置している「このページのエントリ一覧」でタイトルとURLの取得処理を書いていたので、ほぼそれを流用する形でさくっと完成。むしろ表示位置の微調整等のデザイン面の方が時間が掛かったぐらいで。

ソースみれば分かるけどmachinaStar.jsに具体的処理を書いてるのでよろしければ御参照あれ。って今時こんな手作り静的生成ページ使ってる人なんていないか……。

あー、あと今後の改修プランにあるんだけど、ここのRSS2.0を配信して欲しい人ってどんぐらいいるんでしょう。自分がまったく使わん故に必要性がわからんので、欲しい人はそれこそ星でもつんつんするといい事があるかも。かも。

今日の一滴="−−−−" (2007/10/15)

【2007-10-16-火】

恐ろしき物語、シンフォニック=レイン(乱文)

恐ろしい物語に出会ってしまった、としか言いようがない。これは未だレビューにあらず。

未だにキチンとレビューを書けないでいるのは時間が取れないからでは決してなく、未だに全てを読み込めたと思えていないからなのだ。表に見える布地と内側で見えない芯地が僅かな狂いもなくハ刺で縫い込まれているかのような、表と裏にまるで狂いのない精緻さを感じさせるのだが(da capoとal fineの表裏の狂いのなさは本当に発狂するほど。物書きとしての格を見せ付けられてるようなモノだが、真実読んでいる間はそのようなことを考える余裕は一切なかった)、一方でその真価のほとんどが芯地に刻まれているため、その風合いを読み解くのは容易ではない。

例えば今、如星の中には物語の中でも世評でも妙に報われていないリセルシアに何とかして手を差し伸べたいという想いで一杯だったりする(ああ、しかもこの発想はクリスの誤謬に満ちたそれとまったく同一のものである!)。プロットも脳裏にはほぼ浮かんでいるのだが、いざ書き出そうとすると「まだ読み込み足りてないのでは」という恐れがその手を留めてしまう状態だ。……ちなみに今日、ようやくシナリオファイルの抽出及び整形に成功したので、読み込み速度は明らかに加速しそう。思えば君望以来、Fate、TH2と、如星が何かを書こうとする際にこの抽出は必須なのであった。

一つ今の時点で言えるのは、かつて如星が君望に惚れ込み、如星という擬似人格と神慮という二次創作サイトを丸々作り上げてしまった原動力は、一章の結末と二章の冒頭の衝撃(hollowに到るまで変わらぬ永遠のテーマ:それでも人生は、続いていく)に加え、メインヒロインの遙と水月の二人が、互いに相手のシナリオにおいてその真価を発揮し、最強の愛を発現させるところにあった。恋愛は三人でするものという先日の台詞はジョークのようでいて、実は違う。「脇役にならない三人目」がキチンと物語に絡む快楽は、君望以前そして以来、長らく味わえていなかったものなのだ。

ところが、その数年後に登場したSRは、この「三人目」の発想に強烈な斬り込みを入れてきている。それが何なのか、もう少し冷静に読み解きたい。前半の甘酸っぱい全編これ茜シナリオのような物語だけでも十分楽しかったと思うが、それを綺麗にひっくり返して見せ、さりとてFateのHF編のように無益な焚き付けに使ってしまうのではなく、表裏一体の物語に仕上がっている力。それが向かう先は、君望のようなそれぞれの救いすらない、ただ一つの救いへの道なのだ。これを斬り込みと言わずして何と言おう。

……この文章、SR既読者には「何を今更」であり、未読者には「意味不明」という救えない代物だ。でも書かずにはいられない、一瞬雑想扱いではてダ側にしようかとも思ったけど、これは「書かずにはいられない」という君望以来の如星の思いの溢れ出しなので、こちらにメモしておくことにした。

いずれにせよ、近いうちに思うところをまとめようと思う。だが返す返す、こんな恐ろしいモノを3年も見逃していたなんて本当にどうかしている。と同時に、最近抱いていたオタク廃業の想いをまた新たにしてしまうかもしれない──3年も前にこんな金字塔を打ち立てておきながら、ゲーム界はそれから何やってたんだよ、と。

「こんな遺跡が見られたのなら、明日は死んでもいいな」──アンコールワットに臨んで、誰だかは忘れた。

今日の一滴="−−−−" (2007/10/16)

【2007-10-17-水】

シンフォニック=レイン進行状況

結局SRはまだ第二ラウンド中。テキスト抽出でさくさく!とか思ってたけど、これがどうして本作は声優さんの演技力に作品の表現を託してる部分が結構多く、元よりゲーム文章として地の文が少ない面を差っ引いても作品理解に支障が出る。大抵は一度プレイしていれば、地の文が少なかろうと抽出文である程度作品の雰囲気を脳裏に再現しつつ読み進めるのだが……。

ま、これは素晴らしい事なんだけどね。大抵のギャルゲの声なんてホント(ストーリー面から見れば)おまけだもの。

食わず嫌い、アンテナ畳み、抵抗の理由

さておき、SRが示したように「この世にはまだまだ面白い物がたくさんある」。先日オタク廃業の話でぼやいてしまった通り、同時共有性ばかりが先行して寂しいという意識はもちろんあるのだけど、その遠因は結局のところリアルタイムの面白さを追っていない自分にもあるわけだ。今の如星は基本的に信頼できる同志コンテンツ消費者のリコメンドをベースに作品を追うスタイルを採っているわけで、その状態から同時共有性への寂しさを訴えるというのも冷静に考えてみれば本末転倒だとも言える。

とは言え、やはりアニメのリアルタイム消費は俺には難しい。されば、せめてその周辺部にある漫画やラノベはもう少し摂取量を増やすべきだなぁと思う次第だ。ふと我が身を振り返ってみれば、明らかにインプット量、コンテンツの摂取量が減っている自分がいる。シリーズモノの小説や漫画の続刊のみを追い、その消費だけで時間を使い果たしてしまう現状では難しいことは分かってる。が、単に時間の問題だけではなく、何となく食わず嫌いしてしまっているモノも少なくないような気もしているのだ。例えば最近のTYPE-MOONを焼畑と揶揄してるのでも分かると思うけど、自分はコンテンツの過剰な多メディア展開にはどうしても懐疑的である。けど、別にそれって焼かれる元となった作物には罪はないわけで。なんつか、焼畑ブランドというだけで敬遠してたモノを少しは食ってみて、知らず萎ませてしまっていたアンテナを建て直すべきかなぁとも思うのだ。

……単に形振り構わずオタク世界にしがみついていたいだけとも言える。理由は分からない。正直自分で言うのもなんだが、如星は割りと趣味多きヒトである。この趣味を手放したところで余暇の使い道に困るなんて事は永劫起きそうもないし、いろんな面で自分は(良くも悪くも)我が確立されていて、消費者として特定グループに所属することで自己承認を得るような必要もない。それでも、なおしがみついていたいと思うのは──そこに魅力があると信じているからであり、面白そうなモノが自分の帆をすり抜けるなんて我慢ならないから、と理由はつけられるかもしれない。また複数の趣味は遠いようでも情報を共鳴させ合い、それぞれの面白みを上げていく効果があると肌で実感してるから、なんてのはちょっと穿ちすぎな気もするが、心情としては間違ってない気も。……まぁとどのつまりは、愛なのかもしれないけどね:)

明確な考えがまとまってるわけではないので多々矛盾ある点はご愛嬌。

今日の一滴="−−−−" (2007/10/17)


 
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